お墓参りのことは覚えていたのですね(別居嫁介護日誌 #48)

墓参りの途中、義父母がはぐれて大騒ぎ。そのことを義姉にLINEで報告したのは、義母が無事戻ってきたという一報が入った夜のことだ。義姉からの返信にはこう書かれていた。

「無事で何よりでした。わたしが夏にお墓参りに行ったことは忘れてしまったのかな。夏の時点ではお墓参りそのものにも興味がなさそうでしたが。的確な対応をありがとうございました。一歩間違うとこわい事態でしたね」

義母の行方がわからない。その一報が入ってたとき、わたしは自宅にいたけれど、夫は仕事で外出中だった。メッセンジャーで、今分かっている事実と対応の状況は逐一、報告した。不安でたまらないことや、次々に頭に浮かんでくる悪い想像はあえて伝えなかった。

「落ち着いて、状況を見極めよう」
夫からは短いメッセージが届いた。義姉に連絡するのは、もう少し状況がわかってからにしようという提案もあった。わたしたちは、彼女がパニックに陥り、義父を電話で問いただし、事態を悪化させることを恐れていた。

人は強い不安を覚えると、その気持ちを身近な誰かにぶつけたくなる。家族や親類縁者はその対象になりやすく、ぶつけ方も杜撰。わたしは東日本大震災のときに、そう感じた。

震災直後、仙台に住む親きょうだいと連絡がとれなくなった。ふたりいる弟のうち、ひとりが住んでいた地域が津波の被害を受けている可能性があると報じられた途端、親戚から次々と連絡が入った。テレビは見たか。被害エリアだと言われているけれど、大丈夫なのだろうか。もしかしたら……ウンヌンカンヌン。

気持ちはわからなくもない。きっと、向こうも不安だったのだと思う。心配する者同士、つらい気持ちを分かち合いたかったのかもしれない。でも、当時のわたしは許せないという気持ちのほうが勝っていた。激しく腹を立てることでなんとか、自分を保とうとしたような気もする。

結局、その後しばらくして、親とも弟家族とも連絡がつき、無事が確認できた。ただ、あのとき、感じたやり場のない怒りは結構長いこと引きずった。今も完全には消えていない。

義母の行方不明騒動に直面したとき、ふと思い出したのがこのときのできごとだった。

どうしてひとりで、こんな緊急事態に対応しなければいけないのか。そんな疑問が何度か頭をよぎった。でも、自分以外の誰かの不安まで抱えることになったら、それこそ身動きがとれなくなる。大勢でワーワーあわてふためいてもしょうがない。切羽詰まりすぎて、かえって冷静になった部分もある。

無事帰ってきた義母から聞いた大冒険の顛末は、あらためて続報として義姉に伝えた。親に対して“結論ありき”で話を進めるのは今後やめようと、提案したいのは山々だったけれど、ストレートに伝えるのもはばかられた。なにせ「わたしのせいだってこと?」となると、話がややこしくなる。

そこで、とにかく義母に聞いた墓参りの経緯のみを伝えた。義父母は娘(義姉)が墓参りに行ったことを忘れていたわけではなく、自分たちで行きたかった。はぐれた後、そのまま義母が霊園に向かったのにもきちんと理由があった。周囲の助けを得ながら、目的に到着し、無事帰宅することもできた。ただし、その途中では「途中で食べるつもりだった弁当は、お父さまが持って行っちゃったから飲まず食わず」だったり、「自宅に電話してみようと思ったけど、番号が思い出せなかった」といったことも起きている。

今回はたしかに無事だった。でも、次回も無事とは限らない。そのことを裏付ける事実を淡々と伝えてみた。……つもりだったのだけれど、思い切りスベってしまうのである。義姉からの返信にはこう書かれていた。

「お墓参りのことは覚えていたのですね。日常と違うことは印象が強いのかな。ところで、今回のことで、迷子札のようなものを持ってもらうことを考える必要があるのかなと思いました。電話番号が言えないのは心配です」

続けて、こんなメッセージもやってきた。
「たとえば、保険証を預けているし、『身分証代わりに』保険証のコピーに住所と電話番号を書いたものを持っていれば、出かけた時に体調を崩しても安心なんですけどね」

わははははは。そう来ましたか! 今なら笑い飛ばせるけれど、当時はまだそこまで腹をくくれておらず、どう返信したものか……と、モニョモニョ悩み、疲労困憊。迷子札はたしかに必要かもしれないけど、うーん……何からどう伝えればいいのか。まいったなー!

そんな状況を横目で見ていた夫が、さすがにこれは軌道修正が必要だ! と腕まくりで立ち上がった。そのことが、さらなる混迷状態を招くことを、私たちはまだ知らなかった。


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