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朝夕、涼しくなり窓を開けて過ごす方が多くなる時期です

屁理屈というか、難癖をつけたいだけなのだが、前回のラー油に引き続き、気になっていることがある。

ただ、今回はラー油の件以上に、共感されないと思う。

私が完全に間違っている可能性もあるのだが、毎日、目にするものなので、気になってしょうがない。

私の住んでいるアパートのエレベーターに、こんな注意書きが貼ってある。

注 意 喚 起

ご入居にあたり、下記の点にご注意ください。

共用部分での喫煙、私物を置く事は消防法で禁止されております。

また、朝夕、涼しくなり窓を開けて過ごす方が多くなる時期です

音響・話し声・ベランダでの喫煙

一部の方だとは思いますが、近隣に迷惑をかける行為には

充分注意、配慮下さいますようお願い申し上げます。

この注意書きは、去年の今頃、つまり夏に差しかかった時期に貼り出された。一年ほど、同じ貼り紙が掲示されていることになる。

私は共用部分での喫煙を目撃したことはないし、他人の私物が邪魔になったこともない。騒音やベランダでの喫煙で迷惑をかけられたこともないが、それはあくまでも私がそうであるというだけの話で、気にされている住民の方もいらっしゃるのだろう。

だから注意喚起を貼り出すことについて異論はないし、そうすべきであると思う。私が気になっているのは、日本語の部分である。

また、朝夕、涼しくなり窓を開けて過ごす方が多くなる時期です

この季節(5月から7月)は、「朝夕」が「寒い」から「涼しい」、そしてゆくゆくは「暑い」に変わる時期である。

「涼しくなり」という言い方は、夏から秋にかけての、「朝夕」が「暑い」から「涼しい」に変わりゆく季節に使うべきではないか、というのが、私の持論である。

もっとも、間違いと言い切れないことは承知のうえで、この文章を書いている。

5月の朝夕が「涼しくなった」というのは事実である。気温が「寒い」から「涼しい」へと変わり、「窓を開けて過ごす」ようになる。だから、局面的に見れば、「涼しくなり」という言い方は何も間違っていない。

ただ、時系列を踏まえれば、このあと「暑い」時期に変わる。「寒い」から「暑い」へと気温が変化する過程の途中で、「朝夕、涼しくなり」と言うのはおかしいのではないか。気温が"上昇"する過程に「涼しくなる」という、気温の"下降"の表現を使うのではなく、「暖かくなる」という"上昇"の表現を使わないとおかしいのではないか。

別に何もおかしくないか。

暖かくなる、ならば、それはそれで変だな。

書いていて自信がなくなってきた。

「朝夕、涼しくなり」という言い方が秋頃に使われるものだと思っているから、そう感じるのか。

「朝夕、過ごしやすくなり」ならば、納得がいくのかもしれない。

そもそもこの貼り紙はもう一年も貼りっぱなしなので、枝葉末節にあれこれ屁理屈をこねてみても意味がない。

こういうことを考え、あまつさえ近しい人間に正義感をふりかざして主張するから、厄介なことになるのであろう。

わりと静かなアパートだと思うよ。

毎日、エレベーターを昇り降りしながら、この貼り紙に語りかけている。

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