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現地コーディネーター:第34話

 ウィンドレイザーの運転する旧型アウトバックが岩肌の間を心地よくすり抜けてゆく。グランドキャニオン国立公園を示す標識が見えてくると、助手席のエドウィンは興奮気味に後ろに座るカズマの方を振り返った。

 カズマは珍しくもの静かで、まるで自分だけの映画を観るように荒野の景色をじっと眺めている。車と一体化しているかのように慣れた手つきでハンドルを捌くウィンドレイザーはグランドキャニオン南端の入り口に車を進めると、ブースの管理人から通行証をもらい徐行して敷地内に入っていく。

「ここはすっかり観光地になってしまったけど部族証明書があれば無料で入れるんだ。たまには得する事も無いとな」
 ウィンドレイザーは二人の若者に屈託無く笑いかけた。

 敷地内に入ってからも十分以上車は走り続け、エドウィンは思わず「グランドキャニオン」をスマホで調べる。この国立公園は東京都の倍以上の面積らしいという情報を得てあっけに取られた。

 公園内の道はしっかり整備されており、居留区とは大違いだ。海外からわざわざ人が来るほどのアメリカの誇る観光名所なのでアメリカ政府も資金援助を惜しまないらしい。道の脇に並んだ灌木も心なしか荒野のそれと比べ行儀よく立ち並んでいるように感じた。

 やがて古びた石造りの望楼が現れるとウィンドレイザーは目の前の駐車場に車を停めた。そして二人を先導して望楼と反対側の切り立った崖に向かって舗装された道を二分ほど歩く。崖っぷちに立つと目の前には巨大な峡谷が広がっていた。ゴツゴツした岩が形成したむき出しの山。長い年月をかけて削り取られた岩肌は、様々な色のグラデーションで成る地層をさらけ出している。エドウィンは見たこともない桁違いの迫力に圧倒され言葉を失った。

 人が乗れそうなくらい分厚い雲はゆっくりと形を変えながら動き、その向こうにある大きな太陽の姿を少しずつ現わし始める。雲の隙間から力強い光がこぼれ、幾多の地層を一つずつ明るく染めていく。

 ウィンドレイザーは少し離れた場所でまるで祈るように何やらナバホ語で呟いている。エドウィンは我に返るとウィンドレイザーに歩み寄った。

「どうだい?」ウィンドレイザーは穏やかに尋ねた。
 表現するのに十分な単語をエドウィンは知らず、ただ大きく目を見開いて「ワオ」とだけ答える。

「私たちの先祖はここでずっと暮らしていたんだ。四千年も前から」
「そこを白人たちに侵略された…。怒りも大きいでしょうね」

 ウィンドレイザーは言葉を選ぶように答える。
「もちろんそういう人も大勢いる。でも地球というのは誰かの所有物ではないと私は思っているし、先祖もそう考えていた。だから惜しげなく白人にシェアしたんだ。未開の地を所有するのに夢中だった彼らにはそんな事は理解できず、全て略奪したけどね。でもそういう行為はいつか地球自身によってしっぺ返しをくらうだろう」

 エドウィンはロニーが声高に叫んでいた「カルマ」という言葉を思い出していた。ウィンドレイザーは続けた。

「ネイティブにこんな神話がある。大昔、創造主が人間を赤•黒•黄•白の四種に変え、それぞれを東西南北に散らばらせた。それぞれに土と水と風と火の守護をするように命じてね。我々赤い種族には地球や植物の教えが与えられ、自然と共存する方法を学んでいった。黒い種族には水の教えが与えられた。黄色い種族には呼吸の知識が与えられ、空との共存を学んだ。白い種族は火の教えが与えられた。電球や機関車などを発明したのも白人だね?」

 エドウィンは興味深く頷く。

「火は自ら動き、触れるものを焼き尽くす。やがて白人は地球の表面を動き始めた。そして彼らは火を悪用してしまった。創造主は最初にこう言っていた、もし最初の教えを守らないと、いずれ人類も地球も滅びてしまうと」

 エドウィンは自分が責められたような気がして俯いた。ウィンドレイザーはそれには気づかず話を続ける。

「しかし同時に白人は四方に散らばった我々を再び結びつけてくれた。創造主はこうも言っていた。『いつか君たち人間がまた再会した時、それぞれの知識をシェアしなさい。そうすれば地上に平和が訪れ、人類家族として偉大な文明が起こる』と」

 エドウィンはニュースで垣間見る人種や文化の違いに根ざした無数の争い、そして自分がこの旅で出会ってきた様々な種類の人間の事を思い出し、絶望と希望の混じったため息をついた。ウィンドレイザーは優しく彼に微笑むと、前に広がる峡谷に再び目を向けた。

 果ての見えない景色をじっと見つめていると、太陽が一ミリ単位で少しずつ沈んでいくのが肉眼でわかる。それと同時に深い峡谷のの断面に少しずつ影がかかり、谷間を流れるコロラド川が夕陽をキラキラと反射させている。地層の色が曖昧に薄くなるのとは反対に、空は青、ピンク、オレンジの層にくっきりと分かれて染まっていく。そしてその自然の偉大さを祝福するように赤い砂が風に運ばれて宙を舞っていた。

 エドウィンは少し離れた所で一人で景色を眺めているカズマに目やった。珍しく何かを黙考していて、そこには物悲しささえ感じられた。

太陽が冷え込んでしまったら何がそれを照らせるのだろう?

「彼にも彼なりの苦悩や葛藤があるんだよ。彼にしかわからない孤独な戦いがね。でも太陽はいつも必ずまた昇る」

 ウィンドレイザーは諭すようにエドウィンにつぶやき、目を細めて地平線の方に目をやり、大きく手を広げて空を仰いだ。それはまるで自分には見えない何かを見ているようだった。

 太陽の姿が地平線の向こう側に完全に隠れてしまうとエドウィンは黙って目を閉じた。飛び交う鳥の鳴き声、風の音、木々の囁き。

 この世界は決して悪くないのだ。

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