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現地コーディネーター:第15話

 二階の部屋のドアを開けると硬質な電子音がカズマに浴びせかかった。十畳程度の室内は薄暗く、四方の壁に取り付けられたブラックライトだけを頼りにカズマは部屋の様子を観察した。パワフルなスピーカーから響く四つ打ちのビートが股間を突き上げてくる。

 酩酊状態の学生三人が部屋の中央で暴れ踊っている。その脇には床に座ってジョイントを吸い回している連中、人目を憚らず愛撫をするカップル、ドラッグをキメ過ぎて床に突っ伏したまま動かない者などがいた。昔よく出入りしていたブルックリンの地下パーティーを思い出し、心臓の鼓動が高鳴った。まだシャーロットと出会う前の話だ。目の前の全てに純粋な好奇心を抱いていた頃―理解しようと目の前の全てを直視していた頃―。

 ビートに合わせたステップを踏みながら暗闇を美しく舞うシルエットが部屋の中央に飛び込んできたージョディだ。その軽やかさは妖精のようであり、力強く地を踏むステップはどこかの祈祷師のようでもある。カズマは彼女の動きに見惚れた。

 曲が少しだけ穏やかな曲調の物にフェードすると彼女は踊りを止め、部屋の隅に置いたハンドバックから何かを取り出し、耳掻きサイズのスプーンをかき回し始めた。少しテンポの早くなってきたビートに体を揺らしながらカズマはジョディの元に歩み寄る。

「あら、来てくれたのね。あなたもどう?」
 ジョディが白い粉の載ったスプーンを渡すとカズマは躊躇なくそれを右の鼻付近に運び、左の鼻を抑えて思い切り吸い込んだ。ほろ苦い唾液が鼻腔を通って喉の奥にどろりと流れてくる。

「モーリーもあるわよ。もし欲しければ」
「ありがとう。でもオレは化学薬品は信用してないんだ」
「なんで?」
「人間が発明したものだから」
 ジョディは皮肉っぽくクスッと笑い肩を竦めると一足先にダンスフロアに戻ってうねるようなサイケデリック•トランスの野生的な鼓動に自分の肢体を一体化させる。ブラックライトが汗で光る黒い肌を撫でるように照らす。既に効き始めてきたコカインの効果がカズマの心拍数をあげる。測ったかのように曲のBPMも上昇し、曲はいつの間にか自分が昔踊り狂ったドラムンベースに変わっていた。

 一分百六十回のビートに合わせ、カズマはドレッド頭を前後に激しく揺らして縦横無尽に飛び跳ねる。幻覚系をキメた学生達は突然入ってきた気狂いじみたアジア人を不思議な動物を見ているように観察している。

 ジョディはカズマの踊りを微笑ましく見つめた後、カズマを挑発するようにくびれた腰をくねらせ近寄った。カズマはそれに気づくと同時に自身の動きを緩め、彼女のリズムに合わせて力強く地を踏む。二人は見つめある視線を固定させたまま、くっついては離れを繰り返し、部族の儀式のように息の合った一つの踊りを完成させた。

「俺たち、似た魂の持ち主だと思うよ」
 カズマは激しすぎるビートが少し落ち着くのを見計らってジョディの耳元で囁いた。

「ツインソウルってことかしら?」
「スピリチュアルの世界の事はよくわかんないけど、そうかもね」

 ジョディは愛おしそうにカズマの頬を撫でた。彼女の温かい手は汗でぐっしょりと濡れている。カズマはほぼ無意識にジョディのなだらかな腰に手を回すと彼女はその手を自分の太腿に持ってくる。カズマがたまらずその付け根の奥にある秘境を探ろうとするとジョディは優しくそれを振りほどいた。

「悪い子ね。まだダメ」
「ごめんごめん。この手が勝手に暴走して」
「ちゃんとコントロールして」

 ジョディは再びカズマの手を取り、自分の頬を撫でさせた。そしてモーリーでとろけた目でカズマを見つめる。カズマの指が彼女のふっくらした唇に触れると、ジョディはその指を優しく舐め上げた。カズマは自分の指の上から唇をそこに重ねる。ジョディは攻撃的にカズマの口に舌を入れてくる。張りのある舌が蛇のようにカズマの舌の裏を弄る。カズマは思わずジョディの丸く突き出した尻を強く握った。煽るようなアップテンポの激しい音楽に従うがまま、カズマは彼女を部屋の隅に追い込んだ。首筋を愛撫をしながら彼女のワンピースのスカート下に手を入れると湿っているのがわかる。

「もうちょっとプライベートなところに行きましょ」
 ジョディは喘ぎながらも息を整えてカズマに伝えた。

 カズマは頷くとジョディの手を握り、部屋を出てすぐのバスルームのドアを開けた。急に明るい蛍光灯の光は二人の目を眩まし、お互い不快感を露にした。後方で小さくなっていくドラムンベースの曲にクロスフェードするようにカズマの携帯の着信音が鳴る。

 案の定、シャーロットからだ。

 カズマは空を仰ぐ。ジョディの冷たい視線を感じる。カズマは携帯を無視して再び彼女の唇を舐めようとするが、彼女はそれを突っぱねて携帯を取るように促した。カズマは仕方なく一旦バスルームから退出し受信ボタンを押した。

         *


 同じベンチに座ったまま動かない従兄妹同士の周りには、学生たちが置き捨てた空缶だけが増えていた。深夜が近づくにつれ連中の乱痴気騒ぎは度を越えていき、目の前のゴミ箱に本気のダイブをして流血する男をみた時はさすがに笑ってしまった。

 アメリカ映画を見ているような錯覚は消えず、自分はこれからもただの傍観者として人生を送るのだろうとエドウィンは悟った。そして世界は自分に気づくことも交わることもなく目の前をただ通り過ぎていくだけなのだ。

「私たち、似てるわよね」クリスタルが呟く。
「従兄妹だからね」
 エドウィンの返事に少し苛立ったように彼女は語気を強めた。
「そういう事じゃなくて。自分の環境に満足してるわけじゃないのに、そこから出ていく勇気もなくて。周りの世界に興味はあるのに怖さが先立って、だから興味ないふりで誤魔化して」

 エドウィンは自分を見透かしたような彼女の言葉に面食らった。
「ジェフ叔父さんが無理矢理送り出さなければあなただってアメリカなんて来なかったでしょう?」

 その通りだ。エドウィンが申し訳なさそうな表情で小さく頷くとクリスタルはその様子が可笑しかったのかクスッと笑ってくれた。

「あなた日本は好きなの?自分のいる環境に満足してる?」
 エドウィンはどちらでもないと答えると、クリスタルはもうすっかり気が抜けているビールを飲み干した。そしてあどけない顔に似合わない大きなげっぷをし、エドウィンの目を凝視しながら続けた。

「私は満足してない。同じところでずっと同じ生活するのに飽き飽きしているのに、それを変えるのも怖いの。最初の一歩が踏み出せないの」

 返す言葉が見つけられず、エドウィンは腕時計に目をやった。もう11時半を回っている。そして立ち上がるとカズマを探してくると伝え、自分の中にある少しだけの勇気を振り絞って異様な雰囲気の漂う二階の角部屋に向かった。

          *


 シャーロットに電話を切られたカズマはその場に立ち尽くした。女の直感は侮れない。どんなに落ち着いて状況の説明をしても信じてくれた気配は一切なかった。厳密には自分は嘘をついていないーいくつか話していない事はあったけど。ついさっきまでの性的衝動は消え、軽い頭痛がした。戻ろうとバスルームのドアに手をかけると向こう側から勢いよく開いた。出てきたジョディは怒りを顕にした目つきでカズマの顔を一瞥した。

「結局あんただって黒人が珍しくてヤリたかっただけでしょ。自分は特別なんだって。黒人も白人も虜にできるって。薄っぺらいエゴのために私を使わないで。ファック•ボーイ」

 ジョディは冷たく言い放つと足早に去っていく。数分の間に豹変してしまった態度に呆気に取られたカズマは後ろ姿を目で追うしかできなかった。そして向こうからジョディとすれ違ってこちらに来るエドウィンの姿が見えた。

「もう時間なんで帰りますよ。クリスタルも待っているし」

 エドウィンは軽蔑を隠そうともせず面倒くさそうに言い放った。カズマはただ頷き、肩を落としながら階下に向かった。さっきまで気分を高揚させた騒音が今となっては鬱陶しくて仕方ない。

1〜14話はこちら↓


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