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島のインじぃ言いたい砲台23 〜富野堡塁・手向山砲台 in 下関要塞〜  2023.6.30

線状降水帯の下関要塞

 梅雨は砲台めぐりには最悪の季節かもしれません。
 最初の高蔵山たかくらやま堡塁は1時間ほどで着く予定が山道を2時間歩いても着かない。通信圏外で、自分の位置も方向もわからない。ひたすら山頂をめざして登っていると、霧が出て雨が降りはじめ、遠くから雷鳴も聞こえてきた。
 残念だがもう砲台を探してる場合ではないので、引き返すことにしたものの、山道の分岐点がわからなくなった。仕方がないので、この方向なら戻れるという検討をつけて山の斜面をほぼ直滑降でずるずる降りて(滑って)いった、泥々😭

富野とみの堡塁

浄法寺朝美『日本築城史』1971 p174図42富野堡塁に写真番号付加

 次に向かったのは展望広場と老人ホームの敷地内にある富野堡塁、ここはアクセス良好ですが、掩蔽部えんぺいぶ(言いたい砲台2参照)しか残っていません。
 掩蔽部の前にイノシシのヌタ場があり、気づかずに靴をつっこんでしまいました。帰って靴を洗ったが、しみついたケモノ臭がとれず、強烈にクサい😭

 ①5連掩蔽部と右サイドの1掩蔽部

 掩蔽部は開いたコの字型に、奥に5連と両サイドに1つずつ配置されます。5連入口上部のレンガ抜きスリット通気孔は友ヶ島第4砲台の3連掩蔽部(言いたい砲台19)にもありました。

②左サイドの掩蔽部

 左サイドのみ他の掩蔽部よりひと回り小さく、友ヶ島第3砲台にもあった、照明用の小部屋が左に付属します。火気に対する配慮がなされていることから、弾薬庫等、他の掩蔽部とは違う役割の部屋かもしれません。
 天井アーチがコンクリートである以外は、友ヶ島第3・4砲台に近いものを感じます。完全にブロックで塞がんと、中を見せてくれ〜😠(写真①をよく見ると、窓のブロックに穴が空いとる〜、のぞけばよかった😭)

③小倉市街(中央やや右に小倉競馬場)

 富野堡塁は口径12㎝カノン砲(12K)8門を備え、かって12Kの砲座があった所は、展望広場になっています。西の砲撃方向には小倉市街が一望でき、九州に上陸した敵から下関要塞を守るのが任務です。
 関門海峡と反対方向に砲撃する高蔵山堡塁と矢筈山やはずやま堡塁(これも豪雨で行けなかった😭)も同じ任務で、高蔵山は12K6門と口径15㎝臼砲きゅうほう(15M)6門・機関砲4門、矢筈山は9M4門・口径15㎝榴弾砲りゅうだんほう(15H)6門を備えていました。※1

手向山たむけやま砲台

 24M12門を備えます。臼砲だけで構成される砲台は珍しいのではないでしょうか?

④手向山砲台説明板に写真撮影位置を記入

 ここも公園化されてて元の姿がわかりにくい🤔砲座も埋められていますが、最左翼の砲座のみ石積みの壁の一部が見えています。
 すり鉢状に周囲を土手で取り囲んだ砲座1つにつき2門を設置しますが、榴弾砲の砲座より大分狭い印象です。

⑤24M砲座最左翼

 砲座間の横墻おうしょう(言いたい砲台2参照)の下に砲側弾薬庫ほうそくだんやくこがあり、砲座からスロープで出入りするようになっていたようです。
 砲側庫はブロックで塞がれているので構造がわかりません。表面のモルタルが剥がれた部分を見ると石積みに見えます。とにかく中を見せろ〜😠

⑥砲側庫 
入口上に第四号(右端から数えて4番目の砲側庫)の表記。
その上には起工年月・竣工年月・工役長を記入した石板。

 第1号砲側庫の上部(横墻上)には通気孔が残っていました。

⑦通気孔

 通気孔近くの展望台からの風景です。関門海峡が大きくカーブし、水深が浅くなる大瀬戸が正面に見えます。

⑧関門海峡

 最左翼の砲座から100mほど離れた場所に扇形の観測所がありました。砲座にはどうやって指示を伝えたんでしょう?100m全力疾走?🥵

⑨観測所上部(前方より)
⑩観測所上部(横より)

 しかし砲座と観測所が離れていること以外に、この砲台にはもっと深刻な問題がありました。それは砲座が直線的に配置されていないことです(④図)。
 すべての大砲が同じ正面を向いていれば、何度左とか右と言えば済む話ですが、ここは砲座によって指示を変えなければ同じ方向に向きません。それは直接照準で敵艦を狙えず,観測所の指示に頼るしか方法の無いすり鉢状の砲座では,イタすぎる欠陥であったと言えるのです。
 初期の砲台は、運営上のソフト面とも言うべき、実際の指揮のあり方等が十分に考慮されずに砲台の ハード面の整備が進んでいったようです。※2

⑪観測所下部の掩蔽部

 さらに坂を下ると探照灯たんしょうとうと発電所(言いたい砲台8参照)がありました。

⑫探照灯

 探照灯の縁のコンクリートを見て下さい。他の砲台と堡塁の位置が刻まれています。

⑬発電所

 発電所の平面図です。

⑭発電所説明板より

 この後、笹尾山砲台と矢筈山堡塁へ向かう予定でしたが、雨が次第に強くなってきたのでやめました。
 冒頭写真は笹尾山砲台直下から関門海峡を撮った写真で、左前の山が手向山砲台です。九州側のこの2砲台と、山口側の筋山・田の首の2砲台で、海上交通の要衝である大瀬戸を挟み込むように砲台を配置しました。
 笹尾山は28M10門、筋山は24K6門、田の首27K4門の配備です。

 高蔵山堡塁の竣工しゅんこう(完成)が明治33年、矢筈山堡塁が明治31年、富野堡塁が明治28年、手向山・笹尾山・筋山砲台が明治22年、田の首砲台が明治21年と、下関要塞は長期間にわたって整備されてきました。
 今回は消化不良で予定の半分しか行けなかったのに、古い砲台が目新しかったので文章がいつもの倍近くなってきました。今回はこの辺で。

※1 各砲台・堡塁の配備砲種・砲数等については、『福岡県の戦争遺跡』福岡県教育委員会2020を参考にした。
※2 手向山砲台だけでなく、田の首・筋山砲台も直線的に砲座が配置されておらず、明治20年代までの砲台にはこのような構造的欠陥がありがちだったことについて、防衛大学校由良富士雄准教授から直接の教示を得ました。心より感謝の意を表します。 

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