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いちいち幸せかどうかなんで確認する必要はないのに。

スーパーに出かけて、必要なものをカゴに入れていく。8割がた埋まりかけた頃に強烈な感情が押し寄せてくることがある。
ぐわっと暴力的なまでに腹の底、胸の奥あたりから湧いてきて全身を痺れさせる。

週末のまとめ買いに利用する比較的大きめのスーパーにいくと、なぜか必ず買い物の中盤あたりで湧き上がる感情に襲われる。腹の底からの「幸せ」という感情。
私のこの買い物は、家で待つ家族の為のもの。彼らの好物を物色してカゴに放り込んでいく作業。
そこにいる自分よりも、不在の彼らの存在の方が圧倒的に大きい。
その幸せな感情は走り出したくなるような叫び出したくなるような、やっかいなものだ。

新婚の頃、私は毎日幸せだった。
関西から東京に引っ越してきたばかりで、荷ほどきに加えて結婚と引っ越しにまつわるありとあらゆる手続きに追われていた。
夜になり、旦那の帰宅時刻が近づいてくるとそわそわして、なんどもベランダから外を確認していた。
それと同時に、いつも最悪の事態の想像をしていた。
幸せの真っ只中で。
事故にあってないかな、トラブルに巻き込まれてないかな、このまま帰ってこなくて1人になったらどうしよう。。。

幸せすぎて怖いというセリフはこういう時に使うのかな、といつも思っていた。
環境が変わって実際に不安だったのかもしれない。
誰かの不在が自分を打ちのめすかもしれない事が恐ろしかったのかもしれない。
生活が落ち着いて、私も仕事をするようになるとその感情は穏やかに収束していった。

でも、昔から最悪の自体を想像することをやめられない。
旅行先で事故にあって、私以外の家族が死んだらどうしよう。
散歩にいった子供達が帰ってこなかったらどうしよう。
病気になったら、怪我をしたら、、、、

大抵それらは、幸せな時にやってくる。
幼稚だなと思うし、人生にはいろんな出来事がおこることもわかっているのに、不幸の予行演習をしてしまう。
そしていつも、不幸の予行演習ができてしまえるぐらいに今が幸せなのだと確認をする。

それにしても、特定のあのスーパーだけでなんであんなことが起きるんだろう。
そして、いつも余分に家族の好物を買ってしまうんだ。
今日の買い物も、予算オーバーになっちゃったじゃないか。

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