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みなさん、大騒ぎだったんですって?(別居嫁介護日誌 #47)

義母の行方不明事件の翌日、約束どおり夫の実家に電話をかけた。一体なにがあったのか、一刻も早く知りたい。でも、あまりにも朝っぱらから連絡すると、疲れて寝坊している義母を叩き起こすことになってしまうかもしれない。昼過ぎになるのを今か、今かと待ちわびて、気をもんでいた。しかし、受話器の向こうの義母は毎度おなじみ、マイペース街道を突っ走っていた。

「昨日はなんだか大変だったみたいね。みなさん、大騒ぎだったんですって?」

みごとなまでに他人事である。騒動を引き起こした張本人であるという自覚がないのか、それとも自覚はあるけどごまかしているのか。

「そうそう、大変な騒ぎでしたよ。わたしも、捜索願いを出すために警察署に行く直前だったんですよ」
昨日の時点で一度は伝えてあったが、ケロリと忘れている可能性があるので、念のため、もう一度伝えておく。すると、義母は電話の向こうで「あら、いやねぇ」とクスクス笑っている。

「おかあさん、昨日はどちらにいらしてたんですか?」
「お墓参りに行っていたのよ。昔はもっと近いような気がしてたんだけど、思ったより遠かったわね」
「行く途中でおとうさんと駅ではぐれたって聞いたんですけど」
「そうなの! 電車っていうのは厄介ねえ。ホームが混んでいてね、『気をつけなくちゃ』と思ってたら、わたしが乗る前にドアがしまっちゃったの。お父さまだけひょいと乗っちゃって。あの方って、案外すばしっこいのよねえ」

 ここまでは義父の証言とも一致する。やはり、駅のホームではぐれたというのは確からしい。問題はこのあとだ。

「おとうさんは次の駅まで行って、戻ってきたそうなんですよ。でも、おかあさんの姿はすでになかったそうです」
「それはそうね。わたしは次に来た電車に乗りましたから」
「え、乗っちゃったんですか」
「だって、戻ってくるなんて思ってもみなかったもの。だったら、目的地に向かった方がいいでしょう?」

義母は「現地に行けば会えるはず」と信じて、次に電車で義父を追ったという。だがその頃、義父はとにかく妻のもとに戻ろうと、次の駅で折り返し運転している電車に乗り込んでいたのだ。お手本のようなすれ違い展開である。メロドラマか!

「おかあさん、市民霊園の場所をよく覚えていらっしゃいましたね」
「それがね、覚えてなかったのよ。いやになっちゃうでしょう?」
またもや、えー!! である。義母によると、市民霊園の場所はまるきりのうろ覚え。「こんな感じの電車に乗った気がする……」ぐらいの確信しか持てないまま、電車やバスを乗り継いだという。

「電車のなかでも、親切な方がたくさんいらしてね。『どこまで行かれるんですか』『乗り換える駅がわかりますか』って、大勢が声をかけてくださったの」

きっと義母はキョロキョロ周囲を見回し、不安そうにしていたのだろう。同じ電車に乗り合わせた高校生から買い物途中の主婦の方まで、さまざまな人が行き先を聞き、乗るべき電車やバスを教えてくれたという。

そして、たどりついた念願の市民霊園。しかし、会えるはずだった義父の姿はなかった。義母は「一体、何をやっているのかしら? と思ったけど、いないものは仕方がないから」と、帰途についたのだそうだ。

その間、まさか自分が「行方しれずになってしまった」として、ケアマネさんやヘルパーさんを始めとするさまざまな方々が探し回っているとはまったく想像していなかったという。

「だってほら、昨日はお彼岸の最終日だったから、もし姿が見えなかったとしても、『ああ、お墓参りに行ってるんだろうな』って、ふつうはそう思うでしょ」

いえいえ、まったくもって、そのパターンは考えていませんでした……!!!

幸いなことに、往復にそれなりに時間はかかったものの、義母は靴擦れひとつ起こすことなく、元気に自宅に帰ってきた。でも、いつ、どこでもっとド派手に迷子になっていたとしても、おかしくなかった状況にあったこともわかった。そもそも、義父母がはぐれた時点のできごとも、一歩間違えれば、大きな事故につながりかねないのである。

たまたま今回は、義父だけ乗れて、義母が乗れなかったというだけにとどまったけれど、運が悪ければドアに挟まれ、そのまま引きずられてけがをすることだってありうる。改めて想像すると、肝が冷える。

ただ、この行方不明事件がもたらした「良いこと」もあった。

中でも良かったのは、義父母もわたしも、お互いが「迷子対策の必要性」を実感できたことだ。たとえば、普段はいている靴への連絡先記入。やっておいたほうが安心だとわかってはいたけれど、「誰の電話番号を書くの?」というところで手が止まっていた。

でも一度、あの「見つからない」を経験すると、四の五の言っている場合ではなくなる。名前については、義父母それぞれの名前をカタカナで書く。文字がつぶれたり、かすれたりしても漢字よりは読みやすいというのがその理由だ。そして、わたしの携帯番号も書き込んだ。迷子札(住所や氏名、緊急連絡先などが書かれている)も、「いざというときの身分証明書」と称して、普段、義父母が持ち歩きそうなバッグにくくりつけた。

義父はとくに否を唱えることなく、むしろ歓迎。「家内はものをなくしやしので、彼女のほうを気をつけてあげてください」とも言っていた。一方、義母は「あなたってホント、よく気が回るわね」「そんなに心配しなくても大丈夫なのに……ねえ?」と、遠回しに不満をもらす。

でも、そんなときこそ行方不明事件が役に立つ。

「大丈夫……と思いきや、おかあさんが冒険の旅に出ちゃうかもしれないでしょう?」
そんなことを言いながら、わたしが混ぜっ返すと、義父が深くうなずいている。

「あらやだ、真奈美さん。またその話? ホントにあなたって記憶力がいいのねえ」
「でも、実際、おかあさん、大冒険だったでしょう?」
「そうなの! あのとき、親切にしてくださった方たちに『無事、自宅に帰れました』ってお伝えできないことだけが心残りなのよねえ」

気にするのはそこなんだ!? 「徘徊」と呼ぶにはあまりにも自覚的で、目的もはっきりとしていた義母の大冒険。それは、 “結論ありき”で話を進めると、とんでもないしっぺ返しが待ち受けている可能性があると教えてくれたできごとでもあった。


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