焼き鳥とビール、牛乳と納豆

こんにちは。お久しぶりです。
今回はわたしの生き方について少しお話しようと思います。

生き方の美学って誰にでもあると思うんですが、わたしの場合は人生において大切にしていることがいくつかあるので紹介してみようと思います。


ひとを変えようとしないこと。
人間社会において、自分が求めるものってありますよね。それに対して伴ってない他人の感性を変えようとするひとっていますよね。それが苦手で。
うちの家族はかなり放任主義で、子供の頃からひとに迷惑をかけるな!以外のことはあまり言われなかった気がします。
煙草を吸い始めた若かりし頃、自分で稼いだお金で煙草を吸うのはあんたの勝手やからええけど外では吸うな、と言われてました。その分というか、人様がいる前ではおもてなしの精神を持ちなさいと言われ続けてきました。人前で退屈な顔をしたり他人の悪口を言うなというような感じで。
まぁ何かそういうフリーな親です。
あ、でも躾としてしっかりどつき回されたこともあるので、教育をしてもらってないという訳では無いです。念の為。

ひとに迷惑をかけることはしない、という根本的なポリシーがありますが、結構迷惑かけちゃいました。酔っ払って道端で寝たり。知らないひとが買ってくれた水をその辺に撒いたり。ほんと迷惑かけちゃいました。甘栗むいちゃいましたみたいに言うてもうてますが、その節はごめんなさいとありがとうの気持ちでいっぱいです。
甘栗って美味しいですよね。丹波篠山でたべたキリンの目玉くらいのでっかい甘栗が忘れられません。路面店で売ってます。路面店って旅行ならではの楽しみですよね。お近くの方はこのご時世が落ち着いたら是非お出かけしてみては。

脱線してしまいましたが、他人を変えようする気持ちに対しておこがましさを感じてしまいます。不思議で仕方なくて。他人を変える前に何故自分が変わろうとしないのか、と思ってしまいます。
勿論変えられる、変えられないの線引きはひとそれぞれなので、全てにおいては言えませんが。

そういう感じで生きてきたので自分があー、ちょっとこれは無理かも、んーと思うような行動や言動を身近なひとが取ると、さよならもう会えませんと思ってきました。良くないことかもしれませんが。
指摘してくれたらあなたの為に変われたのに!みたいに言われても違うんですよね。わたしが言って変わるのは違うんです。あなたが取った行動はあなたの価値観によるものな訳で。そこをわたしが言ったから変える、のは何でしょう、ちょっと言い方が見つからないけど、気持ち悪いんですよ。
わたしの価値観に寄せてきてるというか、わたしに影響を受けるというか、少しズレてる程度なら全然いいんですが、そういうタイプのひとは一緒に過ごそうとするなら全面的に矯正していかないといけない事になる。だって価値観が合ってないんだから。物事の善し悪しの基準が違いすぎるんだから。
それってもう教育じゃないですか。おとなになって他人の教育なんかしたくないですよ。腹痛めた我が子でもないのに。ましてや価値観が違う=合わないとこちらは思ってる訳ですから。時間の無駄じゃないですか?合うひとは周りにもういるのに。

わたしの他人に対する価値観はそういう感じなんですが、じゃあひとから変わってほしいと言われた時ですよね。
特に相談を持ちかけてないのに話の流れでこうした方がいいんじゃない?と言われることってよくあるんですよ。恐らくですが、求めてない意見を差し出すようなひとから見ると正しく生きてないので。わたしの周りにいる価値観が合うと感じるひと達は、求めてない時に意見をするようなひとは居ないです。わたしのことを理解してくれてるのも勿論あると思いますが、それに対する気持ち悪さが多分一致してるから。なのでわたしは本当に意見がほしい時以外は相談はしないです。

つまりわたしからすると価値観の合わない他人からの求めてない時の意見、になってしまう訳です。お腹いっぱいの時に嫌いなもの出されてる感じですよ。わたしは焼き鳥とビールがすきで牛乳と納豆が苦手なんですが、焼き鳥屋でビールをしこたま飲んでプリプリの焼き鳥ちゃんをお腹ぽんちくりんになるまで食べた後にですよ、苦手な牛乳と納豆出されるんですよ。おまけに残すな飲み込めと言われるなんて。勘弁してくれよとなる訳です。

批判する訳じゃないですよ。わたしが苦手だなと思うだけで。それをふまえた上でね、意見をしたがるひとって大抵「あなたの為を思って」「そんなんじゃ周りのひとも離れていくよ」のスタンスで正しさをひけらかしてくるじゃないですか。わたしの為を思って、なら分かってくれるひとが周りにいるので放っておいてください、有難うございました、と思います。
納豆と牛乳には栄養がたっくさん詰まっているから食べた方がいいわよ、さぁほら食べなさい、と言われても苦手なのでわざわざ食べたくないんですよ。親切心は有難く受け止めますけども。
納豆と牛乳で手っ取り早く100の栄養を取れるとしたら、遠回りしても良いので他の食材から1つずつ栄養を集めて最終的に100になればいいやと思うんです。回りくどくて馬鹿だなと思われるかもしれないけど、わたしはそんな生き方がすきなんです。

そんな感じで生きているとあまり他人に対してイライラすることはないです。怒ることもないです。無理に他人を受け入れる必要はないから。もし価値観が合わないひとが現れたら、このひとはこう思うらしい、あなたはどう?って友達や家族に聞いたりする。そうするとこれはこう思うって話からまた仲を深められたり、なるほどなと勉強になったりする。ある意味刺激として受け止められるので嫌いになることもないかな、ラッキー!てなもんで。
自分のためにも線引きって大切だと思います。だってあなたとわたしは別の人間だから。違って当たり前です。違いすぎたら一緒にいることは出来ない、ただそれだけ。それで良いと思うんです。少し前に「君は他人に意見をして受け入れられなかった時に自分が傷付くのが怖いから無言で離れていくだけだ」と言われて、言われた時は確かにそうかもなと思ったけど、それもあるけど根本的にはそうじゃないなと改めて思いました。

長くなってしまいました。

価値観が違うひとといると疲れてしまう。疲れるとお肌にも悪いし眉間にシワがよってしまう。人間に生まれたからには、愛嬌たっぷり朗らかに笑って、かわいく居たいじゃないですか。

ああビールが飲みたいな。
いくつか、と書きましたがひとつでこんなに思いを募らせてしまったので、他については機会があればまた。

読んでいただき有難うございました。 



コーラ