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病院に行ったらいっぱい検査されちゃうんでしょ? (別居嫁介護日誌#5)
会話の端々に認知症の気配を漂わせる義母。すべてをわかって受け止めているのか、本人にも何らか問題が生じているのかよくわからない義父。遠回しに探りを入れてもラチがあかない。思い切って踏み込んでしまえと投げかけた「もの忘れ、受診してみませんか?」に、老夫婦はどう反応したのか。
(前回の別居嫁介護日誌はこちらから)
「もの忘れ外来の受診というのは、認知症の検査をするということですか?」
電話の向こうで義父の声が尖る。感情を押し殺しているが、ムッとしているのが伝わってくる。でも、ここまでは予想通りだ。
「そうなんです! 一度きちんと検査しておけば、この間の警察官みたいな失礼な人に出くわしたときの自衛策になると思うんです。医師の『認知症ではない』とお墨付きがあれば、さすがに相手もいい加減な対応はできないんじゃないかと」
「ほう…………それは一理ありますな」
一転して、義父の声が明るくなる。緊張もほどけていく。「受診するとしたらどの病院がいいか」「認知症ではないという証明書をもらえたりするのか」と興味津々の様子ですらある。よし、第一関門クリア! 勢いづいて、次の球を放り込む。
「できればご夫婦で一緒に受診していただくと、より安心かと思うんです! もしかしたら、おかあさんはイヤよっておっしゃるかもしれないんですけど……でも、自衛策はとっておいて損はないかなって」
願わくば、家長の”鶴の一声”で受診に持ち込みたい。そんな期待を込めて猛プッシュする。その甲斐あってか、義父からは「近々受診したいと思います」という回答が来て、ガッツポーズ。ただし、「妻も連れていきます」とは言ってくれなかった。
「家内のことは家内に聞かないとわからないので電話を代わります」
第2ラウンドのゴングが脳内で鳴り響く。カーン!
「もの忘れ外来? なんだか怖そうな名前ね。聞いてるだけでドキドキしちゃうわ。かえって調子が悪くなりそう……なんてね。ウフフ」
電話口に現れた義母は、キャピキャピした口調で否定的な言葉を言い連ねる。義父には有効だった「自衛策」ネタもまるで響かない。
「自衛策ねえ……きっと大事なんでしょうけど、病院に行ったら検査とかいっぱいされちゃうんでしょ? なんか怖いわよね」
どこのかわいこちゃんなのか。80代半ばの老嬢から繰り出される、女子力全開のセリフにクラクラする。だいたい、2階に棲みついてる女の話のほうがよっぽど恐ろしいわ! とはもちろん言えないので、作戦を変更する。
「おかあさん! そういえば私、この秋から大学院に通い始めたんですけどね。大学の先生たちが言うには、最近のもの忘れ外来は昔と全然違うらしいんですよ。こわい検査なんてひとつもないし、とっても快適なんですって」
多少盛ってはいるが、まるきりのウソでもない。ちょうどその年の秋、私は都内にある大学院に社会人入学した。専攻は奇しくも、高齢社会が抱える問題を研究する「老年学」。研究テーマは「高齢期の就労」で、認知症も介護については畑違いだったが、関連する授業は履修していた。
「まあ! あなた大学院に通っていらっしゃるの」
大学教授という権威を持ち出すことで、受診のハードルを下げるつもりだった。しかし、その目論みは外れ、義母が飛びついたのは「大学院入学」のほうだった。「どんなこと勉強なさってるの?」「学校にはどれぐらい通うの?」「授業は楽しい?」「どんなテーマで研究なさるの?」と質問が止まらない。
そういえば、義母はかつて英語教師として教壇に立っていた人だった。定年で職を離れた後も独学で英語を勉強し続け、頼まれれば家庭教師なども引き受けていたと聞いたこともある。おそらく、学ぶことが大好きな人なのだ。
しかし、このまま義母のペースに乗せられると、大学院よもやま話で終わってしまう。そこで、半ば強引に「もの忘れ外来」の話題を蒸し返した。
「…………というわけで、大学の先生たちに聞くと、もの忘れ外来って全然こわい場所じゃないんですよ! 『一度行ってみると勉強になるよ』『80歳までにはぜひ経験しておきたいね』という感じなんですって」
破れかぶれである。これでダメなら、そろそろ引き下がって出直そうと思い始めていた。ところが、義母のリアクションは想像以上に好意的なものだった。
「なるほどね。みなさん、さすが好奇心旺盛なのね。私も行ってみようかしら。何ごとも人生経験よね」
義母は「くわしいことは、あの方に教えておいてちょうだい」とのたまい、選手交代。苦笑いしながら、電話に出た義父に、受診候補先になりそうな病院の情報を伝えた。付き添いを申し出たが、「自分たちで行くから大丈夫」という。
ここまでのやりとりで、全精力を使い果たした感もあり、説得をこころみることもせず、電話を切った。通話時間を見たら、1時間半を超えていた。過去最長記録だった。
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