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リキがうちに来て、11年になりました。

わたしの保護活動(個人での範囲なのでそれほど大したことは出来ていませんが)のきっかけを作り、そして何よりもわたしの世界そのものを大きく変えてくれた「運命の犬」、リキ(本名・りき)が我が家にやって来て11年を迎えました。

11年前の今日、1月20日に譲渡会にてうちに来たリキ。
けして大袈裟ではなく、わたしの「本当の人生、生きる意味」は11年前の今日始まったのだと思っています。

それまでのわたしは、人生において「楽しむこと・勝つこと・出世すること」が目標でした。
世界で一番大事な人は誰かと自問したとき、その答えは「自分」でした。
そのすべてを、いとも容易く覆したのが、リキです。


家庭を持ったり子供が出来ると、「自分の生きる意味」が変わったという人は多くいると思います。
わたしにとって、リキがその最初の子供でした。
姿かたちは犬でも、自分の目指していたものやその他すべてを放棄してでも、「その子にとっての幸せ」を守りたいと思わせる存在。
その判断を、苦渋の決断ではなく幸福な気持ちで選択させてくれる存在。

わたしはこれまで何度も、こう想像しました。
「もし、あの時より少し前に戻って、この子と出会わない運命を選択できるとしたら。この子とは出会えないが、当時自分が望んでいた立身出世が高い確率で約束される過去に戻れるとしたら」
それを考えるだけで、わたしは怖くなります。

この子と出会っていない人生なんて、無に等しいということを「解って」いるから。今や自分の命よりはるかに大切なのに、それを手放す(選ばない)ということは、不幸どころかもはや恐怖でしかないのです。

リキもそうですが、リキの後にうちに来た保護犬・風太や花、幸太。
彼らはもう亡くなってしまいましたが、犬や猫と共に暮らしていると思うことがあります。

彼らは、どんなに優秀な先生より遥かに優れた師であり、
どれほど修業を積んだ仙人より、魂穏やかで澄んでいるということ。

彼らの高潔さは、ヒトはとても及びません。
ただペットとして可愛がるのではなく、1年、たった1年でもいいです。
1年の間、彼らをひたすらに見て、共に暮らしてみてください。
わたしはそうしました。
文字通り、「ひたすら彼らを見て暮らす」ため、仕事はしませんでした。
朝から晩まで、彼らを見て、その姿勢から学び、共に暮らして心を通わせる。
わたしは仕事などせず、ただただ彼らから「学ばせてもらう」ために、まるで弟子のように彼らの傍にずっと身を置いて、一挙一動をひたすらに眺め、その卓越した精神と慈愛に「これは人間が敵う相手ではない」と感嘆するばかりでした。

最初の師であるリキ。
そして最愛の子であるリキ。
うちに来て11ワンワン年。年齢も、先月12月に11ワンワン歳になりました。

高齢となり、若かったころは張っていた後ろ足の腿も、ずいぶん細くなりました。それでも元気に駆けたりして、若さの名残を見せてくれています。

永遠に共に暮らすことが無理なのは、わかっている。
あなたの命はいつかその体を離れる。わたしの命もだ。
けれど、永遠に想うことは出来る。
永遠に共にいることは出来る。
わたしにはその確信がある。
そしてそれを証明するのに、どんな証拠も何一つ必要ないということも。


それでも出来るだけ長く、共にこの世に在りたいと思う。
あなたからもらう思い出や記憶は、どれだけあっても余ることなどないのだから。

リキ、うちに来て11周年、有難う。


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