未来の僕たちへ
今日noteを書こうと思って、何の事を書こうかなぁと。
テーマを考えた時に、
高校の時の話、大学の時の話、幼稚園の時の話、と全て過去のことについてテーマが思いついた。
別に良いんだけど、ふと、なんか後ろ向きな感じがして"嫌な感じ"がしたんだ。
別に良いんだけど、ほんとに別に良いんだけどね。
過去はいつだって、美化されて、成功だって、失敗だって、何にも無いことすら美しい。
でも、それってなんか嫌だ。
いや、良い事なんだけど、過去にしがみついている気がして、
何にも進歩していない気がして、
そんでもって、現実逃避してる気がして…。
福山雅治さんのドラえもんの映画の主題歌、「生きてる、生きてく」の歌詞でこんな歌詞がある。
『子供のころは大人になんてなれないのに、大人になれば「ときめく」だけで、いつでも子供になれる』
この曲を昔聴いた時は、シンプルに良い歌詞だなぁと思ったんだけど、
この前聴いた時に、ふと思ったんだよね。
この「ときめき」っていうのは、「ときめき」じゃないといけないんだ!って。
難しいんだけど、
過去を振り返る時っていうのは沢山あると思うんだけど、
惰性で振り返ってはいけないだと思うんだ!
中学生の授業の時に、良く後ろの友達に振り返って、ぺちゃくちゃ喋ってて、先生から怒られた。
これって、自然と怒られる時と怒られない時があったんだけど、
振り返っちゃった時は怒られたんだよね。
振り返った時は怒られなかったのに。
授業に向き合ってるなら、良いんだけど。
そういうのって先生よくわかってたんだなぁって…。
過去にしがみつくっていうのは、過去にときめいてなくて、
"こんな僕の人生のいいことやダメなことが100年先で頑張っている遺伝子に役に立てるように今を生きている"から、「ときめき」で子供になれるんだ。
今、そして、未来を向いて、今を生きているからこそ、振り返る事に意味が出てきて、そこに味がするんだと思う。
味がないガムって、味がしなくなっても噛む事ってできるよね…
口の中に何も無いよりは、何かあった方が満たされるから、味が無くても噛むんだよね。
そこで、食べてるって錯覚してる。いや、ここで言うなら錯覚させているのだけど、
実際は食べていない。
そんな味のないガムを噛み続けてる状態で、空腹を保とうとしてるんだよね。
でも、途中から自分でも味の無いガムを食べるのは、無意味ってわかってくるんだよね。
だから、思い切って、ガム捨ててみない?
口の中空にしてさ、
ひもじいくらい腹空かせてさ、
そしたら、次に入ってきた白米が死ぬほど美味しいぜ!?
そしたらさ、その時の白米の話を10年後に笑って出来るさ!
それが「ときめき」なのさ!
過去のビデオテープを擦り切れるまで見るのも、良いけどさ、
最新のブルーレイを時間かけて作って、
それを何年後かに見て、笑おうぜ!
逃げられない苦しみに悲しみに勝つために
今日も僕は生きていかないといけないからさ!!!
10年前の自分に褒めて貰えるようにさ!!!
さぁて、明日からは過去の記事バンバン書いていきますか。
(゚д゚)!
チョフミーーーー!!!
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