【 表現は自由だ 】
わたしは、元々は自分を表現するのがすごく苦手な子だった。
他人の表情がわかりすぎるからこそ、人の顔色を伺って、正しい答えや正しい反応をすることが良いことだと思ってた、変に大人の子供だった。
だから、小さい頃から姉の影響で始めた無数の習い事も、自分のためではなく、それをしている自分を誰かに褒めてもらいたいからやっていた。
バレエ、ジャズ、タップ、ヒップホップ、コンテンポラリー、新体操、フィギュアスケート、お琴、ピアノ。
恵まれた環境のおかげで、気づいたら色んなことができるようになっていた。
小学生のわたしは、それをなんの疑問にも思っていなかったけど、
中学生になって、反抗期が訪れて、急に姉のやっている習い事を全てやめた。
「何かやっている」自分であるからこそ、自分の価値を見出せてたのに、
「何もない自分」になった瞬間に、自分の価値を見出せなくなって、
「自分って生きている価値あるのかな」
「何も価値のない自分が生きていること自体申し訳ない」と思い
自殺願望を抱くこともあった。
でも、それは自分にとって、
「自分の人生を生きる」というための大切な一ステップになったんだと思う。
それまで、自分の意思もなく、やりたいこともなく、夢もなかったわたしが、
はじめて「自分の意思」を持とうとした瞬間だった。
不器用でも、不恰好でも、怖くても、不安でも、
「自由に生きたい」
「前に進みたい」
そんな想いがどこかにあったんだと思う。
「何もなくなった自分」は最初は何をすればいいのかがわからなくて、
インターネットに没入することで現実から逃避をし、自分の心の拠り所となった。
その当時はちょうどニコニコ動画でボカロが人気になっていた頃で、自分にとって音楽とアニメが自分の心のオアシスとなった。
今思えば、その当時有名だったボカロPや歌い手さんたちも、社会へ吐き出せない不満、モヤモヤを表現を通して昇華していたのではないだろうか?
朝は学校へ行き、帰ってきてから夜寝るまで、朝の2-3時くらいまでパソコンに向き合う毎日を迎えていた。
不登校にはならなかったが、親には、特に母親には心配された。
「この子はこのままでいいのだろうか?」
「社会に出れない子になるのでは?」
「これからこの子はどう生活していくのか?」
学校で見せる表の顔、帰ってきてから見せる裏の顔、友達の前での顔、家族の前での顔、一人でいる時の顔、現地校での顔、日本語補修校で見せる顔。
どれが本当の自分なの?
わからなくなっていた。
怖くて自分を直視できなかった。
本当の自分を見せたら、みんなが、そして何より自分ががっかりするんじゃないかと思って、見ないようにしていた。
波風起こすのが嫌で、自分の言いかけた言葉も感情も全部自分の中に閉じ込めて。
心の中に人を入れて傷つくのが怖くて、心の扉は固く閉ざしていた。
どれだけ仲良くなっても、心に奥の奥は見せられなかった。言えないことも、共有できない感情も、喉元まで出かけて、飲み込んだ想いもあった。
近づきすぎる人は、わざと強く反発したり、突き放したり、いじったりして。
それが一番楽だと思ったから。
それが一番良いと思っていたから。
でも、それが自分の日常になっていたし、その当時はそれがベストだったんだと思う。
自分のことに対して自信もなかったし、
自分のことが好きじゃなかったから、
褒めてもらったり、もっと知りたいと言ってもらったり、もっと話したいと言ってもらったり、好きになってもらったり、
愛情の受け取り下手でそういう好意をどう受け入れればいいのかがわからなかった。
嬉しいなら嬉しいと表現すればいいだけなのに。
好きなら好きって言えばいいのに。
わかって欲しいなら、わかって欲しいと言えばいいだけなのに。
素直になれない自分が見え隠れして、もう、本当によくわからなかった。自分の気持ちが。
今でも、振り返るとなぜか涙が出るくらい、心は傷ついていた。
誰に?というわけではない。
自分が一番自分をジャッジしていたんだ。
自分が一番自分を傷つけていた。
自分はこういう性格だから。
自分は人にこう見られている。
自分はこうあるべきだ。
そうでないと、何か悪いことが起こりそうで。
そんな自分から抜け出すきっかけになったのが、日本に来ることだった。
そこから全て変わった。
新しい学校、
新らしい環境、
新しい国。
姉は関西、母は横浜、父はアメリカ、私は東京で高校生から学生会館で一人暮らしを始めた。
それまでは、パワフルな家族と一緒にいれば、何かしらが起きていた日常が、
自分から何か起こさないと何も起こらない日常に変わった。
新しい学校に入学する、そんなタイミングに友人がTEDトークを紹介してくれた。
“Fake it till you become it”
自分が変わるまで、嘘でもなんでも良いから演じ続けなさい。
その当時、自分のことが嫌いだった私は、その言葉を信じて、変わる決心をした。
幸い、自分の学校も、周りにいる子も、似ている境遇で、2/3が帰国生の学校で。
みんな新しい学校に入るワクワク感、ドキドキ感を胸に抱いていた。
そんな時に、ちょっと勇気を出して、いつもだったしないけど、隣の人に声をかけてみたり、笑顔を向けてみたりするようにしていたら、
周りから「明るくフレンドリーで社交的な人」として見てもらえるようになった。
笑顔をするのが苦手で写真にも映るのが好きじゃなかった私が、
みんなから、「アイリーンの笑顔が素敵」って言ってもらえるようになるなんて思ってもなかったなぁ。
今まで、アメリカにいる時は、「英語」で自分を表現するのが苦手だった。
「英語」って、自分の意志がはっきりしていないと話せない言葉だと思っていたから。
意志のない私には、使うのが難しいと思っていたから。
昔から、家では日本語、学校では英語の生活をしていたから、アメリカで育ちながらも、自分の心を表現するのは日本語だったんだよなぁ。
論文読んだりアカデミックな物は、英語で勉強する方が慣れてるけど。
でも、日本に来て、自分を客観的に見た時に、自分以上にアメリカに長くいて、発音もネイティブに話せる人がいないことに気づき、
英語への苦手意識も少しづつとれていった。
そういう小さな成功体験が積み重なって、自分の自信に繋がった。
少しづつ、自分から話しかけてみたり、自分から足を運んでみたり、自分から挑戦してみたりするようになった。
高校では、自分からまたダンスを始めたいと思って、創作ダンス部に入ったり、
元々アメリカで学んでいたタップダンスで、文化祭でソロを出して見たり、
クイズ大会のWorld Scholars Cupの日本大会に出場してバンコク大会まで行ったり、
世界一周コンテストDREAMに高校生の時に一人で行ってみて、世界一周の夢ができたり、
ピースボートセンターでポスター貼りの営業をして、一軒一軒ピンポンしに行ったり、
ビジネススクールに入って、インスタ運用を学んで、自分の英語ビジネスを一人で立ち上げたり、
外国人観光客向けの浅草ツアーを考えて見たり、
大学では、また更に行動範囲が広がって、
サンバ、アカペラ、ストリートダンス、競技ダンス、ユネスコ部、ゴルフ部など色んなサークルに入ってみたり、
5日間名前も、年齢も明かさない、時計もケータイもないキャンプで心を開けるようになったり、
アメリカの幼馴染と日本を縦断した後、直感にしたがって熊本のエコビレッジサイハテに初めて一人旅で行って見たり、
大学の代表として通訳大会に出て見たり、
活動しすぎて鬱になったり、でもまた復活したり、
SFの授業で自主制作短編映画を作ってみたり、
夢だった世界一周の船旅に日英通訳として行く機会をもらったり、
ラスベガスに大学の友達を連れて戻れたり、
念願のアオイエのシェアハウスに住んでみたり、
友人とSDGsx英語のコミュニティを立ち上げて、週4で活動したり、
気づいたら沖縄に住んでいたり、
電力系のNPOを通して、九州の地熱発電所を回ってみたり、
絆家シェアハウスのアンバサダーとして関西で活動したり、
一緒に住んでたお姉さんのおかげでスパイスカレーに興味を持ち始めたり、
「この地球に生まれて」っていうイベントに参加するために沖縄に久々に行って、魂が震える体験をしたり、
家なし生活をして、日本中を旅してみたり、
全国で信頼できる仲間や家族のような存在と出会ったり、
大学4年で世界一周DREAMに出て、1000人の前で地熱のことを話したり、
卒論と就活をするために、おばあちゃんとお母さんと3世代で半年間一緒に暮らしたり、
ちゃんと就活に向き合ってみたり、自分を型にはめようとしたり、
かと思ったら、奇跡的に自分のピッタリな就職先が見つかって、ワクワクしたり、
クリエイターが集うシェアハウス、アサヒ荘の合宿でリアルスプラトゥーンをやってみたり、
今まで出会った大切な人たちと再会するために動き回ったり、
福島県で魂の解放祭に参加してみて、ステージで歌ってみたり、
福島第1原発の視察に連れて行ってもらったり、
地球貢献大学に参加してみて、自分の中に溢れる愛を感じたり、
エコビレッジのダーナビレッジに行って見たり、
なんだろう、書ききれないけど、自分の大切な思い出がたっくさん詰まった日々にどんどん変わっていったの。
学生生活を、これ以上満喫できないって思うほど、充実した時間を過ごせた。
ここ数年は特に、本当に奇跡のような毎日を過ごすことができていて、
楽しいことも、苦しいことも、嬉しいことも、悲しいことも、全ての経験には意味があると感じて生きていくことができる。
楽しいことや嬉しいことは、「人生ってこんなに素晴らしいんだ!」って思わせてくれるし、
苦しいことや悲しいことは、味わっている時は、次、自分と似たような道を歩む誰かに伝えていくために経験する。
今までたくさんのことを受け取ってきた。
それは、環境に恵まれていたから。
運が良かったから。
自分や周りの努力があったから。
でも、これからは、
自分の持っている経験、知識、愛を
人に「与える」役割を担っていく。
そう、今までは、
表現は「誰かに認めてもらうため」
「誰かにカッコいいと思ってもらうため」にやっていた。
でも、最近は違う。
心が満たされて、自分の内側から
「表現したい!」という気持ちが湧き上がってきて、
それを歌だったり、フルートだったり、ダンスだったり、言葉など、自分のできることで表現していきたいと思うようになった。
この動画も、そんな気持ちになった時にとられたもの。
最初は本当に怖かった。
でも、終わった後に、
「心に刺さった」
「表現してくれてありがとう」
と言ってもらえて、自分まで色んな人に救われた気持ちになった。
表現って自由だ。
100人いたら、100通りの正解がある。
どれが正しいなんて、ない。
不完全なものであっても、
上手じゃなくても、下手であっても、
伝えたい気持ちを乗せたら、伝わる。
ちゃんと、伝わる。
だから、たとえ不恰好でも、カッコ悪くても、下手でも、上手くなくても、
これからも私は、私なりの方法で表現する人でありたい。
もっともっと表現して、与えていく人になっていきたい。
みんなも、いっぱい受け取って、一度きりの人生を精一杯充実させて、楽しめる人になっていこうー!
生まれてくれて、出会ってくれて、生きていてくれてありがとう。
これからは、これからも一緒に生きていこう。
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