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おかあさん、言葉が違っていますね(別居嫁介護日誌 #58)

夫の実家の台所の電球が切れていた。近所のコンビニに電球を買いに行き、新しいものに交換する。ここまでは、とりたてて変わったこともない、ふつうの出来事だった。

当時、義父と義母は認知症とはいえ、自分たちでも買い物に行っていた。幸いなことに、店内で好きなものを選んだり、レジでお金を払ったり……といったことはできていた(多分)。ただ、「電球を買う」といった決め打ちの買い物は難しくなっていて、シャンプーを切れているのに、いざスーパーに行くと繰り返しリンスを買ってきて、「しまった…!」となるといった話もヘルパーさんから聞いていた。

となれば、私たちが実家を訪れたときに、電球交換は済ませてしまったほうが安全だ。

「電気の調子が悪いからなんとかしてくださいな」と義母にせかされ、「よしわかった」と義父が椅子に上がって……という展開はぜひとも避けたい。いつもは慎重な義父だが、義母の頼みはまず断らない。ご本人はどこまで自覚があるかわからないけれど、命がけで対応してしまうのだ。

しかし、義母が「かわいそう……」を連発し始めたことで、なんとも奇妙な空気が流れることになった。

電球が切れていると知って、「じゃあ、俺が買ってくるよ」と腰軽く出かけていき、できるだけ安定している椅子を選び、手際よく電球交換をしている息子(私の夫)の、どこに「かわいそう」な要素があるというのか。

昭和の大家族ドラマだったら、「なんなんですか! わたしが買いに行けばいいってことですか…!?」と嫁が泣き出してもおかしくない展開である。さすがに私は、その方向で追い詰められはしなかったけど、(これは受け入れづらい……)とは思っていた。

2階に見知らぬ女性が棲んでいたり、部屋にいないはずの子どもがいると主張されても、対応できるけど、「かわいそう」は無理なのか。人の臨界点は思いがけないところに現れるものだと、目を見開かれる思いでもあった。そこかー!

一歩間違えると、しばらく会いたくないレベルでの拒否感が発動しそうだったのだが、すんでのところでとどまったのは、「かわいそう」を連発されている当の本人が、苦渋の表情をしていたからだ。

もし、夫がここで「おふくろ、いいかげんにしてくれよ!!!」と声を荒げていたら、ドン引きしている自分のことは棚にあげ、冷ややかな気持ちになっていたと思う。義母の「かわいそう」発言は受け入れがたいけれど、年老いた親に乱暴な言葉遣いをする男はもっとイヤ。幸いなことに、夫は一言も発することなく、耐えていた。そこはかとなく罰ゲーム感が、グッとくる。

見れば見るほどつらそうで、面白くなってきた。

そして、ある切り返しを思いついてしまう。義母はムッとするだろうか。いいや、言っちゃえ。

「おかあさん、言葉が違っていますね!」
「え?」
「こういうときは『かわいそう』じゃなくて、『頼りになるわね』です」

改めて文字にすると、かなり失礼なことを言っているのだが、義母は一瞬キョトンとした後、「あらそうなの?」とニッコリし、「頼りになるわねぇ~」と繰り返す。予想外のリアクションである。

椅子の上で険しい顔をしていた夫の表情もゆるむ。それにしても、古い一戸建てだと、電球ひとつ取り返るのも大騒動だ。

なんとか電球を交換し終えて、実家から帰る道すがら、「おふくろの『かわいそう』発言は子どもの頃から苦手だった」という話を夫に聞いた。道理で、心底イヤそうな顔をしていたわけだ。

「ニュースとか見ててもさ、何かにつけて『かわいそうねぇ……』と言いたがるんだよ。その安全圏から同情している感じっていうか、高みに立った物言いがホント、むかつくんだよ!」

お、おう……。思い出したら腹が立ってきたようで、夫の言葉がどんどん強くなる。まあまあ、落ち着いて。私が思っていた以上に、義母は夫の地雷を踏み抜いていたようである。

「おかあさんに、『そういう物言いはやめよう』って提案したことないの?」
「あるよ!!! でも、話が通じない!」

夫によれば、小学校、中学校……と折に触れ、母親に対して物申してきたという。でも、そのたびに「よくわからないわ」という顔をされ、話し合いが成立しなかったそうだ。ああ……。

夫の話を聞きながら、もしかして……と、思い当たったことがある。

義母にとっての「かわいそう」は、フランス人の「ボンジュール!」みたいなものなのではないか。
私や夫は、それぞれ引っ掛かりを感じたけれど、義母にとっては深い意味はない。だからこそ、私が「言葉の使い方が間違ってますよ」なんて失礼すぎるボールを投げ込んでも、笑ってくれた……?

真相はわからない。でも、それ以降、義母が「かわいそうね」と言い出したら、すかさず「『頼りになるわぁ』ですね!」「そこは『かっこいい!』ですかね」などと言い換えて、切り抜けるようにしている。そして毎回、義母はとくにムッとすることもなく、「そうねえ」と私のセリフをリピートし、笑っているのである。

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