冬の日のこと
風が通る音がする。
遠くから風がやってきて、田んぼの上、木々の隙間から強く吹き抜ける音だ。広い間隔で家が建っているせいで風の勢いが弱らない。その風らは家の壁にぶつかり、金属製のシャッターをガタガタ揺らす。
2ヶ月ぶりに実家に帰ったときのことだ。
私の実家は築30年を越えていて、建てた当時は新しく画期的だったシャッターも今は古く重く、強い風が吹くとガタガタと揺れて大きく鳴る。
結婚するまで実家に住んでいた私は久しぶりに聞くこのシャッターの揺れの音に敏感になり、よく眠れなかった。結婚してから実家を離れてたった1年と半年しか経っていないのに、実家は我が家ではなくなり、他人の家のように感じた。
東京まで電車で1時間は掛からない地方都市。そこが私の地元だ。最近は開発が富に進み、大型店舗がにょきにょきと建ち、郊外には東京っぽいお店がオープンしたりしている。
(オシャレなお店のことを“東京っぽい”と言ってしまうのだ)
地元の友人と会う時は(そして独身の時も)遊び場はもちろんイオンだ。
そんな久しぶりの実家に、1年半前までは身を任せていたベッドもしっくりと来ず、ごうごうと吹く強い風とシャッターのガタガタ音を聞きながら目を瞑り、『ここはもう私の場所では無くなったのだな』と思った。
結婚してから私は都民になった。昔から憧れていた都民だ。23区内に住んでいる。都内に住んで驚いたことは救急車の音をよく聞くことだった。近くに大きな病院があるせいかもしれないが、越してからの間に倒れている人を救急隊が取り囲んでいるのを少なくとも5回は見た。
これはひとえに人口密度が高いせいもあるのだが、救急隊員なんて滅多に見かけなかった田舎出身の私としてはかなりの驚きだった。救急車なんて遠くからやってきてまた遠くに去っていくあまり見ないものだったし、その車に乗っている救急隊員なんていうのはまずお目にかかったことがなかった。
けれど、ここは都内23区内。人間が多い。
商店街で人が倒れている、店内で、店先で、普段見慣れた場所に人間が横たわり、普段見ることもない救急隊員が周りを取り囲んでいるのを見て心臓がひゅっとした。非日常と日常の境目がしっかりとあると感じていた地元より、ここは全てが地続きであるのかもしれないなと思った。
多分、地元にいた私はまだ子供だったのだ。世間知らずで未熟者、自分の半径5メートルで世界は完結しているように思っていた。本当は、世の中は忙しなく動き続けている。地元に隔離され続けた私はその速度を知らなかったのだ。
今期一番の寒い日の朝、私は病院に向かっていた。
診察を一番で受けたいので足早に駅に向かい電車に乗り込んだ。最近、仕事を辞めて有給を消化しているので病院に朝一番に行くことだって出来るのだ。人の多いターミナル駅に病院はある。出勤中の人々に逆流するように地下鉄の階段を地上へ出るために駆け上がっていると、ふと前に人の塊があった。誰かが倒れているようで、駅員がその誰かを取り囲んでいた。
「また人が倒れている」
その人は初老の男性で、通勤途中のような出立ちであった。黒いコートに、黒のかばん。黒い革靴。
男性は駅員から額をトイレットペーパーで抑えられており、まだ救急車が来ていないようだった。階段で転んで額でも切ったのだろうか。そう思いながら男性を見てしまった。地下鉄の駅へと急ぐ他の人は男性を一瞥しさっと駆け降りていく。私はそんな人たちをすれ違いながらその男性の瞳を見た。
意識は失っておらず、寒い朝のキンとした空気の中、男性の瞳だけは光を浴びてやや灰色かかっており、きらりと光っているようだった。瞳は忙しなく、現在の状態を半ば受け入れられていないように動いていた。
なんだか、その瞳が嫌に焼き付いて離れないのだ。
あの朝の冷たい空気と朝特有の忙しない場所、通勤中の目的を持って歩く人たちに止まっていたもの。日常では立ち去る場所に人が倒れている。動く灰色の瞳、少し潤んでいる瞳はきらきら輝きながら不安げに揺れる。朝、空気、冷たい、ひとみ・・・
あの光景は、しばらく忘れられそうにない。
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