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息子にしてはちょっと年をとりすぎよね(別居嫁介護日誌 #64)

病院に向かう……といっても、どこに行けばいいのか。着けばわかるのか。よくわからないまま、現地に到着。病院のなかはすでにあちこちが暗く、明かりを求めて右往左往していたら、夫がいた。会計中だった。

「おお……」
「ああ……」

いまいち、言葉にならない声をかけあった後、義父の病状を聞いた。脳出血による痺れではなかった。肺炎による脱水症状だという。

「体が痺れてたのは片側を下にして寝てたせいらしい」
夫は疲れ切った顔で苦笑いしていた。聞けば、めったに予約のとれないレストランで、乾杯をした直後の緊急呼び出しだったという。まあ、その連絡をしたのは私だったんだけれど。まさか、同じ向きでずっと寝ていたせいで痺れていたとは……そりゃ、痺れるよねえ。

一気に体から力が抜けて、ふへへへへとヘンな笑い声が出た。

義父は点滴を受けながら眠っていた。義母はベッドの脇にちょこんと座っていて、私の顔を見ると「あら、あなた」とうれしそうに駆け寄ってきた。

「おかあさん、大変でしたねえ」
「そうなのよ。もうびっくりしちゃって目が回りそうだったわ」

義母は思いのほか落ち着いていた。救急車が到着したときは、かなりパニックになっていたようだったけれど、声もおだやかだった。

「わたしね、あわてちゃったみたいで、来てくれた人に『ご主人ですか?』って聞かれたんだけど、『息子です!!!』って答えちゃったの」
「あらあら、向こうもびっくりしてたでしょう」
「そうよねえ。息子にしてはちょっと年をとりすぎよね」
「まったくですね!」

ついさっきまで緊急手術も覚悟していたのが嘘のように、のんきなやりとり。ああ、良かった。本当に良かった。

救急搬送を指示してくれた往診医の先生に電話をかけ、状況を報告。ついでに、救急搬送先のドクターと直接電話で話してもらった。とりあえず、脱水症状を脱出するための点滴が行われていて、それが終われば帰れるという。抗生剤と解熱剤が処方され、あとは自宅療養になるという説明だった。

点滴が終わる頃には23時を回っていた。深夜までやっている薬局で薬を受け取り、タクシーで自宅に戻る。「手術にならなくてよかった」「たいしたことなく帰れて良かった」としかそのときは思っていなかった。

翌日、私は当時通っていた大学院での修士論文の中間発表があり、朝イチで都内に戻らなくてはいけなかった。幸い、救急搬送されたのが金曜日の夕方だったため、土日は義姉が来て、義父母の様子を見てもらえることになった。月曜以降どうするかという不安はあったけれど、“なるようになるだろう”と楽観視していた。

というのも処方された抗生剤は1回飲めばその後も持続して効くというもので、あとは38度以上熱が出たときに解熱剤を服用すればいいはずだった。この土日を乗り切れば、落ち着くと信じて疑ってなかった。おそらくあの時点では、夫も義母もそうだった。

「あら、あなた。スーツ姿もなかなかいいわね。とっても似合うわよ」
義母は朝からご機嫌で、いつもにも増して盛大なリップサービスで送り出してくれた。そして中間発表も無事終わった。

「いやあ、実は昨日、義父が緊急搬送されちゃって」
「ええ!? 大丈夫なの」
「びっくりしましたよー。脳出血かと思ったら肺炎でした」
「そうなの!? 大丈夫ならいいけど……」
中間発表を見に来てくれた先輩や同期に報告していたときも、わたしの中では“終わったできごと”だった。

通りがかった教授たちに「高齢者の肺炎は甘く見ないほうがいいよ」「ぶり返すかもしれないから気をつけて」
と口々に言われても、まだピンと来ていなかった。しかし、その後まもなくして、その言葉の意味を痛いほど味わうことになる。


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