お正月のおせちが机の上にあります(別居嫁介護日誌#7)

「見知らぬ女性が家に出入りし、大切なものを盗っていく」と繰り返し訴えていた義母。姿が見えないが、”女ドロボウ”は確かにいるのだと憤慨していた義父。一年以上ぶりに訪れた夫の実家は一見すると、とくに変わった様子はなかった。でも、よくよく見ると、ドアや壁のあちこちに「名前も知らない貴女へ」で始まる、長い長い手紙が何枚も何枚も貼られていた。

(前回の別居嫁介護日誌はこちらから)

「他人の家に断りなく入り込むのはやめてください」
「大切なものがなくなった気持ちを考えたことがありますか」
「お願いだから出て行ってください」

そんなフレーズが繰り返し登場する手紙は一目見た瞬間、例の”見知らぬ女性”に宛てたものだとわかった。便せんにびっしり綴られた手書きの文字から、義父母の本気度が伝わってくる。隣にいた夫に「あれ、撮っておいて」と小声で伝えると、無言でうなずき、鞄からデジタルカメラを取り出した。

直感的に記録しておくべきだと思った。今、この場で事態を把握するには情報量が多すぎる。でも、記録しようとしてることを義父母に気づかれてはいけない。あくまでもさりげなく、そうとは気づかれないよう、記録しておいて、あとで冷静に見返した方がいい。そのためには、両親の気をそらす必要がある。

「寒かったわね。お茶でも淹れましょうか」
「この間買ったクッキーがあったんじゃないか」
台所にいる義父母は上機嫌で、お茶の準備をしてくれていた。正直言って食欲なんてまるでない。そんなことよりも、見つけてしまった手紙を読みたい。今すぐ熟読したい。その欲求と戦いながら「クッキー! いいですねえ」と、嬌声をあげる。

でも、しばらくすると今すぐ読みたい誘惑に駆られる。さしたる理由もなく部屋をうろうろし、手紙に視線が吸い寄せられる。両目とも裸眼で2.0という視力の良さが、こんなところで役に立つ日が来るとは想像もしていなかった。

手紙はどれも、驚くほど長かった。そして、あの手この手で「見知らぬ貴女」に対して、改心を促していた。厳しい口調で不法侵入を問い詰めたかと思うと、次の段落では「子どものとき、友達のおもちゃは友達に断ってから使わせてもらいましたよね」と優しく諭す。

「私たちは子どもの支えになりたいのに、それができないのがつらい。あなたが出て行ってくれさえすれば……」と泣き落とす。その一方で「あなたにも事情がおありなのでしょう」と理解を示す。「北風と太陽」の寓話を思わせる緩急のつけかたがお見事だった。

仮に、説得の一手段だとしても、その善良ぶりに惚れ惚れもする。年明け早々に書かれたらしき手紙に至っては「新年おめでとうございます」で始まり、なぜか「初詣に行ってきます」と報告。さらには「お正月のおせちが机の上にあります。少しずつですがお召し上がりください」というメッセージまで添えられていた。なんの気遣いなのか。

もはや「見知らぬ貴女」と義父母が敵対関係にあるのか、いろいろ乗り越えた末のある種の親しさが芽生えている状態なのか正直よくわからない。こうなったら思い切って、この手紙について聞いてみたほうがいいのか。さすがにそれはまずいのか。踏ん切りがつかないまま、カラッポになった湯呑みを抱え、クッキーをかじっていた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?