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とんでもない1日ね(別居嫁介護日誌 #46)

義母の行方がわからない。義父も、義母の居場所を把握していない。そのことに気づいてくれたのは、訪問歯科の医師やスタッフの方々だった。

訪問歯科の往診は月に2回。たまたま、その日は往診日に当たっていた。チャイムを鳴らすと、義父が玄関に現れたが、義母の姿が見えない。訪問歯科医が「奥さまはお出かけですか?」と尋ねると、義父は困ったような顔で「外出先ではぐれた」という。

訪問歯科チームは義父を不安にさせないよう、その場は平然とふるまい、いつも通り、歯科治療を実施。同時に、ケアマネさんに連絡を入れてくれたそうだ。そして、治療が終わるタイミングを見計らって、今度はケアマネさんが夫の実家に電話し、義父に状況を確認してくれた。

義父は比較的落ち着いていた。しかし、話の内容は要領を得ず、義母の服装などこまかな情報は「覚えていない」という回答だったという。

断片的な情報をつなぎあわせると、義父母はふと、「今日は晴れていて、墓参り日和だ」と思い立った。どちらが先に言い出したのかはわからない。夕方に訪問歯科の往診があることはすっかり忘れ、墓参りに出かけることにした。そして、市民霊園に向かう途中、何本か乗り換えた後、ターミナル駅のホームではぐれてしまったという。

念のため、わたしも義父に電話をかけてみた。

「おとうさん、おかあさんとはぐれちゃったんですって。驚いたでしょう」
「僕は大丈夫です」
あえてノンキな調子で義父の話を振ると、ハキハキと義父が答えてくれる。たしかにケアマネさんが言う通り、声は落ち着いている。動じている雰囲気でもない。

「電車に乗ろうとしたところではぐれて、僕だけが電車に乗ってしまったんですな。あっと思ったときには電車のドアが閉まっていた。あわてて次の駅で降りて戻ってきたんですが、もう家内はホームにいませんでした」

義母とはぐれた義父は、墓参りを途中で断念し、義母の姿を探しながら自宅に戻ってきたという。しかし、義母の姿はなかった。

一体、義母はどこに行ってしまったのか。悪いことばかりを想像してしまう。つい最近、「認知症高齢者の徘徊・行方不明と死亡」に関する論文を読み、他人事ではないと思ったばかりだった。たしか、認知症高齢者が行方不明になった場合は「早期届け出」「早期捜索」が鉄則で、家族が表沙汰にするのを躊躇すると死亡率が高まることになる……といった解説が頭の片隅に残っていた。

マジでおかあさん、どこ行っちゃったの!? このまま、行方がわからなくなったら……なんて、カンベンして!!! 指が震えて、呼吸が浅くなる。

「真奈美さんにも心配をかけて申し訳ない」
義父がしんみりした声で言う。ヤバい。ことの深刻さを義父に悟られてはいけない。義父があわてて探しに出たりしたら、まるっきりシャレにならない。ダブル捜索事案になるのだけはぜひとも避けたい。なので、思い切り明るい声で、こう答えた。

「いえいえ。お気になさらず! でも一応、万が一に備えて、ケアマネさんと協力しておかあさん引き続き探してみるので、もし帰ってきたら電話ください」
「帰ってきたら、すぐ電話します」
「はーい!」

義父との電話を切った後、すぐさまケアマネさんに電話をかける。地元の警察と、地方自治体の徘徊見守りネットワークにはケアマネさんが連絡してくれていた。実はデイケア見学のついでに「記念撮影」と称して、義父母と一緒に写真を撮り、それぞれのバストショットを切り抜き、いざというときのために徘徊見守りネットワークに登録してあったのだ。

先見の明! と言いたいところだが、困ったことに義父母がはぐれたのは、地元の駅ではない。見守りネットワークの外で行方がわからなくなるとか、想像の斜め上すぎて震える。どうも義母のほうが一枚も二枚も上手なのである。

ケアマネさんと相談し、義父母がはぐれた駅で義母宛てにアナウンスを流してもらうことにした。そして、暗くなっても戻ってこないようなら、警察に捜索願いを出す。

そうと決まったら、まずは駅に電話だ!

「すみません。うちの義母が認知症なんですが、駅で義父とはぐれた後、行方がわからなくなっていて。まだ駅構内にいる可能性があるので、アナウンスで呼びかけていただきたいのですが」
「そうですか。アナウンスするより、携帯電話で連絡をとられたほうがいいと思いますけど?」

はあああああ? である。認知症高齢者が、同行者とはぐれて、行方がわからなくなってるって言ってるのに! 何、その対応!! 電話をとった職員のうすぼんやりしたリアクションに早くも、はらわたが煮えにえである。
「義母は携帯電話を持っていません。公衆電話をみかけたとしても、電話のかけかたがわからない可能性もあります。認知症なんです。今のところ、ふつうに日常会話はできます。おそらく名前も言えます。でも、どの瞬間、何を忘れるか、家族にも本人にもわからないんです」
「はぁ……。でも、もしかしたら駅の改札を出ちゃってたら、アナウンスは聞こえませんが、それは大丈夫ですか」

なんだ、その質問……。クラクラしながら「大丈夫です」と答えた。頼む、一刻も早くアナウンスをしてください。
そうこうしているうちに、バアさんの干物ができあがりつつあるかもしれないんだぞ!

「では、文面をお願いします」
「え、文面ですか?」
素で聞き返してしまった。
「はい。アナウンスする文面をお願いします」
「わかりました。文面つくってかけ直すので直通の番号を教えてください」

電話を叩ききって、パソコンに向かう。なんだよ、認知症高齢者の行方がわからなくなったときの駅構内アナウンスって何を言えばいいの!?

「迷子 店内放送」でGoogle検索して参考になりそうな文章を探す。

「××からお越しの●●さん、お連れさまがお待ちです」は使えそう。「△△△と▲▲▲の洋服をお召しになった三歳くらいのお子様が……」はダメだ。義母が何を着ているのかがわからない。「お心当たりの方はサービスカウンターへ」……って、駅にサービスカウンターなんてないじゃん!

焦りながらなんとか仕上げた文面がこれだ。

「×××からお越しの●●●●さん(義母のフルネーム)。ご家族の方からのご連絡です。アナウンスをお聞きになったら、お近くの従業員にお声がけください」

駅にアナウンスの文面を伝える際、義母が見つかったらすぐ連絡をもらえるよう、繰り返し頼んだ。しかし、電話はかかってこなかった。

やがて夕方になり、大学院の授業が始まる時間が近づいてきた。ちょうどプレゼン発表の順番が回ってくる
日だった。

捜索願いを出すために必要らしい印鑑と身分証明書(運転免許証)、義母の写真をバッグに放り込み家を出た。授業が終わったらその足で警察署に行くつもりだった。

大学に到着する直前、携帯が鳴った。番号を見ると夫の実家からだった。あわてて通話ボタンを押すと、電話の向こうから「真奈美さん、帰ってきましたよ」と、義父のうれしそうな声が聞こえてきた。そして、すぐ義母が電話口に現れた。

「なんだか、大変なことになっていたみたいでごめんなさいね」
「おかあさん……もう警察に捜索願いを出しに行こうと思ってたんですよ」
「あら、やだ! まだ出してないわよね?」
「ギリギリセーフです。危うく提出しちゃうところでした」
「それはアブなかったわー。とんでもない1日ね」

おかあさん、それはわたしのセリフです!
義母は相変わらずの調子で、ホッとするやら、笑えてくるやら。詳しいことはまた明日、電話で話しましょう。そう約束して電話を切った。


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