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くわしい段取りは彼女と相談してもらえるかい(別居嫁介護日誌 #34)

父と息子の「医療・介護費用について腹を割って話そうじゃないか」会談は、瞬時に終わった。義父は「少し待っていてくれ」と別室に消え、しばらくすると、通帳の束をもって戻ってきた。

「これが光熱費とか家計にまつわるものが引き落とされる口座で、こちらは税金・保険の支払い用口座、あと、年金には厚生年金と企業年金がそれぞれ違う口座があって……」

通帳をひとつひとつ見せながら説明を始めた義父をさえぎって、夫が言う。

「親父、ありがとう。くわしい段取りは、彼女と相談してもらえるかい。うちの会社の経理も担当していて、そういうの、得意だから」
「なるほど」

え、もう私の出番なの? であった。謎のキラーパスが飛んできて、あっという間に選手交代。こちらの心境としては(もう少し親子で頑張れよ……)と(一番の難関をクリアしたのだからこれ以上求めるのは酷か……)が半々だった。何より、せっかくの良い流れをここで途切れさせるわけにはいかない。今度は私が、四の五の言わず、腹をくくってリングに上がるターンであある。

「おとうさん、よろしくお願いします!」

まずは義父の説明を聞きながら、通帳を仕分けする。

通帳はウンザリするほど冊数があった。よくマネー雑誌で「通帳を増やしすぎると、管理が大変になるのでなるべく数を絞りましょう」とアドバイスが載っているけれど、まさにその“増やしすぎ”のお手本のようだった。

義父なりに明確な理由があって使い分けをしている。ただ、運用ルールが煩雑すぎて、義父自身が把握しきれなくなっていた。その結果、引き落とし日までに口座間の資金移動をしそこねて、残高不足で引き落としできないなどのトラブルが起こりつつあることもわかった。

「生活費を月1回代わりにおろしてきてほしいんだが……」
「わかりました。引き落とし口座は定期的に記帳したほうがよさそうですね。必要に応じて補填もしておきましょうか」
「それはありがたい」
「あと、キャッシュカードの紛失などがあった場合、別途手続きが必要なので、一覧表を作りませんか」
「そうしてもらえると助かりますな」

義父と今後の管理の進め方を相談する。現時点で考えられる課題とその解決策をストレートに伝え、義父の判断をあおぐ。このあたりは、じつの親子よりも、義理の関係のほうが話しやすいのかもしれない。かなりビジネスライクに、経理部の上司・部下のようなノリで、サクサクと話が進んでいった。

このとき、並行して進めていたのが、銀行の「貸金庫」の申し込みだ。

親から貴重品や重要書類を預かるときに備えて、早めに動き出したつもりだったが、こちらは想像以上に手こずった。
貸金庫を借りるにあたっては、まず、その銀行に取引口座があるのが大前提。さらに、銀行ごとに独自の審査があり、その結果が出るまで申し込みから一定期間待たされる。

ただ、うちの場合は審査以前に、「空いている貸金庫がない」という壁に阻まれた。最寄り駅から徒歩圏内の銀行・信用金庫に片っ端からアプローチしたけれど、「大変混みあってまして……」と、色よい返事がもらえない。

取引口座については「新規開設でもOK」という返答のほうがどちらかというと多かったけれど、空きがないとなると、手も足もでない。また、近所に支店はあるけれど、そこは貸金庫がない店舗だったというケースにも出くわした。

メガバンクよりは地方銀行のほうがつくりやすいし、利用料金も安いと聞くけれど、最寄り駅には該当する支店がない。出し入れは面倒になるけれど、“最寄り駅”という条件を外すしかないか……とも考え始めていた。

最後の最後にダメ元で、電話で問い合わせた際に「空きがないので無理だと思う」と断られたメガバンクの窓口に行った。

「個人と法人それぞれでメインバンクとして利用しているんですが、実は今回、貸金庫を申し込みたいと思っていて……」
「わかりました。こちらへどうぞ」

電話で断られたことを言わなかったのは、戦略でもなんでもなく、単なる偶然だった。いろいろな金融機関を駆けずり回って疲れ果てて、頭が回っていなかっただけだ。でも、何が幸いするのかわからない。何事もなかったように、すんなり申請を受け付けてもらえた。あれ? 「空きがない」って話はどこに行った?

余計なことを言って、ヤブ蛇にはなるのは避けたい。でも、まるっきり腑に落ちない。

「貸金庫、どこもいっぱいみたいですね」
「そうですね。銀行側としても、積極的にはおすすめしていないところがあると思います」
「そうなんですか!」
「万が一にもトラブルがあってはいけないので、厳しい審査が必要になりますし、口座開設と違って“みなさん、どうぞ”とはなかなか言いづらいところがあるようです」
「なるほど」

空きがないと言われたのは、たまたま電話対応した人の勘違いだったのか、それとも……? 対応してくれた担当者のざっくばらんな打ち明け話に想像をかきたてられながらも、とにかく書類を埋めて記入する。何はともあれ、これで審査までは進める。

審査の結果、「うちの銀行の貸金庫を利用するには値しない」という最後通牒を突き付けられたら、また、“ふりだしに戻れ”だ。でも、こればかりはどうすることもできない。審査は早くて2週間、もしかしたら1か月以上かかるかもしれないという説明だった。

そして、2週間後、貸金庫の審査に通った。要介護認定に続いてのガッツポーズ! またしても、ほとんど合格発表である。

「貴重品はすべて貸金庫に預けてあるのでご安心ください」
「大事なものは、貸金庫の中だから大丈夫ですよ」

そう伝えるたび、義父母の表情がゆるむ。

大切なものをなくしてしまったかもしれない。
貴重品を盗まれるかもしれない。
そもそも、大切なものが何なのかわからなくなってしまった。

こうした認知症につきものの焦燥感や不安、戸惑いをやわらげるのに、貸金庫は現在も、抜群の効果を発揮し続けている。


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