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現地コーディネーター:第32話

 家に入るとウィンドレイザーが先導して案内してくれた。簡素なリビングスペースにナバホ•ネーションの国旗や、細かく織られた幾何学模様の絨毯、
周縁に羽飾りのついた平太鼓などが壁に飾られている。

 彼は十年以上前に妻に先立たれて以降一人暮らしをしているらしいが、男やもめにしてはしっかりと管理が行き届いている印象だ。母が先立った
らジェフはどうするんだろう、と考えるとエドウィンはゾッとした。

「あれは何のシンボル?」
 キッチン脇に飾られた布製ポスターに記載された白黒赤黄の四色に等分された大きな円をエドウィンは指差した。ウィンドレイザーは嬉しそうな顔で、それぞれの色を皺の深い指でなぞる。

「メディスンウィールと言って、この世のあらゆる物が四つのサイクルに集約されている事を示したものだよ。東西南北、火空水地。もしくは精神•感情•知性•肉体。春夏秋冬もそうだな。四というのは神聖な番号なんだ」

 感銘を受けた様子のエドウィンがそのポスターを眺め終えるのを待ち、それからウィンドレイザーは二人をキッチンに案内した。

「決して水道水は飲まない事。必要ならこのタンクから飲むよう。でもここでは水は貴重だから必要以上に使わないでな」

床に置かれた巨大な業務用の水タンクを指差しながらウィンドレイザーは忠告した。

 エドウィンは冷蔵庫に一枚の古びた写真が貼ってあるのに気づく。二十代後半くらいの長髪の男ははっきりとしたウィンドレイザーの面影がある。隣には亡き妻と思われる目鼻立ちの整った長い黒髪の女性がいて、二人の間につぶらな瞳の少年が二人の手を取り歯をむき出して微笑んでいる。それはどことなく戦後の日本人の家族写真のように見えた。

「これはあなたの家族ですか?」
 ウィンドレイザーは目を細めて答えた。
「ああ、妻は亡くなってしまったがね。この写真を撮った一年後くらいかな。飲酒運転した青年に轢かれてね。ひどい事故だった」

 エドウィンが思わず顔を歪めると、ウィンドレイザーが続ける。
「気にしないでくれ。きっと見守ってくれているはずだから。息子は保留地を出てフラッグスタッフの建設会社で働いているよ」

 保留地から出たネイティブが得られる仕事は土木作業などの肉体労働か政府から特別許可を得たカジノの従業員などで、それでも仕事があるのは幸運な事だ、とウィンドレイザーは続け、小さな窓の外に目をやった。太陽は大分低くなってきている。

「陽があるうちに手伝ってもらおうかな。君たちの泊まる場所は夜
冷え込むから、薪をくべないと」

 ウィンドレイザーは裏口の軋むドアを開け、二人を促して外に出る。むき出しの大地を二十メートルほど歩くと、ドーム型の建物が目に入る。赤茶けた外壁はよく見ると土で塗り固められていた。

「あれはホーガンといって伝統行事や儀式を行う大事な建物だ。昔祖先は皆ホーガンに住んでいたんだ。…そして今日は君たちの宿になる」

 中に入ると丸太を組み上げた構造になっているのがよくわかり、床は外の大地から続く剥き出しの赤土のままだ。この直径十メートル程度の薄暗い空間の隅には毛布や簡易布団が置いてあり、中心部には鉄製の暖炉が鎮座している。暖炉の上部に繋がった金属筒がホーガンの天井から煙突のように空に向かって突き出している。

 エドウィンはこの独特の空間で寝るという事になぜか気分の高揚を感じた。旅前の自分ならこんな所で地べたに寝るなんてとても受け入れられなかったはずなのに、不思議なもんだと自分でも思う。

 ホーガンからさらに二十メートルほど進むと、粗末な木造の倉庫があった。ウィンドレイザーが扉を開けると、地面に無造作に積まれた丸太の束が目に入る。

「まあこれの四分の一くらいかな、三日くらいは持つだろう」
 ウィンドレイザーは壁のフックにかかった金属バット大の斧を取り外すとエドウィンに手渡した。
「じゃあ、よろしくな」
 ウィンドレイザーは二人を残して歩き去った。

 カズマとエドウィンは倉庫の隅にあった錆びた手押し車に乗るだけの丸太を積み、でこぼこした大地の上を転がしてホーガンの脇にその束を落とす。その動作を三度繰り返すと丸太の小山が出来た。

「お前、薪割りしたことある?」
 エドウィンは思わず苦笑して首を横に振った。そんな質問されるのさえ生まれて初めてだ。

「最初は俺がやるから見てて」
 カズマは短く平たい丸太を地面に固定し、その上に全長五十センチほどの縦長の丸太を垂直に置いた。斧をまっすぐ振り下ろすと丸太は扇形の弧を描いて真っ二つに割れる。

 カズマはエドウィンに斧を渡した。簡単そうだーエドウィンは同じように斧を振り下ろす。刃が丸太の芯にハマってしまい途中までしか割れない。力ずくに斧を貫通させようとねじ込むとカズマは慌てて止めに入った。

「腕に力入れても薪は割れない。腰に力入れて腕は振るだけ。で、まっすぐに丸太の中心に振り下ろす。左手は添えるだけ」

 そう言ってカズマは斧を侍のように構え、すっと垂直に振り下ろす。そんなに力は入れて無さそうなのに、斧はエドウィンがたどり着いた位置よりはるかに奥まで突き刺さっている。

「これで斧が入った瞬間にグッと力を入れりゃ最後まで貫通する」
 綺麗に割れた薪を見て悔しくなったエドウィンは斧を奪う。
「別に薪割りなんてうまくたって将来の役には立たないっすよ」

 エドウィンは憎まれ口を叩くと新しい丸太に垂直に斧を振り下ろした。丸太が真っ二つに分かれると思わず笑みがこぼれてしまう。勝ち誇った顔のエドウィンにカズマが冷静に呟いた。

「その通り、薪がうまく割れたところでお前の将来の役には立たない。でも今晩凍えないための役には立つ。…じゃああとはよろしく。疲れたら交代するから呼びにきて」

 したり顔で歩き去ろうとするカズマを呼び止める。
「ねえ、さっきウィンドレイザーが言ってた水の話…。砂漠だから水が少ないのはわかるんですけど、何で飲めないんですか?」
「お前、親父から聞いてないの?」カズマはエドウィンを見つめる。
「いや、何も」

 カズマは大きく息をつくと、急に深刻そうな表情になる。
「ここは放射線量が高いんだ。昔企業がここでウラン採掘をやっててさ」

 デビッドが話していた事がつながり、エドウィンは反射的に口を手で押さえた。カズマは苦笑し話を続ける。

「まあ何十年も前の話だから空気吸ってもそんなに害はないだろう。でも水は半永久的に汚染されたみたい。炭鉱の汚染とかもあって」
「彼らはなんでここを出ていかないんですかね?」
「先祖代々守ってきた土地だし、彼らにとっては土地ってのは何よりも大事なものなんだ」

 カズマはそう言い放つとウィンドレイザーの住む平屋に歩き去っていく。残されたエドウィンは彼らが長年強いられてきた屈辱を想像し、そのやりきれない思いを込めるように斧を薪に振り落とした。

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