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身体が「私」になった日の話

幼少期は親に口うるさく言われ、成人しても「歯磨きは?」と叱られ、大人になってからはリマインダーを設定する必要があった朝晩の洗顔と歯磨き。

虫歯ができて口の中に車1台分の治療費がかかっても。
肌荒れ、ニキビ、そばかす、イチゴ鼻を放置し、見目のよろしくない肥満体になっても。

それでも身に付かなかった身だしなみ。

それが40余年目にして唐突に日常に組み込まれ、長年の週間であったかのように日々手入れをし、自分の身体というものを慈しみ、「ご自愛」するようになったある日。

突然、女が終わった。

更年期の象徴、閉経である。

私の覚悟などどこ吹く風で、実に呆気なく、ストンと2~3カ月ほどで身体がつくり変わった。
亡き母も私と同じくらいの年頃だったと聞くから、うちの家系は40代半ばと早い方なのだろう。まだ完全ではないものの、閉経の前期症状が出ている。

40になった頃から更年期障害については調べていたし、覚悟をして待ち構えていた。
人によっては日々を生きることが辛いほど重いらしい。フリーランスのライターである私にとっては、動けなくなったら死活問題だ。
失業時に給付金がある保険をかけ、あらゆる可能性と回避の手段を考えながら、ここ数年を過ごしていた。

それが、たった3カ月である。しかも、不正出血が続いて、なんだか肌が乾きやすくなったぞ…?という程度だ。

ほかはすこぶる好調。
食欲も相変わらずで、球体のような体型を維持している。ただ、身体は繁殖能力を持った人間の「女」であることをやめた。

そして、生物として女であることをやめた途端、私は突然、私自身を愛で、慈しめるようになったのだ。

私の身体が、やっと私だけのものになった。そういう感覚だ。
これから私は余生の30年ほどを「私」として生きていいのだ。女として誰かと恋愛をしたり、性愛を交わしたり、子を育んだりという、社会的な行動をしなくていい。

私が私だけのものになった瞬間、私は生まれてこの方関心をほとんど与えず、生命活動が維持できればよいと投げっぱなしだった私の身体を、慈しみ、愛おしみ、大切に撫で回すようになった。

どうやら私は無意識に、生物的に機能する女であることをやめたかったらしい。

ということは、私が自分の身体を適当に扱っていたのは消極的なセルフネグレクトだったのかもしれない。いや7割くらいは性根がズボラなだけだな。

とはいえ、思い当たる節もある。
別に大声で喧伝することでもないからあまり語ることもないが、私はいわゆるアセクシャルだ。40年とちょっと、私は異性にも同性にも性的欲求を抱くことがほとんどなかった。

大分薄味だが一応恋愛感情はある。人並みの性欲もある。

ところがどっこいそれが生身の人間の上で結び付かないのだ。別物、別次元として存在している。

しかし、「女」である以上、好きになって相思相愛になれば、多くの場合自然と相手からも社会からも、その次のステージを求められる。
結婚し、子どもを作る。その間には愛し愛された人間同士の繁殖行為が挟まっている。私はそれが、無意識に受け入れがたかったのだろう。

カミングアウトはしていないが、私の家族は私が生きたいように生きることに口を出さない。
結婚して子どもを作れとプレッシャーをかけたこともない。

ただ、私が、私自身にすら気付かれずに、どうしようもなく嫌だったのだ。

繁殖能力を持った「女」というステージを降りてようやく、私は自分の身体を「私」として愛せるようになったようだ。

もっと若いうちから身体の手入れをしていれば、違う人生もあっただろうと思わないわけではない。
ルッキズムどうこうに言及する気はないが、世の中、見目がよくない人間に対して当たりが厳しい。理想は見た目になど左右されない世界だが、残念ながら現実は優しくない。

まあそれでも、私は私として楽しく生きられているし、人生80年時代、ちょいと折り返しを過ぎたところだ。
カッコいいババアになることを目指し、40年ほど「私」を楽しもうじゃないか。

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