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夢ビジネスと承認欲求


夢の正体

夢ビジネス、つまり「夢」を利用したビジネスのことと定義します。

早速ですが、この「夢が叶った」とされるのは、一体どんな状態のことなのでしょうか。

これらの自己実現欲求はほとんどが、「承認欲求」がベースにありますね。評価軸を他人に委ねる、つまり他人が自分の価値を決めてきます。それによりやっと自分で「夢が叶った認定」できるんだと思います。

そんで、夢を叶えたやつは「勝ち組」。

SNSでのいいねの数やフォロワー数をどれだけ多く持っているかなどの現代特有の価値観も、他者による評価主義の中で自分の「勝ち組」なのか「負け組」なのかという立ち位置を大きく左右します。他者から認められることが「夢を叶えること」に欠かせない要素となっているなぁと思うのです。

でも、さっきから何度か出てきている「評価主義」。他社が自分の価値を決めてくることについてだけど・・・結構こんなのいいかげんなものだと思っていて。他人からの評価がそのまま自分の価値とイコールではありません。自分の本当の価値とは全く関係ないものだと思っています。

たとえば、私がSNSやっていなかったとして、SNSやってなかったらフォロワーが存在することからしてないわけで。そんな私に価値はないのか?って話になってしまう。

だから、「勝ち組」になるべく夢を叶えるために一緒に頑張りましょう!何者かになりましょう!・・・っていってお金を出させるような商法に引っかかってはだめよ。
そもそも「勝ち組」の定義とはなんぞや?

これは完全に、人々の不安を煽るところから始まります。何者かにならないとヤバい、今この時代の波に乗り遅れたらヤバい、みたいな。

でもね。

やれる人は言われなくてもやるのよ、動くのよ。

目標と妄想

「夢を持ちましょう。夢を持つことはいいことです。誰でも夢は持つことができます。」

スポーツ選手になりたくて練習を頑張る。なりたい職業になるために勉強を頑張る。

これらはいわゆる、個人的な欲求に分類されるかなと思います。(個人的な欲求が満たされてる人は、次の段階として、世界が平和になりますように的な利他的欲求に進んでいくのかもしれません)

「なりたいもの」になるために、今やるべきこととして、モチベーションを保つ目的も兼ねて夢という目標を設定する。

今の自分から手が届きそう、あるいは届くように頑張れるくらいの設定だったりしますし、そういう目標はだいたい、具体的な方法を自ら考えて実行していきます。

一方、「金持ちになりたい」けど、どうやってなるかは考えていない。わかりやすくいえば、「私は普通の人とは違う。玉の輿にのったりして、絶対いつか金持ちになっているはず。」というかんじの、夢という妄想を持つ人もいると思います。

これは「金持ちになるため」の具体的な方法は特に持たず根拠のない単なる妄想(想像)ですが、これも夢であることに違いはないですよね。

理想と欲望

長期的な願望を「理想」と呼び、短期的な願望を「欲望」と呼ぶ。

どこかの記事で目にしたのを覚えており、ここに書いてみました。なるほどなぁと思ったのです。

これは、夢の叶え方がテーマになってくるのかな。

○○になりたいという長期的な道のりである夢=理想があって、そのプランの最中で「ちょっとずるいけどこの方法をとると近道できるよ」とか、「お金かかるけどこっちの方がおいしい話あるよ」とか、そういった「早く理想を叶えるための手段」があった時にその方法をとろうとする(もっと早く叶えたいと望む)ことが、欲望にあたるかなって考えてみた。

その欲望に従って行動したときに、結果的に早く夢=理想を叶えることができたならいいのだけど、一時の欲望に安易に従って結果的に夢を叶えるまでの道が遠回りにならないように、自己をコントロールする力も必要だと思います。

「ずっとこのままがいい」も夢のひとつ

今の環境に十分満足していたり、心地よかったり、はたまた変わることが怖いという方もいると思います。そういった「変化することを求めない」ことも夢と言えますよね。現状維持でいい、みたいな。

少子高齢化が進む今、特に高齢者層はこの「現状維持」を望む方々の層なのかな。

みんなのために⇒自分のために

かつて明治維新という、大きく時代が変わった歴史がありました。

そこに関わった人たちは、自分のことなどどうでもよくて、ただ日本という国のために(=公のため)変革の時代を生きました。

その「公のために尽くすこと」が我々の生きる意味であり理想なのだ、というイズムは戦争まで共有され続けますが、戦争に負けたことで極端に変わることになります。

負けた途端に、国が手のひらを返してきたんですよね。で、我々はこう思ったわけです。

「ウチらのやってきたことって、なんだったの?」

それから、

✕ 公のために尽くす(全体主義)
〇 個人(ウチら)のために行動する(個人主義)

こうなって今に至るわけであります。

いつの間にか、夢を叶えたやつ=勝ち組

こんな感じで、もうおわかりでしょうか。

「あなたの夢を叶えるお手伝いをいたします」的なビジネスを、私がうさん臭く思ってしまう理由が。

「○○カウンセラー養成講座」「○○コーチ養成講座」その他なにかにくっつけた形の養成講座の類。

あなたのためですよ~、みんなで幸せになりましょう~、そうすればあなたは勝ち組ですよ~と言いながら、これらは結構な高額の受講料を設定しています。結局自分がめっちゃ稼いでるじゃん・・・って私は思ってしまいます。まぁ、それらの多くが夢ビジネスだと思っている私がそう考えてしまうことは当たり前の話でもあるのですが。

利他かと思いきや、すげー利己だよねっていう。

この受講料に見合った結果を自分で出すことができる人もいらっしゃるので完全否定はしませんが、世の中どうお膳立てされても「でも…」といいながらなかなか動かない人が大半です。

そして、その挑戦のリングにも立たないひとが端からこそこそと「あいつ負けたな」とか陰口たたいたりする、この世界どうよ。

夢を叶えるまでの過程は度外視して、結果だけ(ようは夢が叶ったという事実のみ)が大事、みたいな風になってる気もしてる。だから余計にみんな、その結果を早くほしいんじゃないかなーとか。

本当は、夢を叶えるまでの過程、というか内容を楽しむこととか、充実させることとか、そういうものの方が結構大事だと思ってるんだけど、そこはしょって早く結果!・・・みたいな。

・・・あぁ、またダークサイドの気持ちが出てしまった・・・。

とにかく。

なりたい理想の自分、あるいは夢がある方は、そのために必要なこと、不要なこと、そのために投資できる金額や内容、それらをどう活用していくのか、あるいは活用できないのか、夢産業のカモにされていないか、などなど。

膨大な情報であふれた社会の中で、しっかりと見極めていく力がいろんな方々に対して試されているのだと思います。

まとめ

人々は(私も含め)、将来に対して得体の知れない大きな不安に襲われているのは紛れもない現実だと思っています。

お金の不安、生活の不安、家族に対する不安、孤独による不安などなど。

だからこそ余計に「現状のままではいけない、もっとこういう自分にならなければならない」という訳の分からないプレッシャーのせいもあり、焦り、そのための最短の道を探そうとしてしまうのかもしれません。

あるいは、自分の立ち位置をよりいいものにしたいと頑張ってしまうのかもしれません。

またあるいは、「自分はこんなもんじゃない」「もっとレベルの高い人間のはず」みたいに、自分の現時点での立ち位置を認められないのかもしれません。

おそらくほとんどの人々が抱いている「不安」。

この不安という感情についてはもっと研究が必要ですね。その不安に対してどう対処していけばいいのか、その不安な気持ちに悪い奴からつけ込まれないようにするにはどうしたらいいのかなど、いろいろ考えてみたい。

そして私自身も、自分に必要な情報をきちんと取捨選択していけるように、努めていきたいと思います!

今いちばん嫌いな言葉は「搾取」です。

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