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お嫁さんには気を遣わないほうがいいわよ(別居嫁介護日誌 #43)

「先ほど父から連絡があって、真奈美さんの電話を教えて欲しいと言ってきました。用件は『1 明日はデイに行くので昼間はいません』『2 留守中に実家で作業をするなら遠慮なくどうぞ』とのことでした」

義姉から不思議なLINEメッセージが飛んできたのは、義父母がデイに通うようになってから少し経った頃だった。義父母の留守中に、実家に行くことはなかったし、どこからそんな話が出てきたのかわからない。戸惑いながら、義姉に問い合わせると、その前の週の金曜日にも「明日はデイに行くので連絡をとれなくなる」という電話が義父からかかってきたという。「緊張してるのかも」とのことだった。

たしかに、デイ通いが始まってから、義父母の混乱にはやや拍車がかかった感があった。

ケアマネさんに言われてデイ用のバッグを用意してはみたものの、義母が「なくさないように」としまいこむため、しょっちゅう行方不明になる。デイから送迎ワゴンが来ると、持っていく必要のない救急ボックスを大切に抱えて乗り込む。そして、誰にもさわらせない。職員さんが声をかけても『お気になさらないで』と澄ましている。
義母のバッグの中に謎の空き瓶が入っていることもあれば、義父が「鍵がない! 戸締りできない!!」とうろたえることもあったという。

そのたびに、ヘルパーさんとデイの送迎担当のスタッフさんが連携し、根気強く対応してくれていた。

「準備が大変なの……」

そう嘆く義母に、「デイに行く準備は朝、ヘルパーさんが来た時に一緒にやってくれるから大丈夫ですよ」と何度か伝えたが、「あら、あなた、そんなのダメよ」と一笑に付された。義父からは「持っていくものがわからなくなってしまうので、わかるようにしてほしい」とリクエストされた。

Wordファイルで「もちものリスト」を作成して渡した。何度も手書きするのは大変だけど、パソコンで作っておけば、いくらでも印刷できる。文字の大きさも自由自在だ。

ところが、あらゆるものをバンバンなくしていく義母が、この「もちものリスト」は不思議となくさない。それどころか、「7 ハンカチ、ちりがみ」など自分でもメモを書き加えていた。

ただ、緊張感がある分、疲れも出やすいのか、日に日にデイに対する愚痴は増えていった。

「みなさん、いい方ばかりなんだけど、やっぱり大勢でいるってねえ……」
「食事はとってもおいしいの。でも、ちょっと気づまりなところがあるっていうか……」

義母はたいて、やんわりと真綿でくるむように、そっと不平不満を伝える。遠回しな言い方で、繰り返し繰り返し言う。わたしの好みとしてはズバッというか、一切言わないかの二択。なので義母とはこの点については、まったく気が合わない。同じクラスだったり、同じ職場だったりしたら絶対仲良くなれないタイプだろう。

でも、幸いなことに私たちはクラスメイトでもなければ、仕事相手でもない。嫁姑の関係からすれば、ブーブー文句を言い散らかされるより、ずっとやりやすい。

「まあ、いい方がたくさんいるんですか。それはよかったですね。今日はどんなおしゃべりをしたんですか?」

「食事がおいしいのはいいですよねえ。いいなー、おやつも出るんですよね」

義母の発言のなかから、ひたすらポジティブな部分だけを拾う。おしゃべりな義母がうれしくなって「そうそう、あのね」としゃべりはじめたら、こっちのものだ。ネガティブな部分については、まるきり聞こえないフリである。

あるときは、深刻そうにため息をつきながら、義母がこんなことを言い出した。

「真奈美さん、わたしね、困ってるの……。デイでご一緒してる方とお話してると、みなさん、『お宅はお嫁さんがやさしくていいですね』っていうのよ。私、なんて答えたらいいか」

いやいや、おかあさん、そこ困るところじゃないから。「いいお嫁さんなんですよ」って言っておこうよ!

「だって、みなさん、お嫁さんとうまくいってないらしくて」
「それは大変ですね。どんな風にうまくいかないんですか」

水を向けると、義母は待ってましたとばかりに、デイで仕入れてきた嫁姑話を次々に披露してくれる。

「今日お話しした方はね、ご主人を早くに亡くされて、息子夫婦と同居しているんだけど、息子たちは1階、自分は2階に住んでいらしてね」

認知症とはまるで思えないディテールの再現力である。これは相当、嫁姑話で盛り上がってますよね。おかあさん!

「お嫁さんも悪い人じゃないんだけど、こうちょっとピントがずれてるっていうか、気が利かないんですって。お茶を持ってきてくれるんだけど、それがこう、お茶を飲みたいなって思うタイミングじゃないとか」

ああ、当のお嫁さんが聞いたら、腹の立つ話でしょうなあ。エスパーじゃねえんだぞ! と。お茶を飲みたかったら、「お茶、ちょうだい」って言おうじゃありませんか。

「距離が近すぎるのかもしれないですね。じつの親子でもそうですけど、一緒に暮らしてると、こまかいところが目についたりしますからね」
「そうなの。そこなのよね! だから、わたしも言ってあげたの。お嫁さんには気を遣わないほうがいいわよ。そのほうがうまくいくから! って……あ!!」

義母は照れ笑いしながら、「あなた、クッキーでもいかが?」と、戸棚の下をごそごそ探し始めた。義母なりに、気を遣う場面もたくさんあるんだろうけど、「わたしは気を遣ってない」と思えるぐらいで済んでるならよかった。

わたしも引き続き、「ほがらかで、悪い子じゃないんだけど、鈍いヨメ」路線でいきますから。


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