戦友ができたような、心強い気持ちでおります(別居嫁介護日誌 #22)

義父のもの忘れ外来初診の翌日は、今度は義母の再診日だった。付き添いは私と夫。初診では、騙し討ちの受診に、認知症のテストと立て続けに不本意な思いをし、怒りをくすぶらせていた義母だったが、この日はすこぶる機嫌が良かった。

もの忘れ外来クリニックに向かうタクシーの中でも「あの先生、お名前なんておっしゃるの?」「なかなか信頼できそうよね」なんて言いながら、ニコニコしている。昨日の受診で何かあった? でも、怖くて聞けない。余計なことを質問して、地雷を踏んだら元も子もない。義母の真意を測りかねたまま、クリニックに到着してしまった。

診察室に入ってからも、義母の上機嫌は続いていた。
医師から「今日の具合はどうですか?」と聞かれ、「とっても晴れやかな心持ちです」と即答。

「それはいいですね。何かいいことがあったんですか?」
「ええ。夫が認知症だとわかりまして……」

はああああ? 今、何ておっしゃいました? ギョッとして、夫のほうを見ると、向こうも唖然としている。認知症だとわかったとき、それを親に伝えるかどうか悩み、夫婦で何度も話し合った。介護関連の書籍や記事を読みあさると、「伝えた方がいい」とアドバイスもあるにはあったが、どちらかというと「わざわざ伝えて、落ち込ませる必要はない」という意見のほうが多かった。

私たちが出した結論は「当座は伝えない。必要に迫られたらまた考える」だった。

ところが、義母は明らかに知ってるテイで話をしている。義母に認知症だという診断が下ったとき、義母は待合室にいて、義父と夫、私の3人で認知症である旨を医師から聞いた。ということは、義父の受診のときは義母と義姉が聞いていたから知ってる? それはそうと今、診察室のなかには、おとうさんもいるんですけど!?

医師は顔色ひとつ変えずに、こう続けた。
「ご主人が認知症だと、晴れやかな気持ちになるんですか?」

もっともなツッコミだと思うのと同時に、すごい質問だけど大丈夫なのかとハラハラもする。義母は満面の笑みを浮かべながら、こう答えた。

「先日は、どうも私が認知症らしいと知って、これからどうしていこうかと心細く思っていましたが、おかげさまで夫もそうだとわかりまして。何と言いましょうか。戦友ができたような、心強い気持ちでおります」

えええええええ。お母さん、自分が認知症だって知ってるの? 誰が伝えたの? 夫を見ると、(俺じゃない!!!!)と言わんばかりに、ブンブン首を横に振っている。一方、義父は医師と義母との会話が聞こえてるのか、聞こえてないのか、素知らぬ顔で静かに座っていた。

このとき、義両親がどうしてお互いの認知症を知ったのか、その経緯は今もわからない。

夫婦そろって認知症だと知ったとき、「夫も認知症だなんてラッキー」と受け止めた義母のポジティブさにも、ひょうひょうと受け止めていた義父にも驚かされた。ただ、そんな鋼のメンタルの持ち主でも、繰り返し、認知症だと聞かされたら落ち込むかもしれない。なので、私たちからわざわざ伝えるのは避けた。

例えば、認知症の薬を指して「これって何のお薬?」と義母に聞かれたら、「頭がすっきりするんですって」「気持ちが落ちつくらしいですよ」と答える、といった具合に、認知症だと明言するのは避けてきた。

その効果があったのかどうかはわからないけれど、おそらく義父母の記憶から「認知症である」という事実は軽やかに消去された。

あの”戦友万歳”宣言から約2年。義母は時折「私たち、そのうち認知症になっちゃうかも! もの忘れが最近ひどいのよ」と冗談めかして言うし、義父も「認知症を防ぐための生活習慣」を説く新書を熱心に読んでいる。


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