命名

澱にはなむけ

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澱にはなむけ

最近の記事

chestnuts

実家を出て丸2年。ひとりで暮らすようになってから1年が過ぎていた。 或いは働いて得た賃金で、自分で用意した居室、好んで買った洋服、楽器や、本に至るまで、この空間全てが私の細胞のひとつのようにおもう。 特に食事は、購買と消費のサイクルがはやく、生活と生命維持に直結している。 慎ましいながら自分で選んだものを買って、調理して、おおいに食べて、いまこうして命が繋がれていることに、不思議な実感があるものだ。 このほど、スーパーでびわが売っているのを見かけて、祖父母の家に住んでい

    • last

      これからSTRAY SHEEPのはなしをします。2020年8月5日発売、米津玄師の5thアルバム。 音楽は、その"みぞ"に、人生の都度を記録して遺してくれます。宝石を見るときも、花を触る時も、あの人に噛み付くときだって、耳だけは自由です。 然るに、10代で聴いた音楽とは永遠にここに在り、あなたと聴いた音楽が、その腰掛けたままのカウチを、柔らかいくぼみを、留めてくれること。 巡って今日は、愛聴する彼の新譜が入荷してくる日でした。 # 暫しのイントロデュース。飛ばして差

      • 真鍮とくらしの話

        ところで、すきな金属はなんですか。私は真鍮製のものがすきだと最近気づきました。身につけるなら断然、真鍮。 真鍮とは、曰く「銅と亜鉛の合金のうち、亜鉛の割合が20%以上のもの」らしいです。英語でいうところのbrass。ブラスバンド=金管楽団のブラス。身近なところでは、5円玉などもそうですね。 多くの場合において、真鍮は金や銀に対して劣後します。知名度としてはもちろん、その価値も。一等や二等のメダル。折り紙のメッキ紙。おとぎ話の財宝。アクセサリーのお店を覗いてみれば、ゴールド

        • 12月

           私は祝福の花を大切な人に配り歩いていて、それが私の示せる愛だった。でもここのところ、果たしてこれが愛かしら、とおもう。寂しくなるのは愛かしら、とおもう。悲しくなるのは?  大切にされたい、と脳が揺れるとき私はなんて卑しい人間なのだろうと、がく然とする。最初からそのつもりだったら、なにが祝福なのか。  語るまでもない。相手に求める道理はない。同じものを同じだけなんて、望むべくもない。のに。  じゃあ、興味が失せるまでの地獄かしら。すべてから手放されたとき私は幸せか?