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目は心の鏡

 見えるものは鏡で見ることができるが、見えないものを見るためには、投影する対象が必要になる。さらに思考による分断が働くと、物事が受け入れられものと受け入れられないものに仕分けされ、対立が生まれる。

 眼を眼で直接見ることができないように、意識を意識する事が出来ない。すべての対立するものは相互依存である。

 これが受け入れられなければ、正しさと誤りは調和せず、真理は偽りを追い出そうとする。つまり、自分が何者であるかを直視しなければならない。

 しかし、人という存在は、自分と自分以外との関わりの中で自らを定義する仕組みになっている。

 「自分を完全に知る」こと、すなわち「知っているものと知られているものの一体化」は、常に視野にありながら決して到達することはない。言い換えると、登山の究極のゴールは、登ることでしか到達できないが、頂上は常に登山者の目の前にあり、登山者は永遠に登り続けなければならない。

 心は選択的共振から磁石のように引き寄せられる。この磁石は磁力が固定されているわけではなく、その強さも引き寄せる物質も刻々と変化する。私たちが生まれたとき、確かに物理的空間はすでにあった。

 人生は時空を手探りで進んできたかのようだが、実際は逆で、自分自身は常に座標軸の中心にいて動くことはなく、周囲の世界は自分という点に向かって流れているようなものだ。

 自分を取り巻く世界が動くとき、目の前を通り過ぎる無数の物や人から、ある特定の情報を拾っているのが現実世界であるといえる。

 求心力は、その人の過去の行いによって決まり、磁石としての強さや引き寄せるものは、その人が今何をしているか、何を考えているかによって変化し続ける。

 つまり、砂と鉄の混合物から磁石で鉄だけを取り出すことができるように、どんな世界が住みやすく快適なのか、人々の間に同一性はない。

 そして自然界には、ある生物の生息地が他の生物にとって、住みにくい環境になっている場所がたくさんある。

 自分にとって便利で快適な環境は存在せず、この世の出来事は自分と他者との関係性の中でしか発生しない。つまり、単独で存在できるものなど、どこにもないのだ。


 自分を取り巻く世界を変えたいと思うのなら、それはきっと簡単なことだ。あなたの内面の世界は、外の世界と同じように冷酷であり、同時に善良でもある。

 写真のネガとポジが反転するように、同じものを見ても一瞬で変身してしまう。自分が変われば世界は一瞬で変わる。


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