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あなただけに(超個の帯域)

 精神活性物質の使用によって別の人格が体内に入り込んでしまい、その体験を通して別の次元に存在するものたちとの交流やヴィジョンを通して情報を授かり、あるサイトに導かれた。

 精神疾患で見られる症状と同じ症例があったため、私もその一人にさせられたのだと思う。面談では発言しか認められず、根拠となるものを提示する権利が与えられていなかったため、どうすることもできなかった。

 病棟の人たちと交流し、プログラムを進めていくうちに妄想では片付けられないような話や共通点がある。

 神経学と精神医学の見解の違いや入院患者の症状の共通点を発見するにつれ、量子力学や共時性現象、電磁気学や素数を勉強すれば、神話や歴史の真相に迫ることができるのではないかと考えた。

 共通言語としての数字の世界があり、幾何学的なパターンなどを分析することで、知りたいことの先が見えてくることがある。

ヤン・プロフォースト「キリスト教の寓意」

 今でも、頭に浮かんだキーワードや書きたい衝動に駆られたときは書き残すようにしている。それが精神障害のひとつであるなら、それでもいいと開き直ることさえある。

 古代や現存する宗教儀式や説話には、幻覚・幻視・幻聴体験が数多く存在している。それを精神障害と診断するのは、現代医療が遅れているんじゃないか?と思うときがある。

 本人が望んでいない症状で苦しんでいる人を見ると、私は心からその人の安全と平安を願う。

2015 4/3


実存のレベルと心のレベルの間に、もっとも神秘的で誤解されやすく、一般に恐怖や当惑をもって受け止められる未踏のスペクトルの領域が横たわっている。

超個の帯域である。

この帯域は「魂の闇夜」として体験されることもあれば、阿弥陀如来の無量寿光として体験されることもある。

ここで人は、菩薩や天使のヴィジョンと出会うこともあれば、無数のマーラ、すなわち原型的な悪魔に囁きかけられる場合もある。

「内なる案内人」を発見したり、この識閾に住む恐ろしい住人の手に落ちたりするのもここである。

アイデンティティが身体の外へと移行することもあれば、アストラル旅行に連れ去られることもある。

ESP、透視、透聴といった超常現象が起こったり、「過去生」を再体験したり、未来の出来事に自らを投影したりするのもここである。

もし、あいまいな領域が存在するとしたら、それは、この超個の帯域をおいてほかにない。

これらの帯域が、歴史的に他の帯域と広範に研究されてこなかったことは、いくつかの理由がある。

第一に、それらは大半の人をびっくり仰天させる。

第二に、正統な精神医学が、それらを精神障害の兆候とみなしてきた。

第三に、覚者たちはそれらを「魔境=もっとも欺瞞的な性質の幻覚」とみなした。

神秘体験とは元型の体験なのだ。つまり元型とは、究極の指示者であるとともに最後の障壁なのである。

あなたが観察するすべてのものは、観察しているあなたである。

主体と客体が消滅するのではない。それらの溝(ギャップ)が消え去るのだ。というよりむしろ、最初からそのような溝がなかったことが判明し、「主体的」とか「客体的」という形容詞が、まったく意味をなさなくなるといった方がいいかもしれない。

そのレベルに特有の「欲求」、「本能」、「衝動」、潜在的な可能性や価値、知の様式(そのレベルの無意識のプロセスによって与えられる)、夢の素材、そしていうまでもなく主要な二元論(抑圧ー投影)および、それによって引き起こされうる不調などに敏感になるのだ。

見られているのは自我であり、見ているのはである。

ケン・ウィルバー

大きな危機を待つ必要はない。それに自分がどう反応するかを見てみたまえ。それを自覚し、自分の反応や意図や態度を自覚すれば、それらを理解し、自らの背景(バックグラウンド)を理解することになろう。

わたしは保証する。自分の全注意をそこに向ければ、それはすぐに実現することができると。

もし、自分の背景の全体の意味を探究すれば、その背景から意味が生じ、一挙に真理を発見し、自らの問題を理解する。

理解はつねに時間のない今、現在から生じてくる。

真理の認識に準備は要らない。準備は時間を示唆し、時間は真理を理解する方法ではない。時間は持続であるが、真理に時間はない。

ジッドゥ・クリシュナムルティ

自己実現へつながる唯一の尋問は、心を内に向け、「わたし」という言葉を口にせず、「わたし」の源を探ることである。

シュリー・ラマナ・マハルシ

沈黙したまま穏やかに、すべての言葉を忘れる。

明瞭にくっきりと(それが)現れる。

人がそれを悟るとき、それは広大で限りがない。

それは本質において、純粋意識である。

一心に、この輝く自覚を映し出せば、この純粋な反映は驚きに満ちている。

無限の驚きが、この静寂の隅々に浸透し、この啓示のなかで、すベての意図的な努力が消え去る。

沈黙は最後の言葉である。

宏智正覚


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