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私達の「考えている」時間

生きている中で、本当に「考える」ことってあまりないな、と感じる。

表現が難しいけれど、
正確には、1日の中で、脳みそを考えることに、本当に使っている時間をまとめると数分程度なのではないかと思う。

これは、何が特殊な、哲学とかを考え続けている人はいるかもしれないが、一般的〜優秀なビジネスマンや経営者でも同じである気がする。

それはなぜかと、考えましたら、
結局、生きていて、本当に未知の新しいことってなかなかないんですね。

ほとんどは、過去に起きたこととほぼ同じか類似しています。
なので、対処(判断)に対し、考える隙がありません。

これは初だな、という課題がきても、
我々の頭は結局、過去のデータや今ある知識を統廃合した、アウフヘーベンした知識で対応します。(新たな判断基準を作る)

そうなると、この過程って実はあんまり時間は掛からないんですね。

こういう時の考えるっていうのも、
ほとんどが条件を出して当てはめて行ったり、
それぞれの条件付けした対象を角度を変えたり、時間軸を変えたりとするだけなので、実は慣れれば時間がかからないんです。

つまり、いいアイデアを思いつくのに時間ってあんまり関係ないと思います。
(なぜかいいアイデアを思いつく前って脳みそが汗かいてうんうん言っている絵を連想させるが、あれは間違いかもしれない)

それより大切なのは、いや必要なのは、
心の余裕であったり、頭の中に余白を常に残しておくことだと感じる。

心や頭の中に余白がないと、まともに考えられない。
これは、人間であればほぼ全員に当てはまる気がする。

だから、いくら組織的に、個人的に重要と思えることや、長期的な視野が必要とされている判断ですら、時間をかけて、脳に汗かいて考える必要はないと思います。
それよりは、心と脳に余裕を持って、冷静な時に出てきたアイデアが実は普通でまともな考えだと思います。
また、それが実は現実的なので、実現可能性が高いのです。

少し話がズレますが、
アイデア(考え)で最も大切な要素は、
実現可能性です。
どんな偉大な構想も実現しなければ妄想で終わりです。
実現可能なことは実は普通のことを普通にしたら、大体実現します。
なぜか多くの人はそれをしません。

それをするだけで、成功できます。
今の人たちはバーチャルに生き過ぎています。

分かりもしない他人の気持ちを勝手に想像して行動しない。
あり得もない未来に不安を抱え、病気になる。
起こり得ない未来に期待し、行動しない。
実際に起きていることを直視せず、自分には関係ないとタカをくくる。

普通のことを普通に考えて、普通に反応しましょう。
それが自然であり、あなたの個性であり、皆がそれを受け入れることが自然的だと思います。


私も若い時は、周りのバーチャル勢が多過ぎて、自分がおかしいのでは、と一瞬思わされかけましたが、今ではブレることもありません。