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パワフルじっちゃん



八岐大蛇伝説で名高い斐伊川の土手を車で15分も走れば、見渡す限り、田んぼ、田んぼ、山!


信号機も無ければ、コンビニもない。


10キロ圏内に自動販売機は二つしかないし、唯一あった曽田商店(ちびまる子ちゃんのみつやみたいな店)も僕が大学生の時に閉まったとか閉まってないとか…。


街灯もほとんどないから、夜になると真っ暗。いや、もう暗黒。


そんな僕の生まれた町。


島根県出雲市上島町。



小さい頃から、遊びというと、かけっこをしたり、釣りをしたり、近くの集会所で野球をしたりと、世間ではゲーセンが流行ってるそんな時代に凄く原始的な遊びをしていた。


野山を駆け上がり、サワガニを取ったり、

裏山を石で削って、大工さんみたい事をしたり、

林の中で秘密基地を作って、放課後そこに集まったり、


当時は当たり前の事だったけど、今思えば、当たり前じゃない事ばかりだった。


そして、大体そういう自然での遊び方を教えてくれるのは地域のおじいちゃん達だった。


幼稚園の時は餅つき大会、小学校に上がると、しめ縄教室、そして年に一度『野山のつどい』という小学校の校区内で山に登ってオリエンテーションみたいな事をするのだが、


その時に絶対に登場する名物おじいちゃんがいる。



"パワフルじっちゃん"こと「元じろう」さんだ。


何十年も幼稚園や小学校の行事に来て、地域の文化や、昔遊びを教えてくれるじっちゃんだ。


若い頃は"パワフルおじちゃん"と呼ばれていたらしいが、


僕が出会った時は、"パワフルじっちゃん"になってたのだから、相当長い間僕たちの地域で活躍しているおじいちゃんだ。


僕たち地域の子供は、全員元じろうさんの孫と言っても過言ではない。


そんな元ちゃんとめちゃくちゃ仲良くなったのは小学4年性の時だった。


小学四年生になると、わが小学校では、クラブ活動が始まる。


このクラブ活動は毎週一回放課後に、1時間ほど、各々好きなクラブに所属して(野球とか、サッカーとかとは別の小学校のクラブ)活動する。


半年に一回、入替があり、希望を出して、好きなクラブに行けるというものだった。

女の子は、確か、お菓子とか作る、家庭科クラブとか、放送クラブとかが人気で、

男の子に人気だったのが、ドッチボールクラブと、元じろうさんがいた『ふれあいクラブ』だった。


ふれあいクラブとは、簡単に言ったら、昔遊びをするクラブで、春、夏、秋は、「ゲートボール」「グランドゴルフ」「ペタンク」を主にやって、冬は、「凧揚げ」「お手玉」「あやとり」などをしていたのだが、


これがめちゃくちゃ面白い。


男子はやった事もない、ペタンクや、ゲートボール、グランドゴルフにのめり込んだ。


クラブ活動の時間になると、毎回闘志をもやしながら、グランドに向かう。

何故なら、おじいちゃん集団がめちゃくちゃ上手いのだ。笑


普段杖をつくようなおじいちゃんたちが、ホールインワンなどをバンバン決める。


そんなおじいちゃん達と戦うのが楽しくて、何よりおじいちゃん達がめちゃくちゃ優しい。


沢山知らない事を教えてくれる。


そんな居心地の良いクラブだった。


僕はそんな居心地の良さもあり、まさかの3年間、卒業するまで6期連続『ふれあいクラブ』を選んだ。


元じろうさんは、話しかけるとすっごく笑顔で『あーはぁ!あーはぁ!あは!あは!』と笑ってくれるし、


クラブ活動以外にも、地域の催し事には必ずいて、会ったら『元気かいな?』なんて言ってくれて、周りはいつも笑顔に溢れる太陽みたいな人だ。

小学校を卒業してからも、中学、高校と、進学しても、気にかけてくれる。

ずっとみんなのパワフルじっちゃんだ。



大学生になった。


大人になるに連れて会う機会も減っていったけど、


帰省すると必ず、大晦日に家の近くにあるお寺(兄の友達のこうじゅっちボンバーの家)に除夜の鐘を突きに行く。


そして、そこに必ず元じろうさんはいて、


『元ちゃん!!!元気???』


って言うと、


「だいぶ、いごかんくなってきたけど、元気だがぁ!あーはぁ!あーはぁ!あは!あは!』


なんて言いながら、年越し蕎麦を食べながらみかんの皮を向いている。


そんな横で僕たちは坊主めくりをするんだ。


そんな毎年恒例の年越し。



だけど、東京に来て、芸人になってからは、中々帰省できなくなったけど、


久しぶりに、今年は帰省しようかな。


なんて思ってたら、2020年はそういう年で、


幼馴染後輩のコバとLINEで


『今年は帰省出来ませんよねー』


「しょうがないよね、来年だね!」


なんて連絡した。


残念だなぁ。





一昨日、妹からLINEが来た。







元ちゃんが死んだ。




91歳だった。









時の流れは残酷だ。



あんなにも愛おしい日々が、崩れていく。


しかし、だからこそ美しい。


そんな人生でありたい。



そして、そんな日々を





ありがとう元ちゃん。







チョフミー


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