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パンクに魅せられて。

トレーナー、何を隠そうパンクやロックを感じさせるファッションが好きです。

音楽も勿論好きでライブもよく通っておりました。

ファッションで言えばもうその歴は高校生くらいからなのでかれこれ生まれて半分以上はこのスタイルを貫いていることになります。

服が好きすぎるが故に学歴ドロップアウトで原宿や下北沢、高円寺の古着屋に勤務しておりましたトレーナーが語ります。

パンクファッションって若者のものでしょ?痛すぎる…そんなイメージが先行する世の中とても勿体無い!




パンクファッションとは

70年代後半、ロンドンヴィヴィアン・ウエストウッドのブランドを取り扱っていた店の経営者マルコム・マクラーレンがメンバーを集めて結成したとされるセックス・ピストルズの衣装に端を発する。マルコムは、ニューヨーク・ドールズのマネージャー時代に出会ったリチャード・ヘルのルックスに感銘を受け、そこに安全ピンや缶バッジなどをつけ足すことで、セックス・ピストルズのルックスを完成させた。
高級ブランドのヴィヴィアン・ウエストウッドの前身SEDITIONARIESは日本でパンク・ファッションの代名詞のように言われているが、セックス・ピストルズの衣装は殆どが自作の安物だったとされている(ヴィヴィアン・ウェストウッドと一番深い関わりのあったジョニー・ロットンだけはヴィヴィアンにガーゼシャツなどの高価な洋服を譲ってもらっていた)。しかしジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)によると、ジョンが自分でアレンジした服が数週間後には「SEX」に並んでいたという。 つまり、一般人でも真似する事が簡単で、衣装というよりは普段着に近いシンプルなファッションスタイルだった。彼らの音楽精神を強く感じさせるスタイルである事もあいまって、若者たちの間でこのファッションは広がっていった。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/パンク・ファッション


トレーナーもそうだったのですが、実は日本のパンクファッションってロックの要素強めだったりします。

所謂V系、ヴィジュアル系というやつ。
今だと地雷系から派生したy2kというのでしょうか、複合タイプなど。

学生の頃はそんなに服に詳しくなかったので通販を利用するしかなく、ちゃんとしたブランドってお値段もお高かったのでよくバンギャと呼ばれる上記を愛する方々が愛用する服を着ておりました。



エモに出会う。


ここがトレーナーのジャパニーズパンクファッションからの脱却の糸口でした。

エモはメロディアスで感情的な音楽性、そしてしばしば心情を吐露するような歌詞によって特徴付けられるロック・ミュージックの1スタイルである。ワシントンD.C.の1980年代のハードコア・パンクのムーブメントに起源を持ち、そこでは「エモーショナル・ハードコア」や「エモコア」といった名前で知られており、Rites of SpringEmbraceといったバンドがパイオニアである[1]

その音楽スタイルは現代のアメリカのパンク・ロック・バンドの多くに模倣されているが、そのサウンドや意味するところは変容している。ポップ・パンクインディー・ロックを混ぜあわせ、1990年代初頭にはJawbreaker[注 2]Sunny Day Real Estateといったのグループによって形成された。1990年代中頃には、数多くのエモのパフォーマーがアメリカ中西部や中央部に出現し、いくつかの独立系レコードレーベルがエモに特化し始めた。

2000年初頭にはジミー・イート・ワールドDashboard Confessionalプラチナセールスを獲得、「スクリーモ」というサブジャンルも出現するなど、エモはメインストリートのカルチャーに進出した。近年では「エモ」という言葉は、ビッグセールスをたたき上げるアーティストも含めてスタイルもサウンドも非常に異なった様々なアーティストに対して批評家やジャーナリストが使用している。

音楽に加えてしばしば「エモ」は、より一般的にファンとアーティスト固有な関係を指し示すために使用され、関連するファッション、カルチャー、ライフスタイルの側面を記述されるためにも使用される。

本ジャンルやそれに近しい音楽性を形容する際に用いられた「エモい」という俗語が、そこから転じて感傷的、情緒的、得も言われぬ感情を表す形容詞として若者言葉として定着した。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/エモ

エモ自体は音楽のジャンルなのですが、パンクファッション同じくエモファッションと呼ばれる彼ら独特の服装があり、それはさながら海外版V系。

代表的なのは長い前髪にバンドTシャツに細身のスキニーなどを合わせる



そんなこんなで私、服装そのものはV系ブランドでなんとか固めていたもののコレジャナイ感が…

私の地元は田舎の割にライブハウスがあり中でもV系文化が盛んだったため、ライブハウスなどで会う人会う人にバンギャ認定され、いやワシV系知らんねんマジで…状態に。

少しでも洋楽好きって見られたい!

そこでまずは簡単に真似できるバンドTシャツ、スキニーパンツ、converseのハイカット、鋲ベルトを装備し始めたのでした。

中途半端な進学校だったことをいいことにピアスは10個を超え、夏休みには派手髪に。

その甲斐あって?
地元でメタルコア系の音楽を主軸とするバンドたちと知り合うことができ高校3年の頃には華々しい音楽ライフを開花。

親からするととても迷惑だったことでしょう。

しかし、私のファッションへの追求はここで終わりませんでした。




オラ、東京に行ぐだ。

お読みいただいてお分かりでしょう、私の人生は音楽とファッションでできております。

本当は美容専門学校などに通いたかったのですが、高卒であるにも関わらず大学信仰の厚い両親に
大学さえ行けば何してもいいから…!
と泣き脅しに。

今思うと本当に恵まれているのですが、
反抗期of反抗期の私は両親の懐事情も顧みず
ジャ!東京行って一人暮らしするカラァ!
と急にセンター試験を受験。

なんとか東京の大学に合格したのでした。


死の大学生活。


東京の子たちは入学式に髪を染めている子は一切おらずとても真面目でした。

それはそれはいい子たちで今でも交友があるのですが、トレーナーも真面目に染められその子たちと同じく研究室に入ってしまいました。

研究室はクソブラックでした。

バイト禁止
講義ない日は毎日実験
教授がヒステリックババア
etc…

そんな生活の中でフラストレーションが溜まっていきます。

服装髪型だけは自由だったのでそういうところだけは主張できる喜び。

もはやストレス発散は唯一ある日曜の休みに原宿などに繰り出して服を買いまくること。

そこで心に決めます、
絶対古着屋の店員になる。



原宿の古着屋

なんとか卒論を提出し逃げるように
大学を卒業。

一応名前ばかりは有名な学校だったので
古着屋にあっさり就職。

しかし最低時給であろうが好きなことを
追求しようとする同僚たちは半端なかった。

一気に服に対する知識や課金額も増え
その頃には憧れのvivienne westwoodに手を出す。

初めて自分の力で手に入れたアーマーリングを
店員さんに手渡してもらった時は膝が震えた。

当時は6万円ほどでしたね。
今は2代目ちゃんですが棺桶に入れてほしい😌

パンクファッションの話のくせに
全然パンク出てこなかったのですが
ここでようやくパンクファッションに
辿り着き、今の原型に落ち着きました。



結局パンクファッションのススメって?


実はトレーナー最近服買ってません。

それはパンクファッション自体が
クラシカルで型が決まったファッションという
こともあります。

ライダース
ガーゼシャツ
チェックのボトムス
ドクターマーチン
コンバース
などなど、
揃えるならコレ!みたいなものが
ある程度決まっています。

なので一度質がいいものを買ってしまえば
ずっと着続けられてしまい、
しかも大体老舗ブランドなので
質が良くずっと着続けられてしまい、
冒頭の写真のオニールオブダブリンなんて
もう10年選手です。

あとはライダースも皮が痛まなければ
永遠に着られるし、ミリタリーも好きですが
剛健すぎて永遠に着られるし…

精々穴が開くのでコンバースくらいでしょうか。

vivienne westwoodも若い頃
散々買いましたが、流行とかあまりないので
当時を思い出しつつ引っ張り出して着ております。

そもそもヴィヴィアン自体が活動家で
安い服を次々買い替えるこの世の中に
疑問を呈していました。

衣料を作ることって洗浄や染色に限らず
とても環境を汚すらしいです。

私はそんな意識高いこと考えてはいないのですが
お気に入りの服って
一生お気に入りなんだと思います。

あの古着屋で出会ったとか、
給料を貯めてとか、
あのときデートに来て行ったなとか、
ずっとお気に入りです。

抗がん剤治療のおかげで
スキンヘッドということもあり
今最高に年齢不詳かつヤベー見た目ですが
病人感がなさすぎて逆にスキンヘッドに
ついて聞かれて申し訳ない思いを
させてしまうという事象が多々発生。

あ、買ってないと言いつつ
ニット帽似合わないと思っていたのですが
とても頭の形がいいということが判明して
最近はニット帽ばかり買ってます。

頭あったかいしかわいいサイコー。

おばあちゃんがおばあちゃんの格好しているのが
オシャレなら街のおばあちゃんみんな
モデルやんと思ったりしながら
今日もパンクファッションするのです。


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