2006年~2008年の頃の出来事_VIPPERとネトゲ(ネット老人向け)
どもども。ともすけです。
今日はかなーり昔で、2006年~2008年頃の私のネット上の体験談を書きます!どちらかというとネット老人向けです!
初めてネットコミュニティに帰属意識が芽生えた、高校時代のネットゲームの出来事と、完美世界を彷彿させた直近の出来事について、書き残していきます。
章立てとしては下記の通り。
前回1万文字の記事に続き、今回も5千文字という長文ヲタクと化してます。体験談はストーリー性もあって書き始めると長くなっちゃいます。
<Ⅰ.当時のインターネットカルチャー(ニュース速報VIP)>
<Ⅱ.MMORPG_完美世界との出会い>
<Ⅲ.完美世界での出来事>
<Ⅳ.※1(帰属意識)>
<Ⅴ.※2(慈愛と同調)>
<Ⅵ.完美世界を彷彿させた直近の出来事>
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<Ⅰ.当時のインターネットカルチャー(ニュース速報VIP)>
僕が高校生の2006年~2008年頃、インターネットコンテンツも日々進展しており、FLASHコンテンツの衰退⇒インターネットラジオの全盛、衰退⇒YOUTUBE、ニコニコ動画等の動画サイト全盛へと変化していき、同時にまとめ系サイトも全盛期を迎えていました。
まとめ系サイト記事の元ネタは2chのニュース速報VIP板(以下、VIP板)が大半で、VIP板がネットカルチャーの覇権を握る中、陰キャ高校生の僕も面白い場所を求め、VIP板に常駐することとなります。
当時のノリ
当時のVIP板は、ネットゲームがサービス開始すると専用スレッドが立ち上がり、VIPPER(VIP板の利用者)が集団でネットゲームに参加、コンテンツの限りを数日間遊びつくしたのち、ゲームから去る文化がありました。
これは当時、スレッドのパートスレ化(1スレッドに収まらず2スレッド目以降を継続的に立ち続けること)による慣れ合いが忌み嫌われていた文化が合わさったと思います。
2chという従来匿名性の文化と、キャラクターネームという非匿名性のネットゲームに常駐する文化が相反していました。
<Ⅱ.MMORPG_完美世界との出会い>
とある日、完美世界というネットゲームのスレッドがVIP板に立ち上がります。完美世界は当時のMMOでは珍しい、3Dかつ空中移動も可能なオープンワールド型で、キャラクターグラフィックも詳細まで変更できるなど、衝撃的な内容でした。
僕は従来のVIPPERと同様、数日間のみ遊び尽くそうと思いましたが、サービス開始と同時に始めたMMOが初めてだったこと、ゲームを純粋に楽しんでいたこと、後述するVIPギルドのメンバーとのコミュニケーションが居心地良く、続けていきます。
余談ですが当時VIPで流行っていた蒼星石ラジオが大好きで、この頃から僕のハンドルネームは「蒼星石」⇒略して「そーせー」⇒略して「そせ」と、その後6~7年ほど使っていくハンドルネームとなります。
VIPギルド「ksg」と懐かしきワイ(蒼星石)
VIPギルドもサービス当初は一般プレイヤーをPKしたり、PKKと集団戦闘したり、ゲームマスターのキャラクターを襲撃したりなど、それはそれは害悪プレイを楽しんでいましたが、VIPPERの性質上次第に去っていき、気づいたときには僕がギルドマスターとなりました。
当時のギルドメンバーのSSより
僕がギルドマスターの頃は、毎日GWタイムで10人程度がアクティブにログインしていました。ギルドメンバーのレベルに差がある中、僕は高校生で時間を持て余していたため、廃人相当のレベリングを行い、他のメンバーのクエストや、ダンジョンを手伝って楽しく過ごしていました。
このときは気づいてなかったのですが、ギルドマスターということもあり、初めてネットコミュニティという集団における、帰属意識が芽生えていたものと思います。
ギルドメンバーで色んな場所を巡ったり
<Ⅲ.完美世界での出来事>
サービス開始して数か月後、完美世界に領土戦という新しいゲーム要素が追加されます。簡単にいうとゲーム内の領土を奪い合うギルド対抗戦です。
このギルド対抗戦はMAXで80人まで参加できる仕様のため、人数の多いギルドが猛威を振るっていました。PKで対人要素の楽しみを味わっていた僕は、どうしても領土戦がしたく、VIPギルドで行ってみたものの、アクティブ10人程度のギルドでMAX80人のギルドには太刀打ちできず敗北の連続でした。
そこで僕は「ちょっと領土戦楽しんでくる!」とギルドメンバー各位に伝えて、ギルド脱退しました。
このとき何人かのギルドメンバーも、VIPPERの性質上「面白いところに行く!」精神で、ついて来ることになります。
当時低スぺPCのSS いろんなギルドにお世話に
ギルドは抜けたものの、VIPギルドのメンバーとのコミュニケーションの場が必要なので、ゲーム内で作成できるトークルーム(パスワード付)を開設し、VIPPERにルームパスワードを連携してコミュニケーションできる環境を整えたりしてみました。
これまでのSSの左下がギルドチャット、右側がトークルームチャット
その後も僕は数多くの領土戦ギルドを巡っていきます。僕が先んじて入隊し、他のVIPPERも同様についていきます。
その最中、VIPギルドに残っていた人たちは次第にログインが減っていき、気づいたときには、VIPギルドに残っていた全員が引退していきました(※1)。
月日は流れ、領土戦ギルドを駆け巡った結果、VIPPERの性質に合う領土戦ギルド(以下、Gギルド)に入ることができ、残っていた他のVIPPERも招待して、Gギルドの方の配慮もあり調和が図られました(※2)。
そしてその年の12月にGギルドを脱退後、年末に自分のキャラクターをデリート(削除)し、僕にとってVIPPERと遊んだ完美世界というストーリーは、幕を閉じました。
<Ⅳ.※1(帰属意識)>
まず※1の、VIPギルドのメンバー引退について触れていきます。
引退したメンバーの多くは、ギルドという集団に帰属意識を持っていました。VIPギルドメンバーにとってトークルームというコミュニケーションはあくまで手段であり、帰属先の集団では無かったように思います。
またトークルームはルールとして、VIPPERが面白いと思った一般プレイヤーも呼んで良いものとなりました。結果、VIPPERが見つけてきた面白いプレイヤーが追加されていきました。VIPPERと一般プレイヤーが混ざり合い、雰囲気に少しずつ変化していきました。
VIPギルドとトークルーム、所属にいる人が重複しても、集団が違うということは、集団におけるキャラクター性も変わっていきます。
結果、VIPギルドでは自己発信していた人が、トークルームでは自己発信できなかったケースもあり、VIPギルドで現実の相談をしていた子には悪いことをしたなーと思い出します。
一つの集団かと思っていたけど実態はこんな感じ
またVIPギルドのギルドマスターだったわけで、以下のネガティブな見られ方もあります。
「ギルドマスターなのに自分の楽しみを追求した無責任さ」
「突発に集団から抜け、残ったメンバー視点での捨てられた感覚」
「ギルドマスターに限らず他の人も抜けたことによるコミュニティの崩壊」などなど。
抜けたあとは何を言われても知る由も無くブラックボックスです。
実際のところ、ギルドマスターというリーダーの責任など、当時の僕は微塵も思ってなかったわけです。
逆説的に思うと、僕にとってVIPギルドもトークルームも、責任の無さも含めて、自身の感覚を隠すことなく発信できた素敵な場所だったんだろうなあ。その自由さに感覚の似てる人が多く、いろんなギルドについてきたのも含めて、ギルドメンバーにはすごく恵まれてたと思います。
ここで学んだ教訓は上記にも記載の通り、ほぼ同じ構成のメンバーだとしても、集団が別である以上キャラクター性も別であること、自己発信にも変化があることでした。
人は集団ごとにキャラクターを持っています。
後に経験するSkype、Discordにおいても、グループチャット、サーバー、チャンネルの構成要員ごとに、一部メンバーが重複していても要員構成で雰囲気変わりますよね。
当たり前のことなのですが、どちらの集団でも同様に楽しんでいるときや、集団の差に違和感がない人だと気づかないものです。
この記事書いている僕も気づかないときがあります。
<Ⅴ.※2(慈愛と同調)>
VIPギルドのメンバー引退を知ったとき、僕はすごく悲しくなった思い出があります。
それと同時に、僕の自由奔放さに、それでもついてきてくれた人たちが長く遊べるギルドを見つけて、橋渡しをしたい思いも芽生えました。
ここまで色んな領土戦ギルドに迷惑をかけてきましたが、迷惑掛けてでも僕の行動が変わらず楽しめたのは、VIPギルド無き今、領土戦ギルドではなくトークルームに皆がいたからです。
トークルームを帰属ではなく手段と思ってる人も中にはいるため、少なくとも皆が楽しめるギルドだけは見つけたいと思いました。
また当時、来年から大学生というのもあり、現実で取り組みたいことがあったこと、完美世界のキャラクターLVが年内中に100(ほぼカンスト)を達成し、実装されていたゲームコンテンツのほぼ全て遊び尽くすことを想定していました。
そんな中、領土戦ギルドの一つであるGギルドと出会います。
Gギルドの人たちは元PKerを受け入れる体制がありました。VIPのノリに理解を示す方も多く、VIPPERが入ったことで対人好きも増えていきました。
コミュニティにおける許容と、その次に必要な調和の工程を踏まえて、身内(Gギルドメンバー)と外様(VIPPER)の壁を払拭していたと思います。
GギルドとVIPPERが調和して、Skype通話で仲良くしているのを聞いたとき、VIPPERは全員僕と同じか年上でしたが、間違いなく僕は慈愛を感じていたと思います。
また、この頃には残っていたメンバーのうち、独自で面白いギルドを探す人も何人かおり、ある意味でトークルームは、皆所属している集団は違えど、元VIPギルドメンバーの憩いの場のような使われ方をしていました。
このときは皆、ギルドとトークルーム、ともに若干のキャラクターは違えど、疎外感なく自己発信できているように見えました。
どちらの集団も楽しんだ時代
勝手ながら、橋渡しできた達成感と、僕にとって完美世界というストーリーのエンドを迎えるのに丁度良いと思いました。めっちゃ自分に酔ってました。
ここでの教訓は、返礼です。
やはり一緒に時間を過ごした人、僕についてくる人は可愛く見えるものです。一緒に領土戦ギルドを駆け巡って他者からバッシングされようとも、ついてくる人は早々見捨てることはできないのです。
この思いは大事にしたいものです。特に、自身への人格の形成としても、ついてくる方への慈愛もね。
もう一つの教訓は、集団同士の同調です。
これは集団と個でも言えるのですが、アイデンティティの違う集団が同調する際、片方がもう片方の意見をルールとして許容したとしても、許容した内容に寄り添う意識がない限り、寄り添われた側もその意識の無さに気づきます。
大事なのは許容の次にある調和です。
その調和を行う一例として、集団の双方が協力し合わなければ解決しない課題を与える等、イベントが必要になります。
完美世界のときは、ギルド内で対人イベントを増やす他、通常のフィールドでも仲良いメンバー間ならPK(という名の対人戦)を行う等、VIPのノリに近い遊び方で楽しむことができました。
ここまで書いて余談ですが、この頃から現在においても、何かしらの物事に成熟性を感じたとき、自身の中でストーリーを描く癖があります。
コミュニティ一つにしても、オフ会一つにしても、ストーリー立てをする節が多い傾向にあります。ワイが群像劇スタイルのストーリーテラーや。
<Ⅵ.完美世界を彷彿させた直近の出来事>
去年、とあるdiscordサーバーで時折話す子がいました。
たまたま複数のサーバーで遭遇し、その子からは時折ネット上の人間関係で相談を受けることがありました。それから、話を聞くことが多くなったと思います。
現実もある程度楽しんでいるように見えましたが、現実とは別に、ネットコミュニティで自己発信できる場を求めている様子も見えていました。
相談を聞きながら、もっと自分らしく楽しいと思える場所があれば良いのになーと思ったとき、その子をとあるコミュニティに誘うこととしました。
それは「僕の大好きなコミュニティに、この子がいたらもっとコミュニティが楽しくなるだろうなー」という集団への返礼の想い。
もう一つは「この子にとって、きっと楽しいと思えるコミュニティや人間関係、イベントが起きるだろうなー」という個人への返礼の想い。
結果、紆余曲折を経てあんなオフ会メンバーになるとは思わなかったけど、時が過ぎれば大抵の大変だった面白事は、貴重な思い出になるものです。
誘ってから月日が経ち、12月の下旬頃にその子と話をする機会があり、「来年もこのコミュニティの人たちとこんな遊びするんだよー!」と楽しそうに話してるのを聞き、慈愛と安心感がありました。
このとき僕の中で、完美世界のVIPPERたちへの想いがデジャブとして蘇り、当時の自身の思考を思い出すきっかけにもなりました。
この記事は、年末にストーリーエンドを迎えた完美世界を思い出し、直近の自身の行動に背中を押してくれた思い出の一つとして、書き残します。
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