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リレーエッセイ「タイムトラベル」(連想#5)

 note上でエッセイをリレー形式で書いていくこの企画。
5回目の今回は、友人のはじめくんが書いたテーマ「締め切り」からバトンを受け取って、連想をした結果、「タイムトラベル」というテーマで書いていこうと思う。

何故「タイムトラベル」か?
まずはこのキーワードにたどり着く経緯を説明させてもらおう。

はじめくんの「締め切り」の記事からは、それを英語でdeadline(死の境界線)と言うように、守れなかった場合の尋常でないプレッシャーがひしひしと伝わってきた。
もちろん僕も長いことシステムエンジニアをやっていて、常に締め切りとは隣り合わせだし、締め切りが苦手で嫌いだ。
後先が無い追い込まれる感覚、、そのイメージから「絶体絶命」というキーワードがまずは頭に浮かんだ。

一方で、もうシステムエンジニアとして長く働いていることもあり、いかに締め切り(納期、リリース予定日)までに計画的にシステム開発を終わらせられるか、「システム開発方法論」の知識も持ち合わせており、第二のキーワードとして浮上した。

そうして、3つ目として、締め切りという時間軸の概念が出てきたということで、誰もが考えたことがあるだろう「なんで俺はあの時、楽して過ごしてしまったんだろう。あの時に戻ってやりなおしたい」、または「はやくこの苦しい一日が終わって明日になってくれないかなぁ」などとありもしない時間移動を夢想する行為。
つまり「タイムトラベル」あるいは「タイムリープ」、「タイムスリップ」なんかをテーマにしても面白いのでは無いか?

ということで「絶体絶命」、「システム開発方法論」、「タイムトラベル」あたりでしばらく悩むことになった。

「絶体絶命」といえば、自分も長い人生、それこそ命の危機を感じる瞬間が何度かあった。九死に一生と言うやつだ。

大学時代、サークルの合宿で北海道に行って、山奥の崖から車ごと転落して、なんとか無事だったけど、同乗者たちと2時間かけて麓の村まで無言で歩いたこと。

子供が生まれる前、沖縄の海でスキューバダイビングしていたら、空気のチューブが抜けて息ができなくなり緊急浮上したこと。

しかしこれらは飲みの席などで話すとウケたりはするが、本人にとって笑えないし、あまり思い出したくもない。。と言うことで却下。

「システム開発方法論」。これはタスクを予定通りこなす方法論がいくつかあって、実際、システム開発の現場でなくとも、日常生活の中でも応用がきくし、実は僕がいつかは一般のみなさんにも広くナレッジを共有してみたいなと思っている分野である。

例えば簡単なところで言えば「TODOリスト」や「マインドマップ」。他にも「ロードマップ」「WBS」「ガントチャート」「カンバン」「スプリント」などなど。
こういったやり方を駆使して、目標までのタスクを分解し、期限から逆算して計画を立てて実行していけば締め切りは守れる。もう怖くない。

昔の僕を知っている人間だったら、極端に時間にルーズで、様々な迷惑をかけていた姿を思い出して、こんな立派なことを言っているギャップに笑いが止まらないかもしれない。
でもまぁ、今は時間管理が結構得意だ。胸を張って言おうかな?

ともかく、こんな内容ではちょっとした勉強会みたいになってしまうし、エッセイのテーマとしては却下。
興味がある方は是非連絡をいただいたら、きっといい気になって資料をまとめ始めるかもしれない。

さてそれで「タイムトラベル」はどうか?
「締め切り」からの「タイムトラベル」。。そんなことを考えて一番初めに浮かんだイメージは、ドラえもんの5巻に収録されている「ドラえもんだらけ」だ。

これ絵はいったいどう言うことか?
どら焼き欲しさにのび太の宿題を引き受けたドラえもんは、とても一人では締め切りまでに終わらない量を前に名案をひらめく。2時間後の自分、4時間後の自分、6時間後の自分。。を現在に連れてきて一気に終わらせる。
しかし、この安易な考えには落とし穴があり、なんとか手伝ってもらい無事終わって寝ようとすると、2時間前の自分(ドラえもん)が手伝いを呼びにくる。ようやく終わってクタクタで戻ると今度は4時間前の自分が呼びに来る、、と言う始末だ。そんなこんなで上の5人のドラえもんの地獄絵図。

ちなみにこの話は僕が小学生低学年の頃、人生で初めてタイムトラベルもののパラドックス(受け入れ難い説、矛盾)を感じて、しばらく考え込んでしまった記憶がある。

これはまさに締め切りを時間の操作でなんとかしようと言う夢想そのものだ。
世の中の多くの「タイムトラベル」ものも、こういった締め切りのような追い込まれた状況、危機一髪、大失敗などを巻き返すものが多そうだ。

僕は特に詳しい方ではないけれども、SF好きなこともあり、思えば「タイムトラベル」ものも色々観たり読んだりしてきた。
そんなものを語ったり、タイムトラベル自体を分析してみるのも面白いかもしれない。

と言うことで、今回連想して取り上げるテーマは「タイムトラベル」で決まり。

ようやく本題に辿り着いた。


さて「タイムトラベル」。
他にも似たような「タイムリープ」、「タイムスリップ」などという言葉がある。
僕は使い分けが分からず混同して使っていたが、はじめにちよっと言葉の意味を調べてみたら、意外とSFファンの中でははっきりと使い分けがあるようだ。

「タイムトラベル」は、装置や機械などを使って意図的に過去や未来に時間旅行するもの。

「タイムリープ」は、leap(跳躍する)の言葉の通り個人の能力などを使って、過去や未来の自分自身に時間跳躍して精神が入れ替わるもの。
つまり跳躍可能時間は本人の寿命の範囲内だ。

「タイムスリップ」は、スリップの名の通り、本人の意思に関係なく、不意に過去や未来に移動してしまうもの。

おぉ、なるほど。面白い。
では、「Dr. スランプ」にタイムスリッパーなる装置が出てきて、装置に繋がったタイムくんが「ターイム、スリップ!」と言って走って本当に滑って転ぶと目的の年代に時間旅行ができるのだが、あれは「タイムトラベル」であり、「タイムスリップ」ではないということなのか。笑
もちろん、そんな言葉の定義もない時代のマンガだし、大笑いして読んでいたので全然問題ないが。

というわけで、定義もわかったところで、僕が覚えている時間移動モノを簡単に分類してみよう。
そしてその中からいくつかピックアップして考察してみたいと思う。

「タイムトラベル」もの

マンガ「ドラえもん」
アニメ「タイムボカン」
アニメ/実写「まんがはじめて物語」
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
映画「サマータイムマシン・ブルース」
映画「ドラえもん ぼく、桃太郎のなんなのさ」
など

「タイムリープ」もの

ドラマ「ブラッシュアップライフ」
アニメ「東京リベンジャーズ」
アニメ「サマータイムレンダ」
アニメ「時をかける少女」
マンガ「タコピーの原罪」
マンガ「代紋TAKE2」
など

「タイムスリップ」もの

ドラマ「仁 -JIN-」
ドラマ「ペンディングトレイン」
アニメ「未来警察ウラシマン」
ドラマ「テセウスの船」
など

いかがだろうか?
こうして分類してみると、なるほどなぁ、と時間移動モノがより理解しやすくなってきた。
読者のみなさんも、やってみるといいのではないだろうか?

これらについて語る前に、結構分類ができないパターンもあったので挙げておきたい。

まずは、映画「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」だ。
これはラムや諸星あたるたちの通う友引高校が、文化祭を明日に控え大忙し、、と言う文化祭前日が何日も繰り返してしまう話。
集団で時間がループしてしまうと言うのは、どれにも当てはまらず斬新だ。

映画「君の名は」も時間を扱っている。遠く離れた主人公たちの意識が入れ替わるが、実は時間軸も異なっているというストーリー。

映画「TENET」においては、時間モノではあるのだが、もはや複雑すぎて説明不能。時間を逆行する技術が開発され、通常の順行の時の流れと、逆行の時の流れがクロスするという。。

他にも、思いついたがよく考えると時間移動モノではないなと気づいたものも、いくつかあった。

例えば、大好きなマンガ「Dr. STONE」。これは謎の光線によって人類全てが石化してしまい、天才高校生、石神千空が3700年後に自ら石化を解き、人類の再興を目指す物語だ。
壮大な時間の流れはあるが、SF的な時間移動は伴っていない。

また、映画「マトリックス」シリーズは、現代の現実世界だと思っていた世の中が、実は約200年後の機械が支配する世界に見せられている仮想現実だった。。と言う話。
これも錯覚をしているだけで、実際は時間移動を伴っていなかった。

さて、時を戻そう。いや、話を戻そう。
「タイムトラベル」「タイムリープ」「タイムスリップ」といった話題をするのに避けて通れない話がある。それはタイムパラドックスだ。

時間移動をした場合、移動した人物が過去の世界に影響を与えてしまうと、歴史が変わってしまい、結果現代の状況も変わってしまうと言われている。
しかし、例えば恨みがあるために、過去に行って自分の先祖を殺してしまったら、現代人である本人は、そもそも生まれないはずであり、存在自体がありえない存在となる。
その瞬間に体が消えてしまうのか?
そもそも先祖が殺されて死んでいたのであるなら、恨みを持って過去にいく話自体がないのではないか?
そうするとやっぱり先祖は殺されないのでは?
考えれば考えるほど訳がわからなくなる。

そんなタイムパラドックスを、それぞれの時間移動モノがどう説明しているのか?それともしていないのか?
そんなことにも注目して考察していくと面白いかもしれない。

まずは「タイムトラベル」ものの代表選手、「ドラえもん」を考えていきたい。
数あるエピソードの中でも、かなりの回数タイムマシンが登場した。
ドラえもんが「過去を変えるのは犯罪だぞ」と言っているのを何度か読んだり聞いたりした気がするのだが、そもそもそんな危険な装置を未来の世界では売っていいのだろうか?
過去を変えないというのは自主規制に委ねるのか?え、性善説?

そもそもドラえもんは、のび太がジャイ子と結婚して、貧乏子沢山で莫大な借金を背負う運命を阻止しに22世紀からやってきた。
のび太の子孫、セワシ君が、自分たちの代までのび太の借金が残っていて苦しいので、ドラえもんをのび太の元に送り込んだのだ。

え?それって思い切り犯罪じゃない?

そもそもジャイ子と結婚せず、しずかちゃんと結婚することになったら、セワシ君は生まれないのでは?

その疑問に対してセワシ君は第1話の中で「東京から大阪に行くのに新幹線で行くか、車で行くかの違いのようなもので、結局未来は変わらない」のようなことを言っていた。
しかしどう考えても、途中の時代では差が生まれているし、子供の読者は騙せても、大人になった僕らには納得がいかない。
これはあまりリアルにタイムパラドックスを説明していない、雰囲気誤魔化しタイプ。

他に「タイムボカン」はギャグだし、そもそもそんな疑問には触れないタイプ。

映画「ドラえもん ぼく、桃太郎のなんなのさ」なんかは、実はおとぎ話の桃太郎の正体は、タイムマシーンで過去にさかのぼった のび太たちだった!という話。
未来人による過去の改編込みで歴史は一つというタイプ。
ちよっとわかりづらいけど、のび太たちが過去に行って桃太郎になるのは、生まれる以前から決まっていた運命・宿命(さだめ)ということだろう。
なんか個人的にはこれはちょっとしっくり来る。
未来人が過去に行って、偶然であれ意図的であれ何をしようが、それは最初からそう歴史が決まっていて、今の世の中はなるべくして今の姿になっていると言う考え。
そう考えると時間旅行も気が軽くなる。

「タイムリープ」について考えていこう。
これは基本的に自分の人生をやり直すタイプの話なので、同じ時代に本人は2人存在しない。
よってタイムトラベルよりも矛盾は生じにくいかもしれない。

最近タイムリープという言葉を一般的に定着させたのは「東京リベンジャーズ」通称「東リべ」の功績が大きいだろう。
主人公武道が、最初はアクシデントで昔のやんちゃだった中学の頃の自分に戻る。
その後何度となく未来の事件を防ぐために過去を変えようと現在と過去のタイムリープを繰り返すのだ。

他にも挙げた「ブラッシュアップライフ」や「時をかける少女」「サマータイムレンダ」も同じような感じで、何度も過去に戻り、自分の行動を変えることで未来を修正しようと試みる。
トライアンドエラーでより良い未来を作り上げると言うわけだ。

この手の話は主人公視点では問題がないように見える。
それどころか知識や経験値も高まっていいことづくめかも知れない。
しかし、他の人々の人生はどうなるか?という問題がある。

本当は図に書かなければ難しいが、文章と記号で勘弁してほしい。

1回目の人生があって、イベント順に
1A → 1B → 1C → 1D → 1Eと表すとしよう。
Cの段階でBに戻る。2回目の人生になるのでこれを表すと
1A → 1B →1C → 2B → 2C → 2D → 2E
となる。

主人公はそのように進んだとして、では今まで1Cまで一緒だった他の人々、家族・友人はどうなってしまうのだろう。
主人公が2Bの時代に行ってしまったらその人たちの人生は一瞬で暗転して無に帰すのか?
それって、その主人公こそが世界の中心の神のような存在で、世界はその人にのみついて回ると言うことか?
こんな大問題が発生する。

いやいや、そんなことはないはずで、主人公以外の人たちにとっても世の中は、今まで通り通常運転のはずだ。
つまり先程の説明でいると1C→ 1D → 1E も世界は普通に周っているはず。
まぁ、主人公目線で、それ以外の人たちの世界を( )で表すなら、
↓こんな感じになるだろう。

1A → 1B →1C → (1D') → (1E')
     → 2B →2C → 2D → 2E

つまり今いる世界とは少し違うパターンの世界(1D'-1E'と2D-2Eのような)が、同時的にどこかに存在することになる。
これがパラレルワールドだ。
もしくはマルチバース(多元世界)と言ってもいい。
ますますややこしい話になってきた。

時間移動モノはこの辺のパラドックスもなんとか説明をつけないといけないので、作者としたらストーリー構成や理論武装を考えるのがとても大変だと思う。
とても完全に説明できるものではないので、多くの作品はその話題には寄らず触らずが多い気がする。

では最後に「タイムスリップ」系の作品の話題もしつつ、物語のエンディングについて考察したい。

ドラマ「仁-JIN-」を例に考えよう。
大沢たかお主演、綾瀬はるか助演のタイムスリップ歴史医療ドラマとでも言えばいいだろうか?
医者である主人公(大沢たかお)が、ある日幕末にタイムスリップしてしまう。
日本刀で斬られた侍を、現代の医療技術で助けたことで、住み込みで暮らすことになり、その家の娘(綾瀬はるか)を医療助手に、当時の人々の病を奇跡的に治し医療の発展に大いに貢献していく感動的な話だ。

(是非みなさんにも観てほしいが、ここからネタバレ的な話しをするので、スキップするか、ご了承の上読み進めてほしい)

不意にタイムスリップして過去に来たので、もちろん現代への戻り方も知らないが、最終的には現代に戻れる。

しかしそこは元いた世界ではなく、医療制度が目覚ましく充実した日本だ。
主人公は医師でもなく、身元不明者として扱われる。
図書館で医療発展した歴史を調べると、自分の名前はない。
しかし一緒に医療発展に寄与した当時の弟子たちの名前はある。
つまり自分が現代に戻ったことで、過去の世界から主人公の痕跡が消え、周りの人々の記憶にも残っていないということだ。

これは、時間移動モノに時々あるパターンなのかもしれないが、ある種の虚しさが残る。
せっかく異時代の仲間との交流、恋人との日々、、深い絆を育んできたのに、それが事実として無くなってしまう。
あるのは唯一自分の記憶の中にだけだ。

確かにタイムパラドックスについて、うまく話を着陸させる方法としては、主人公が時間移動した瞬間、周囲の人々の記憶から消えて無くなるというのは何かと都合がいい。

代償としては本人や読者の切なさだ。

時間移動モノのエンディングに、何かモヤっと切ない気持ちが残ることが多いのは、単にSF的なロジックの不完全さだけではないだろう。
登場人物の想いや感情が分断され、リセットされてしまうことの寂しさ虚しさがあるかもしれない。

さて、時間移動モノに関する考察はここまでにする。

いかがだっただろうか?
時間移動モノにもいろいろなタイプの作品があるが、僕としては、結局読み手、鑑賞している側の広く受け入れる気持ちが重要だと感じた。
時代を超えた状況でしかありえない特殊な設定を活かして、作者が伝えようとするストーリーの面白さや、メッセージを思い切り楽しもう。

理屈を追求したり、深掘りするのは、暇つぶしの頭の体操くらいでいい。
難しいことを考えずに、純粋に作品を楽しめばいい。


というわけで、次回のバトンも友人のはじめくんに渡します。どうかよろしく。

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