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これからSTRAY SHEEPのはなしをします。2020年8月5日発売、米津玄師の5thアルバム。

音楽は、その"みぞ"に、人生の都度を記録して遺してくれます。宝石を見るときも、花を触る時も、あの人に噛み付くときだって、耳だけは自由です。

然るに、10代で聴いた音楽とは永遠にここに在り、あなたと聴いた音楽が、その腰掛けたままのカウチを、柔らかいくぼみを、留めてくれること。

巡って今日は、愛聴する彼の新譜が入荷してくる日でした。

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暫しのイントロデュース。飛ばして差し支えないです。

令和2年、私は東京都で働いています。今日また忙しくもレジや電話を受け、かけ、客注の対応。日々の業務にあくせくと。

世の中はどうもウィルスが目に見えないもので、何らの違和なく活動しております。老いも若いも男に女も、品を物色しては、思い思いに去ったりとか。

店長が変わったので、うまく折り合いがつけられない私。人が掃けて漸く自分の担当する業務に取りかかれます。私が受け持つのは、備品、携帯アクセサリー、音楽雑貨、それから、CD。

賑やかすために販促用の映像を流して、大小のポップを書いて(これは、私が今の仕事を始めてからずっとやりたかったことが一つ、叶った日でした)、売り場に商品を並べて。

退勤の少しまえ、レジで会計を済ませて、挨拶もそこそこに帰路につきました。帰るとシャワーとご飯をすませて、それを開封しにかかる。

今どきフィジカルなCDを買う理由はここにあります。

いつもみたいに宝箱みたいなその装いを、一枚ずつ確かめながら剥がしていって、芯にあたる。ディスクが姿をあらわして、私はそれをメディアプレイヤーに挿入する。

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ここから本題。読んでね。

Lemon以後の彼は、すごかった。飛ぶ鳥をも落とす勢いとはこのことを言うのでしょう。でもそれは、現代の戦闘力じみた文化観で囃される再生数とか、いかにもスノッブな方々が授ける賞、その一覧でもない。

米津玄師の作る音楽は美しい。そんなのは誰でも知っている。その出自ゆえに殊に神格化され、偶像として拝されることも、少なくない。

でも、ちょっとここでは、もう少し規模の小さい音楽の話。ひとりの人間としての彼を、彼の歌を、語りたい。語りたいと、思う。

本当はこんなことを書かれるのなんか、嫌にきまっているけれど。でも、これは私の覚書としてもここに書きます。

また、一聴に先んじて、ROCK'N ON JAPANの山崎編集長、音楽ナタリーの柴那典、両名によるインタビューをそれぞれ読みました。後者はネット上で公開されているので、未読の人は是非に。

アルバムを聴く前の話。

シングルとしてはFlamingoが特にすきでした。それは私が初めて聴いた彼の曲を、結ンデ開イテ羅刹ト骸を彷彿とさせるからかもしれないし、偶然にも先行視聴会に行くことができたから、かもしれない。

そして変てこな曲が好きです。だって、鹿爪らしく座っているのが苦手だから。斜に構えているほうが私の自然体なので。

だから彼の音楽にひそむ遊び心や、日陰者の矜持が刺さることは言うまでもなく。パプリカのセルフカバーや、感電なんかもそうですね。たのしい。

やっていることの新しさとそのバランス感覚は、確かに目を見張るものがあります。でも、ちゃんと通して聴くと、このアルバムは非常に高次元で成立しているポップミュージックなんですよ。

文脈の引用。その妙からしても、私たちの血を流れる記憶を呼び起こして、手綱を握っていてくれる心地よさがある。

でもカムパネルラや、優しい人、décolletéなんかが根っこの明るい音楽かなと聞かれたら、明確に答えはNOになるわけです。

特に一曲目、制作の最後に添えられたと言うカムパネルラが、このアルバムの底に流れる川と言ってもいい。この一曲が無いだけで、全然通して聴いたときの雰囲気が違ってくる。

この辺りは先人、文章のプロによるインタビューでも語られているので、あえて私がもう一度深く掘り下げる必要はないかな、とも思います。

それから、一聴して私は、このアルバムには繰り返し、繰り返し、花がその姿を現すことに気がつきました。

咲いたリンドウの花、悲しみに雨曝し花曇り、肺に睡蓮、パプリカ花が咲いたら、呼べよ花の名前を、日陰に咲いたひまわり、花びらを瓶に詰め込んで火を放て、花を散らして、花を見つめていた。収録されている15曲のうち、じつに9曲もの詞で花について歌われている。

歌におけるモチーフとして、花は代表的なものです。特筆すべきほどではないと言われればそれまでですが、無意識下のうちに花のことを何度も歌ってしまう彼の人間らしさ。

花。とくに、ひまわりを聴いたとき。私は涙を飲まずにはいられなかった。こんなにささくれだった言葉たちで、故人を悼む歌がかつてあったでしょうか。

”転がるように線を貫いて”、”散弾銃をぶち抜け”、”北極星へ舵取れ”。

最後、クレジットを読んでいるとき。RECメンバーにGuiter 松本大(LAMP IN TERREN)の名前を見つけた私は、また言葉を失うことになりました。

米津玄師、松本大。それから私たちが10代の頃より親しみ、音楽と共に愛したwowakaは、彼らの親友だということを知っていたから。

新木場コースト。献花台に花を添えにいった日のことを思い出したり。

カムパネルラやLemon、カナリヤでも歌っているように、否応なく隣人は去り、それでも日々は続いていく。変化を受容して、生きていく。

このSTRAY SHEEPというアルバムは、そんな生活のさなかで右往左往する、人間の泥臭さそのものを歌う。なんとも強く肯定してくれる。弱々しく優しい作品群なんじゃないかと、私は思います。

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