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昔からの夢をあきらめる必要はない


 家庭で自分の居場所がなく、夫婦喧嘩や家族との衝突が絶えないことを学校や同級生に知られたくなかった私は、とにかく明るく無邪気に振る舞い、何も問題はないと自分にウソをついて誤魔化すことに専念していた。

 小学校の卒業文集に「夢」と一言書いたのを覚えているが、本当は将来、自分が何をしたいのか、理想の未来はどうなっているのかが思い描けず、現実的な夢を持つことよりも夢物語の中に自分の居場所を作ることが、楽しみだった。

 私が物欲で心を満たしたり、他者との関係を割り切ったりすることが苦手だったのは、きっと幼少期を強く反映しているのだろう。

 親に認められたいという欲求は、親から離れると他者や社会に向けられ、自己肯定感をフラットに評価できず、ネガティブ思考に突き動かされた欲求は達成されても、どこか空虚なままだった。

 何が自分をそうさせているのかわからないまま明確な目的がないため、逆境や困難を糧にすることにも、達成することにも満足できなかった。

 何をしても自分自身を認めなかったため、闇雲に自分を磨耗しているだけで、磨いていることではなかった。

 別れ際に嫁に言われた言葉が「自分を大切にしてください」だった。本当に申し訳なく思った。

 好きで大麻やキノコに手を出し、外に出れば殴り合いのケンカをして血だらけで帰ってくることがあっても何も言わず、聞くこともなかった。それが余計つらく、人のやさしさが傷つくことを知った。

 嫁に「私がいないとダメになる」と思わせてしまい、そんな私は「彼女がいるから頑張れる」というより、「何があってもずっとそばにいてくれるだろう」という甘えで一緒にいた。

 卑怯者が嫌いなクセに私が彼女にとって一番の卑怯者だった。自分の生き方を全うすることが夢と勘違いしていた。私の夢は一体何だったのか。

 それが自分のエゴであり、執着であり、幼い頃に両親から与えられたコンプレックスがそうさせていたと知ったとき、私のアイデンティティは一瞬にして崩壊した。

 失ったものは大きいが、本当の私が何を望んでいるのかを考えるきっかけになった。自分自身と真剣に向き合い、丁寧に生きていけば、必要なものが与えられると信じながら生活を送ると決心した1日だった。

2015 6/9


もし人間が、おのれの愛の真の本性、真の対象を認識しえないならば、取り返しのつかない深刻な混乱が生じる。

全体を目指すべき情熱をあまりに卑小な事物で満足させようとあくせくする人間は、当然のことながら自己の試みの物質性と多様性を増大させることによって一つの根源的不均衡を埋め合わせようと努めることになるだろう。

愛はエネルギーの聖なる貯えであり、いわば精神的進化の血に他ならない。

愛は、その完全に二元化された形態においては、生殖への単なる呼びかけよりもはるかに幅広い機能を果たすことを目指している。

男性と女性とのあいだには、感応力と精神的豊かさとを増大させる特殊な相互的能力は、どうやらまだ眠っているらしい。この能力は美しいものと真なるものへの抗いがたい飛躍となって解放されることを待っている。

精神化された愛は、昇華のある段階を越えると、それ自体にそなわっている直観と相互交流の無限の可能性によって未知の領域に入り込む。それは謎を秘めた未来において、われわれが見るところ、待望される一群の新しい能力と意識とに合体するであろう。

ピエール・テイヤール・ド・シャルダン


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