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私が書きたい理由


私は、話している人の《言葉遣い》を気にする。

いや、気にしようと思う。これからもっと。


嘘をついたり、
見栄を張ったり、
プライドが高すぎて
謝れなかったり。

主語が《私》じゃなくて、
《日本人》だったり、
《女》だったり。

そんな言葉たちは信じない。
そんな、言葉を選ぶ人を私も選ばない。

《言葉》は、その人自身を表しているとも
言えると思う。
だから、私は本をたくさん読んで、たくさんの言葉を学んで、自分が心に響いた言葉を声に出して、いきたい。

いつか、私が救われた言葉たちで、
私がまた誰かを救いたい。



言葉は、刃にもなる。
思ってもないところで傷ついたり、
傷つけたりする。

私も、昔言われた言葉でずっと残っていることがある。

あなたってこういう所あるよね、
と自分のことを否定された時に、

当時の私には、それから自分自身を守る術がなかった。
落ち込んだ。
私ってそう思われているんだ。
でも、その時の自分を守れなかった。
自分を否定してきた人の言葉を信じて
自分自身を信じられなかった。


今思うと、悔しいな。

だから、自分自身を守る言葉を、最近は身につけるようにしている。
悩みができた時には、本を読むようにしている。自分にぴったり寄り添う本を選んで、
言葉が素敵な人の本の1行の言葉たちに救われる。泣けてくる。

『もしどこかに取り残された人がいるなら僕は迎えに行く。その人のために文章を書きたい。』--(泣きたくなったあなたへ/松浦弥太郎)


これだ。

《取り残された人》は、私自身だった。


弥太郎さんの言葉が届くのは、そういうことだった。


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私が文章を書きたいのは、
昔の自分自身を守る術がなかった私に届けたい気持ちと、
同じように痛みを抱えた人たちに届けたい気持ち。

だから、
私の文章は面白いわけではなくて、
クスッと笑えるものでもなくて、
時にはとっても暗いけど、

泣いちゃうけど、読んだ後にはあったかい気持ちになれるような、
眠れない夜に寄り添えるような、
なんかそういう言葉を書きたい。

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