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ご自宅の鍵がどこにあるかわかりますか?(別居嫁介護日誌 #63)

「おふくろから電話があったんだけど、親父の調子が悪いらしい。『体の左側にしびれがある』って言ってるんだけど、どうも要領を得ない」

夫からそんな連絡があったのは、忘れもしない2018年1月26日(金)の夕方のことだ。なぜ、はっきり日付を覚えているかというと、翌27日(土)に修士論文の中間発表を控え、緊張が高まってきたぞというタイミングでの不穏な電話だったからである。

「とりあえず、往診の先生に電話するよう言ったから」

夫にそう言われ、真っ先に思ったのは(アホか……)だった。普段のおしゃべりは難なくこなす義母だけれど、そうは言っても認知症である。義父が体調を崩せば気が気ではないだろうし、そんな中、病状をヒアリングして、医師に電話をかけ、説明するなんてさすがに無理だろう。第一、具合が悪いほうも認知症なんである。そこは「電話するように言った」じゃなくて、往診医に電話をかけるターンじゃないのか! しかも、“しびれ”だよ。それ、恐いヤツじゃないの!?

しかも、翌日に中間発表が控えていることは夫も知っている。なんだよ、もう!!! という気持ちでいっぱいだった。しかし、電話の向こうの夫は「人と約束がある」と言って、焦っていた。遅刻できない約束であるらしい。半ばふてくされた気持ちで、「とりあえず実家に電話してみるわ」と伝えると、「ごめん、ホントすまん」と言って、夫は早々に電話を切った。

深呼吸してから、夫の実家に電話をかける。不機嫌そうな態度で義母をビビらせては元も子もないからだ。

「おかあさーん、お父さんのお加減が悪いって聞きましたけど、どうですか?」
「そうなのよ。ちょっとねえ……左側にしびれがあるって言うんだけど。脳がどうにかなっちゃったんじゃないかと思って心配で」
「そうですねえ」

やっぱり、痺れてるのか! 義母を動揺させないために、なるべく平然と対応したつもりだったけれど、内心はめちゃくちゃビビっていた。

「達也さんが、『往診の先生に電話して』って言ってたかと思うんですが、お電話されました?」
「ああ、なんかそんなことを言ってたような気がするわね。なんかあったら困ると思って、まずはお夕飯を食べてたの」
「お父さんもご一緒に召し上がったんですか」
「あの方はね、ぐったりして寝てるの」

やっぱり電話してないんかい! “腹が減っては戦はできぬ”という発想は微妙に正しい気もするけど、自分だけごはん食べてる場合か!! ツッコミどころがありすぎてクラクラする。

「じゃあ、わたしのほうから先生に一報入れておきますね」
「あら、ご面倒をおかけしてごめんなさいね」

切迫しているのかしてないのか、よくわからない義母との電話をなんとか切り上げ、大あわてでいつも往診をお願いしている内科の先生に電話をかけ、状況を説明する。いつもなら緊急対応で往診してもらえるのだが、その日はあいにく、遠方で仕事があり、すぐ駆けつけるのは難しいという。

「とりあえず、電話をかけて、お母さんにご様子を聞いてみますね」

そう言ってもらって肩の力が抜ける。すぐに往診するのは無理でも、ひとまず医師にはつないだので、あとは往診医のほうから訪問看護ステーションに指示を飛ばすなり何なり、適切に対処してくれるだろう。そのときはすっかりそう信じ込んでいた。

【やっぱり、お母さん電話かけてなかったよー】
【マジか!】
などと、夫と短いメッセージをやりとりし、すっかり仕事を終えた気分でいた。

ところが!

携帯電話に、往診医からの着信。電話をとると、開口一番「すみません。一刻を争う可能性があるので、今すぐ救急車を呼んでください」と言われる。え? マジで! 誰が? 私が救急車を呼ぶの!? 大混乱である。

「いいですか。119番にかけると、『火事ですか?救急ですか?』と聞かれるので、『救急です』と答えてください。次に、『場所はどこですか?』と聞かれるので、ご実家の住所を伝えてください。

そして、真奈美さんは都内の自宅から通報していること、そして救急隊が着いたら折り返し連絡をもらえるよう伝えてください。駆けつけてから救急車を呼ぶより、搬送先で合流するほうが時間のロスが少なくてすみます」

「先生、もう一回言ってください!」
都合3回繰り返してもらい、ようやく頭が動いてきた。

往診医の助言通り、119番にかけ、救急車を要請した。転送は問題なくクリア。しかし、携帯電話への連絡は「お約束はできません」。聞いてた話と違う!!!!

念のため、もう一度、夫の実家に電話をかける。

「ええ!? 救急車が来るの? それは困るわ」
「うん。まあ、そうは行っても救急車が来るんです。でね、おかあさん、わたしの携帯番号をメモしていただけますか」
さすがにテンパっていて、義母のこんにゃく問答を受け流せなくなっている。マズいマズい。

「メモとペンを持ってきたわよ-。はいどうぞ!」
なんとか義母にわたしの名前と携帯番号を書き留めてもらう。

「お母さん、救急車の人たちが来たら、そのメモを渡してください。『とにかく、この子に連絡して』って言ってくれたら、何とかしますから」
「あなたって、ホント頼りになるわねえ」
「じゃあ、また後で会いましょう」
「はーい!」
わかっているのかわかっていないのか、よくわからない義母の明るさに救われながら電話を切る。

そして、夫に緊急事態発生を連絡する。
「とにかく救急車はもう手配したから! 搬送先わかったら連絡入れる。私も向かうけど、そっちもよろしく」
そんな内容を伝えたのは、電話だったか、Facebookのメッセンジャーだったか……。このあたりの記憶はスッポリ抜け落ちてしまっている。

とにかく現地に向かわなくては……。今夜は戻れない可能性がある。ということは、明日の中間発表で使う資料一式とスーツも持っていかなきゃ。あと、病院の支払いに必要な現金と……救急搬送されたときって何が必要なんだっけ!? 

右往左往しながら荷造りをしていると、再び携帯電話が鳴った。

「●●△△さんの娘さんですか!? ご自宅の鍵がどこにあるかわかりますか? お父さまはすでに搬送準備が整いましたが、カギが見つからずに出発できずにいます。お母さまをご自宅に残して出発してもよろしいでしょうか」
切羽詰まった声で電話をかけてきたのは、救急隊員の人だった。

「義母も一緒に連れて行ってください! 置いていくと徘徊する可能性があります!!」
そうとしか答えようがなかった。といっても、いつまでも義父を待たせるわけにもいかない。

こうなったら、「搬送先が見つかったら、もう玄関の鍵は開けっぱなしでいいから出発してください」と伝えるしかないか。もうドロボウでもなんでも来るなら来やがれ! と、やけっぱちになったそのとき、電話の向こうから「カギがありました!!!」と別の救急隊員の声がした。

そして、救急車は出発した。もう、何がなにやらよく分からない。わたしはともかく、翌日の中間発表の資料とスーツだけは確実に持っているだけ繰り返し確認し、搬送先の病院に向かった。

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