孤独な時代の困難への立ち向かい方
ゼロベースで何かに新しいことに取り組むことは非常にエネルギーのいることだと思う。目をキラキラさせて、「こんなことがしたい!」「こんな夢がある!」といったように、次の未来を考えているときは、良い世界しか見えていないことが多いけど、実際に一歩足を踏み出したら、訳の分からないことばかりかもしれない。もしかしたら、その先は崖っぷちかもしれない。
特にこのコロナ禍で、周囲のサポートを受けにくい”孤独の時代”に突入した。これまでのように、周囲に誰かがいて、そっと声をかけてくれる環境は非常に少なくなっている。また、経済不況により、未来の不確実性が格段に高くなっている。
こんな時代に生きる我々は、困難への立ち向かい方について考えなければいけない。僕自身もこれまで様々な困難をくぐり抜けてきたので(帰り道で何度も泣いたこともある)、そんな実体験から学んだ困難への立ち向かい方について持論を述べていきたい。
困難があるということは前進している証拠
そもそも困難がある状況下においては、「自分はついてない」「自分は不幸だ」などと思ってしまう心理状況にどうしてもなってしまう。でも、俯瞰して考えると、困難にぶち当たっているときは、これまでに経験したことがないことに挑戦していることがほとんど。だから、「俺、今挑戦してるんだ!(難しいなんて当たり前!)」と捉えたほうが気が楽になるし、実際に困難があるときは、あなたは確実に前進している。
ここで困難といえばこの話!という僕の昔話をしたい。
僕がかなりの困難を感じた最も印象に残っていることは、修士課程の頃だと思う。修士で経験したこともないプログラミングをしてロボットや筋電図というような機器の制御・処理プログラムなどを書くというプロジェクトについた。自分としては新しい知識が手に入れられる!と思って、最初はワクワクしていたのだが、始めてみると、「何から手をつけるべきか分からない」「何が分からないかさえも分からない」という状況だった。
そんなときに頼ったのは指導教官で、慶応の工学博士を取得した先生だったのだが、「先生、何から手を付けたらいいか分かりません!何からすればいいでしょうか、、、?」と相談しにいった。人間性が非常にある方で、この人であれば、丁寧に教えてくれるだろう。こんな期待がダメだった。
「困ってるの?いいねぇ、楽しいねぇ。自分で考えようか(ニヤニヤ)」
そう言って、何も教えてくれなかった。
僕は、いつも計測ができる部屋にこもって一人でプログラムを書こうと思ってPCとにらめっこしていた(8時間考えても、一つも進まなかったこともある)。1時間に1回くらいは、その先生が見に来てくれて「どう?」とだけ僕に聞く。当然「全く分かりません!!8時間考えましたが、何も進んでません」と答えると「いいねぇ」とニヤニヤして、自分の部屋にトコトコ歩いて戻っていく。
正直、最悪な先生についてしまった。。。と後悔した。もちろん、大学院にいくのも嫌になった。でも、あるとき、「自分で解決するしかないんだな」と割り切ることができて、もしかしたら、この指導教官は社会に出るにあたって非常に貴重な経験をさせてくれてるのでは!?とさえ思うようになった。そんな考えが変わったキッカケ(言葉)がある。
いつも深夜の1時頃まで研究室にいたのだが、先生もいつもその時間まで研究していて、1時くらいを過ぎると「そろそろ帰ろうか!?」と声をかけに来てくれて、一緒に大学院を出るという生活だったのだが、ある日、研究室でこんな言葉をかけられた。
「ここは大学院だよ。義務教育じゃないんだから答えを人に教えてもらおうなんて思わないほうが良い。答えを見つけ出す、途方もない過程を楽しむのが社会人だよ。」
僕らの義務教育では、正解のあることばかり教わってきている。数学のように明らかに正解がある問いを解かされるのが普通だと勝手に認識してしまっているが、社会に出たら、明確な正解があることの方が少ないのではないかと思うようになった。そんな正解がない問題を解くとき、正解は自分で見つけなければ、もしくは、自分で創り出さなければいけないのではないか。と思うようになった。そんな考えに気づいてから、プログラムがスイスイと進むなったように思う。
つまり、チャレンジの一歩を踏み出すことができない人が多い中、困難を感じているということは、人より前進していて、あとは自分で正解を見つけ出す旅に出ているんだ!と捉えられると、少しは肩の荷が降りるのではないかと思う。
最適な問いを自分自身に投げられるか
つまり、社会に出たら正解のない問いと戦い続けなければいけない。そんなときに役立つ武器が一つある。それは”最適な問いを自分自身に投げられる能力”だ。人に頼っても、期待外れなこともある。それで、さらにメンタルがやられるよりは、自分自身との対話の方が重要じゃないかと思っている。
私は、困難に出会ったときこんな問いを立てることが多い。
「明確な答えがすでにある問いなのか」
「自分でコントロールできるか」
明確な答えがすでにある問いか
この問いの返答がYESなのであれば、それは自分で知識を蓄えたり、知識を持っている人に相談するのが良い(相談するときは相手もメリットも考えた上での相談だと、よりよい回答が得られることが多い)。
もしNOなのであれば、「最適な解を探す」というよりは、「自分で最適解を創り出す」というマインドにシフトしたほうが良い。特にスタートアップや、コロナ禍における未来などは不確実性が高すぎて、明確な答えはない。だからこそ、この時代では、義務教育時代のように答えはない。そんな教科書はない。教科書は過去のことしか書いていない。我々は、今、未来を生きている以上、答えを創る側になろう。そう僕は考えている。
自分でコントロールできるか
ものごとが自分でコントロールできるかどうかも非常に重要だと考えている。当社は、肩こり腰痛対策の支援をポケットセラピストというサービスを通してしているのだが、不安定な心理状態が肩こりや腰痛の症状の軽減を邪魔することが多々ある。
現代人は、情報過多の社会に生きており、様々な人間模様もある。そのため、いろいろな情報のバイアスにも引っ張られやすく、自分が思っている通りになることは、そもそもほぼない。
ストレスと慢性的な肩こり・腰痛を抱えている方の特徴は、自分でコントロールできないことにマインドシェアが多くあることだと思う。肩こり、腰痛対策というとストレッチとか、運動とか思われるかもしれないが、物事の考え方を変えるだけで、気が楽になり、症状が楽になることも数多い。ポケットセラピストでは、そんな物事の考え方を変えるワークを一緒にしたりしている。
もし、うまくいかないことやストレスに感じることがあれば、「自分でコントロールできる問題」と「自分でコントロールできない問題」に分解すると、意外と自分でコントロールできないことに自分の労力やマインドが割かれていることが多いことに気づくことがある。それが自覚できたら、とにかく「自分でコントロールできること」に集中すること。
修士課程のときは、「この先生が僕のことをもっと好きになって、教えてあげたい!と思うような学生になろう!」とも考えることはできたが、恋愛と一緒で相手が自分のことを気に入ってくれるかどうかはコントロールできるはずがない。そんなことに自分の労力やマインドが割かれていると日々、勝手に期待して、勝手に落ち込むという負のジェットコースターのような日々を生きることになる。
しかもそんな状況に追い込んでいるのはあなたの周りの人ではなく、自分自身だ。だから、シンプルに自分でコントロールできることにまずは集中することが、精神衛生上いいし、成長に繋がると思っている。
これからの不確実性の高い時代に必要なのは解を創り出す能力
新型コロナの流行に伴い、経済や社会、人々の価値観はガラっと変わった。これは、これからの未来を創る僕らにとっては絶好の機会とも言える。既得権益や慣習などの前提が一気に変わるかもしれない最高の時代に生きている。
こんなタイミングで、挑戦しないことの方がリスクだと思う。ただ、挑戦するということは、より前進するということで、そこには必ず困難が待ち受けている。そんな困難が出てきたときは「自分でコントロールできることに集中し、正解は自分で創る」というマインドを持てると、見える世界はガラっと変わるかもしれない。次第に、自分でコントロールできる範囲が広がっていくから安心すればいい。
ちなみに困難に出会ったときは、この2曲を聞いてココロを奮い立たせてますw