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オヤジの栄光時代はいつだよ…全日本のときか? オレは……オレは今なんだよ!!

『オヤジの栄光時代はいつだよ…全日本のときか? オレは……オレは今なんだよ!!』

スラムダンクの桜木花道が試合中に怪我をしてしまい、このまま試合に出続けると選手生命に関わると言われた時に言った言葉です。


今回甲子園中止の事について書かせて頂いたのですが、めちゃくちゃ感情がぐちゃぐちゃになっていて書いたのでもしかしたら一部の人には不快に感じるかもしれません。

そう感じたらすみません。

でも読んでくれたら嬉しいです。




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9回裏1アウト1塁。5-1。

4点ビハインドで大社高校のバッターは2年生で4番を任された小笠原。

石見智翠館高校のピッチャーは現巨人の戸根千明。

サウスポーからクロスファイヤー気味に投げられたボールをかろうじで打つと打球はサードへ。

サードからセカンドへ、そしてファーストへ。

ヘッドスライディングで黒土が舞い上がる中、一塁塁審の手が上がる。

『アウトっ!!!』

試合終了のサイレンが鳴り響く中、僕は一塁側スタンドでただただその光景を眺めていた。

僕の"2度目"の夏が終わった。


2020年5月20日。
あれから10年。

史上初の甲子園中止が決まった。
新型コロナウイルスの影響で中止にするか延期にするか、はたまた強行するかを連日ニュースで賑わせていたのだが、この日決まった。


テレビでは各局、全校の高校球児が咽び泣く様子が映し出させれて、その映像に僕は耐えられなくなり、テレビのリモコンを切ろうとしたが、切れなかった。


ニュースが終わり、テレビを切る。


僕は当時の野球部のDVDを引き出しから取り出し、再生する。


泣いた。



『高校野球だけが特別じゃ無いからな。』


『他の部活、インターハイも中止になってるから、甲子園も中止にすべきだ。』


『野球部だけズルイ』


こんな言葉をよく耳にしたけど、
そんな事わかってるし、わかってるよ!


でもさ、確かにこれが甲子園とインターハイが同じ時期に開催されてて甲子園だけ違う対応になってるなら、言われるのわかるけどさ、インターハイと甲子園2ヶ月くらい開催時期違うし、なら、開催させてあげたいと思うのが普通じゃんか!それで議論してたわけじゃんか!!!


だから、そんなに怒んないでよ!

高校生には関係ないじゃんか!

あとさ、"言う"くらいさせてよ!!!


TwitterとかのSNSとかニュースで球児が、

『確かに命を考えたら、中止はやむおえない』


とか、気持ち抑えて


『この3年間幸せでした。ありがとうございました。』


とかさ、確かにその気持ちはあるけど、本当は、"甲子園中止なんてしたくない"っていうのが絶対本音だと思うし、それをさ、言えないこの世間の感じなんなの?


さっきも言ったけど、『甲子園中止とかこの先何も考えられないし、この先どうやって生きていいかわかんない。』くらいの事言わせてあげてよ。


それ言うのもダメなの?


大人とか関係ない人はさ、

『野球なんていつでも出来る、またやればいいさ』

とか、

『命より大事なものはない』

とか言うけど、高校球児にとって甲子園は『命より大事なもの』なんだよ!

それをせめて"言わせてよ"!!!

『オヤジの栄光時代はいつだよ…全日本のときか?

オレは……

オレは今なんだよ!!』


正直かなり熱くなってしまったけど、僕は何も出来ません。力が無いから、無力です。


何て言葉をかけて良いかもわからないですし、『これを糧にして前を向いていこう』なんて簡単な言葉をかけることも出来ない。

だって、そんなの無理だもん。糧に出来ないもん。

が本音だから。


なので、本当にどんな言葉かけることは出来ないし、何が正解とかわかんないけど、

僕に唯一できる事が、共感と言ったらおこがましいですが、

"この想いを文章にする事"だと、


同じ想いを持ってる大人もいるんだと。

これが無力な僕にできる"微力"です。



高校3年生の時、イップスにかかってしまい、僕は夏の大会の前のノックでエラーを連発し、監督に


『あと一回エラーしたら替える』


言われました。


僕は何とか1時間近いノックでその後エラーしなかったですが、終盤ボールサードの時に、中継のショートへのボールが乱れてコロコロ転がるボールをサードである僕が大事に膝を着いて、絶対に後ろに逸らさない気持ちで取りに行ったボールが外野との芝生の境目でイレギュラーして、僕の又をすり抜けて1メートル後ろで止まりました。


あの瞬間、時間が止まり、僕の"一度目"の夏が終わりました。

あの時の悔しさは、忘れないし、過激な言葉になるけど何度も"死にたい"と思って眠れない日々が続いたけど

何とか何とかギリギリで頑張って、応援歌のボードを描いたり、ブラスの皆と練習したり、太鼓を叩いたり、惨めな気持ちも多少あったけど、応援団長として死ぬ気で応援して、

そして、最後の夏、負けたのに、今まで見た事ないくらい皆で一体となって戦った。


汗の匂い。泥だらけのユニフォーム、夏の終わり。



僕は、あの日見た輝きを超える輝きをまだ知らない。


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