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あの方がいらっしゃるから、お茶を入れてくださいな(別居嫁介護日誌#3)

唐突に終わった義母との電話。窓から女性が入ってきて、天袋をすり抜け、2階に上がっていく……って、どんなホラーだよ! 夫の実家では一体、何が起きてるのか。私はうっすらパニックになりながら、少し前に取材現場での雑談を思い出していた。

(前回の別居嫁介護日誌はこちらから)

「認知症にもいろいろあってね、もの忘れはそんなに目立たないんだけれど、”見えないものが見える”という症状が出るタイプもあるの」

当時、私は「片付け」をテーマにした本をつくっていた。久しぶりに訪れた実家がすさまじく散らかっていたら、認知症の予兆の可能性がある。でも、親の許可を得ないで勝手に片づけるのは禁物。親がいやがっているのに、子どもが勝手な判断で片づけると、親子関係にヒビが入るだけではなく、症状を悪化させることもある。では、どうすればいいのか? そんな話を、高齢者介護に詳しい看護師のAさんに教えてもらった。

取材が一段落したとき、ふと話題にのぼったのが、見えないものが見えるタイプの認知症の話だった。

介護施設で暮らす、ある高齢女性は毎週水曜日の朝になると、「もうすぐあの方がいらっしゃるから、お茶を入れてくださいな」と職員に頼むという。

彼女はお気に入りのテーブルで、弾んだ声でおしゃべりをしながら一日を過ごす。職員が「今日はどなたがいらしてるんですか?」と尋ねると、「幼なじみなの」と答える。さらに、小声で「初恋の相手よ」と付け加える。「いいなあ、うらやましい」と職員に言われると、頬を赤らめる。

面会時間が終わると、彼女は名残り惜しそうに、彼を見送る。そして、クスクスと思い出し笑いをしながら、自分の部屋に戻る。職員はテーブルの上に置かれたふたつの湯呑みを片づける。一方の湯呑みには、今朝用意したお茶が手つかずのまま、残っている。

「なんとなく想像ついた?」と、Aさんはいたずらっぽく笑う。

「もしかして、”見えないものが見える”って、その初恋の彼ですか?」

「そう。周囲からは、たったひとりでテーブルに座り、延々と独りごとを言ってるようにしか見えない。でも、ご本人は、大好きな初恋の人と楽しくおしゃべりをしている。

この、実際には存在しないものが見える症状は『幻視』と呼ばれるんだけど、何が見えるのかは人によっても全然違っていて。子どもや動物が見えるという人もいれば、虫や幽霊の姿に悩まされる人もいるの」

願わくば、見て楽しいもの、会いたい人に出てきてほしい。初恋の人が現れて、優しく寄り添ってくれるなんて、最高じゃないか。そう笑いあって、Kさんと別れた。義母が訴えていた「自宅に出入りする見知らぬ女性」は、まさに、あの幻視というヤツなんじゃないか。ということは、すでに認知症が始まっている……?

帰宅した夫に、義母との電話の内容を報告し、言葉を慎重に選びながら、認知症の心配があることも伝える。意気消沈するかと思った夫は「マジか!」と笑っていた。そして、のんびりした声でこう続けた。

「まあ、親父もおふくろもいい年齢だし、そういう話が出てきても不思議はないよ。でも、あわてて結論づけるのはやめよう。突然、おふくろが霊能力に目覚めた可能性もゼロではないから」

空き巣、認知症に続いて、まさかの霊能者説が浮上した。

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