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一緒にパンツを買いに行きませんか?(別居嫁介護日誌 #42)

「環境が整えば、ものとられ妄想はおさまっていきます」

たしか初診か再診のときに、医師からそう説明されたけれど、義母のものとられ妄想は訪問介護(ヘルパー)や訪問看護の利用がスタートしても健在だった。

ただ、幸いなことに家族やヘルパーさん、訪問看護師さんが疑われる対象にならなかった。ものを盗んでいくのはひたすら、「2階の女性」のしわざだったのだ。

デイ通いを始めるにあたって、義父母は「これ以上ドロボウに悩まされたくないから」と、玄関のカギを交換。その直後はドロボウの話がピタリとやんだ。ようやく、ドクターが言っていた“その時期”が来てくれたか! と小躍りする思いだったけれど、まったくの早とちりだった。

「あのね……、薬を盗まれるから、薬箱にカギをかけてほしいの」

もの忘れ外来の受診付き添いの帰りに夫の実家に寄ると、義母からおずおずと切り出された。

「大きな声では言えないんだけど、たぶん、あの人なの……」

そういいながら、義母は天井を指さす。“お2階さん”の再来である。訪問看護師さんやヘルパーさんからも、「デイに持っていくかゆみ止め軟膏をたびたび紛失し、探すのに苦労している」という報告は受けていた。

幸い、訪問診療がスタートしていたので、往診医の先生に相談し、何本か追加してもらっていた。おそらく、義父母のどちらかが「かゆいな」と思ったときに、薬箱から取り出して塗り、そのままどこかに置き忘れている。あるいは義母が「大切なものだからなくなさいように」としまいこんで忘れる……といったことが起きているのかもしれない。

実際、引き出しの中からはティッシュにぐるぐる巻きにされた軟膏が、何度か見つかっていた。

「おかあさん、一緒に薬箱の中身を確認しましょうか」

不安そうな義母にそう声をかけてはみたものの、今度は薬箱が見当たらない。

「さっきまで、そこにあったのよ。油断も隙もないんだから!」
忌々しそうに義母が言う。義父もやってきて、「そういえば、あの話も真奈美さんにしておいたほうがいいんじゃないか。ほら、洋服を盗まれたんだろう?」と義母を促す。いつもなら適当なところで話をそらし、別の話題に変えることができた。でも、この日の義父母はそうさせてはくれなかった。

「気分のいい話じゃないから、こんなことを聞かせるのは申し訳ないんだけれど」
そう前置きしながら、義母はつらつらと、盗まれたものについて話し始めた。お気に入りのカーディガン、英語の辞書、大切なことをメモしたはずのノートなど、さまざまなものが見つからなくなっているという。

「本当に信じられない話なんだけど」
義母はひそひそ声になって言う。

「わたしのね……パンツを盗んでいくの」
「パンツ!!!」
「ちょっと! あなた声が大きいわよ」

即座に叱られる。

「すみません! それにしても困っちゃいますよね」
「そうなの……」

私はいかにも深刻そうな顔で、義母の告白にうなずきながら、ヘルパーさんからの報告を思い返していた。ここのところ、何度か汚れた下着が室内で見つかっていたはず。ヘルパーさんと相談し、「アンモニア臭がしたら周囲を見渡す。何か見つけたら、本人は伝えず、そっと処分」という方針を決めたんだっけ。そういえば、その下着が紳士用なのか、婦人用なのか確認するの忘れてた。

義父は介護保険の認定調査のときから、失禁の自覚があり、ケアマネさんをはじめとするケアチームにも積極的に対応を相談していた。でも、義母は一切、認めていない。

自覚がない、あるいは自分では認めたくないのに、下着を汚してしまったら……? 自分ではうまく始末ができず、助けを求めることもできないまま、あわててどこかに隠すことを繰り返すうちに、パンツの枚数が足りなくなっているのかもしれないと、思い当たった。もし、そうだとすれば、まずはパンツの補充が先決だ。

「おかあさん、ものは相談なんですけど、一緒にパンツを買いに行きませんか?」
「ええ? 一緒に買いに行くの? うふふふ」
義母からは照れてるのか、うれしいのかよくわからないリアクションが返ってきた。でも、とりあえず笑顔なので、気分を害してはいないらしい。真顔でもう一押ししてみる。

「いや、わたしも考えてみたんですけど。やっぱり、パンツの枚数が少ないっていうのは困ると思うんですよ。お洗濯している間の洗い替えも必要なわけですし」
「ホントそうよねえ。お天気が悪いと乾くまでに少し時間がかかるもの」
「あと下着って好みがあるじゃないですか。綿100%がいいとか、このレースがいいとか悪いとか」
「そうそう。やっぱり、肌ざわりって大事よね」
「なので、一緒に買いに行きましょう!」
「うふふ。そうね。でも今はまだいいわ。なくなったと思ったら、違う場所から出てきたから、まだ余裕があるの」

余裕あるんかい! 義母はニコニコとタンスの引き出しを開け、中を見せてくれた。たしかに、そこにはそれなりの枚数のパンツがしまわれていた。

「おかあさん、これ履きやすそうでいいですね。肌ざわりも良さそう」
「何枚か持っていく?」
「いえ、お気持ちだけで十分です!」

ゲラゲラ笑いながら答えると、義母もクスクス笑いだした。終わらないパンツトーク。なんだ、この展開……と思いながら、そっと義母の下着の素材と形状、サイズを確認し、スマホにメモした。「ところでお父さんの下着はどんな感じですか?」と尋ね、義父の下着もひと通り把握した。いずれ、わたしはこの人たちの代わりにパンツを買いに行くのだろう。その予感は、思ったよりも早く的中することになる。


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