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君の名前で僕を呼んで

 夏の午睡のような映画だった。
 ちょうど見た時間も15時からという太陽が西に傾きはじめる夏の空で、見終わったときは映画と同じように翳る部屋の中だった。これ以上に素晴らしい条件はないだろうというくらいのコンディションだった。

 ティモシー・シャラメの美しさをただただひたすらに享受する映画なのか? と冗談めかしていたが、そう思ってもいいくらいティモシーは美しかった。撮影当時は21か22くらいだったようだが、あの体の薄っぺらさは映画の中のエリオそのまま17歳のようだった。
 不確かで、危うく、繊細で、淡い――少年期の身体。そして自分のこころの中にある複雑で粗削りなものを失わせることも、正しく伝えることもできない。
 ただ、エリオは大学教授の息子でありハイソサエティなので身のこなし方や言葉遣いがひたすらに上品なのである。そして目線一つの寄越し方も、長いまつ毛に縁取られた垂れ下がった瞳がとても蠱惑的で、夏のからりとした暑いイタリアで彼の瞳だけが潤っていた。

 オリヴァーで検索すると「最低」とサジェストで出てくるが、果たして本当に「最低」なのだろうか?
 同性愛者だと親に知られたら矯正施設にただちに送られるような家庭で育った彼が、エリオと逃避行するはずがない。
 1983年のあの時代で、17歳の少年の手を本気で掴むか? もしかしたら本気で本当にその考えはあったのかもしれない。(なにしろ、エリオは超絶美少年であり、掴まえたと思ったらするりと逃げてしまいそうなところがあった。それがまたオリヴァーのこころをぐっと掴んだ。そして幸福なことにエリオの両親は寛大で理解があったからだ)
 エリオとオリヴァーのふたりの旅はエリオにとってはこれからやってくる幸せの序章であったが、オリヴァーにとってはそうではなかった。途中まではそうだったかもしれない。けれど、きっかけはエリオが酔い吐いたことだろう。まるであのときのエリオはこどものようだった。
 体調を崩し、保護者庇護者の前でなすすべもなく吐き戻す。それは相手への信頼の証でもあったが、彼は年齢も体も、すべてがまだこどもだった。
 オリヴァーはそこで気付く。
 彼は何度もエリオに「後悔しないか?」と聞いていた。自分といることで肉体的にも精神的にも未熟で、大人になってから「あのときどうして僕は?」と後悔するような間違いを起こして欲しくなかったのだ。

 オリヴァーは自分の使い方をよく知っていた。自分にはとても魅力があり、男女問わず好意を持たせることが出来、自分が思うように物事を運べることを。
 だからエリオにも何度も訊ねた。「これは君の判断であるよね?」=「僕は悪いことはしてない。これは君が選んだんだ。思い直す道は何度も与えた。それでも君は僕を選んでいる、そうだろう?」しかしそれは卑怯だと思う。
 けれどオリヴァーにはとても厳しい親がいたし、これからもマッチョな男でいなくてはならない。
 ただ、オリヴァー自身もまっすぐにエリオを選びたかったに違いない。
 だってこの映画のタイトルは「君の名前で僕を呼んで」だ。
 これはずっと、見る前から主人公であるティモシー・シャラメ(エリオ)が恋焦がれて呟くセリフだと思っていたのだ。
 なのにまさか、オリヴァー、君のセリフだったなんて!

”オリヴァー””オリヴァー””オリヴァー””オリヴァー”
 僕はここにいる。
”エリオ””エリオ””エリオ””エリオ””エリオ””エリオ”
 愛する君の名前で、僕を。

 なんてこった、オリヴァー、君もまた厳しい道を歩いているのだね。
 彼はその夜決意する。エリオに選ばせた道であったけれど、エリオを愛しているがゆえに手放すことを。
 ひと夏のうつくしい思い出はこれで終わりにしなくてはならない。
 そして、ふたりは別れる。

 エリオは駅の電話ボックスで情けなく子供のように泣きながら実家に電話をして自分を迎えに来てほしいと頼む。母親は何も言わずに迎えに行き、仲たがいしたガールフレンドはここにきてエリオの趣味(人間性)に寄り添う言葉をかける。
 そして、セラピーともいえるような(グッドウィルハンディングかと思った)父が格言を述べる。イタリアの町も、両親も、ガールフレンドも、お手伝いも、エリオを愛し包み込んでいる。
 オリヴァーとは違い、エリオは確実に立ち直り前を向いていくだろう。

 そして美しい冬のラストシーン。
 暖炉の薪がぱちぱちと爆ぜていく音を聞きながら、エリオの顔が映し出される。
 夏はもう終わった、今は冬だ。
 そしてあの瞬間をもって、エリオの少年期が終わったのだろう。


 いい映画でした。

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