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SCD家族それぞれの軌跡15 [次女篇❸]

今でしょ!

 次女が仕事を辞めた頃(21歳)、そろそろ車椅子が必要になっていました。夫と同様に、動けるギリギリまで頑張りました。

 車椅子での生活が避けて通れない時が来ることを予想して、バリアフリーの家を新築し、引っ越しました。玄関はスロープをつけ、娘の部屋やトイレは電動扉にし、風呂場は車椅子のまま入れるようにしました。日差しがたっぷり入る南向きの部屋は、明るく快適です。部屋から見える庭には、小鳥も訪れ、季節感が味わえます。身体的な不自由さが増してくるのですから、せめて生活環境くらいは整えたいと思いました。

 次女は、生活介護施設に通いました。そこでは、絵画や陶芸やちぎり絵などをしました。次女が作った作品は、居間に飾ったり、人にプレゼントして喜ばれました。勿論、私も沢山の作品をプレゼントされました。世界に一つしかない私の宝物です。

 海外旅行にも行きました。福祉が充実しているという北欧に出かけた時のことです。たしか、フィンランドだったと思います。観光地のトイレは数珠繋ぎの状態です。次女の車椅子を押して、列に並んで順番を待っていましたところ、一人の少女が、前に来るように私たちを手招きしているのです。前に並んでいる人達に、「この車椅子に乗っている人を先にしてやりましょうよ」とでも言ってくれたのでしょうか!すると、誰かが拍手をしました。その拍手は隣の人に伝染して、次から次へと拍手する人が出てきます。温かな拍手に迎えられて次女はトイレに入りました。トイレを終えた後、何度も何度もお辞儀をし、最後に最敬礼をして隣接した売店に向かいました。職場のお土産は、人数分入ったクッキーでもと思っていましたが、幸せの気分につられて、ちょっと高価なムーミンのマグネットを奮発しました。

 映画は沢山観ました。色々なお店に食事に行きました。大好きなテーマパークは何度も行きました。車椅子のまま船に乗り込み、浜名湖遊覧もしました。ヘリコプターで東京の上空遊覧、その時にみた東京の煌びやかな夜景と遠くに望む富士山は絶景でした。チケットが取りにくいアイドルのコンサートに2回も行きました。後悔しないように、覚悟を持って遊びまくりました。
 今、出来ることの全てをやろうと思いました。まさに、「今でしょ!」でした。


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