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40年振りのラブレター

こんなことを書けるのもnoteの良さですね・・・

今日、約40年振りに過去貰ったラブレターを読んで、いいオッサンの胸が
キュンキュンしております・・・
赤の他人が読んでも、全く面白くない日記でごめんなさい🙇

昨日、約3年振りに奈良の実家に帰って来ました。

コロナ禍ではありますが、今回は一人暮らしの母親の手術があり、その付き添いが帰省目的です。

今まで帰省する時は数日泊まる程度だったのですが、今回は長居するので
2階の一部屋を使わせて貰うことにしました。
押入れをゴソゴソしていたら、上記写真の「LETTER BOX」を発見して、余りに懐かしくずっと読んでしまったという訳です。
いやぁ、完全にLETTER BOXの存在すら記憶から消えておりました…
(物心ついてからのラブレター類は結婚前に処分したのですが、中学時代の
 ものは実家に残してたみたいです)

40年振り・・・
1981年(昭和56年)中学卒業時の頃に頂いたものが多く、この頃が私の
人生最大のモテ期でありました
💦

「記念に下さい、ボタンを一つ」と書かれた手紙、バレンタイン時に告白された手紙、などが出てきました。
転校もあって中学卒業後3年も文通した彼女と「交換日記」してたことも思い出しました。中学生くらいの頃は、女子の方が精神年齢が全然上だったな~と懐かしく思います。

何人か気になってFacebookを覗いちゃいました・・・
どなたも判明しませんでした、苗字も変わってるでしょうしね・・・
とにかく大切な「思い出」が蘇ったので、56歳のオッサンなりに胸にしまっておこうと思います。

しかし今時の恋愛事情はどうなのだろうか…と想像したりする訳です。

私の頃は(80年代)、電話は自宅にかけて「家族」というハードルを越えて
彼女と会話出来る時代でした。
厳しいお父さんが電話に出ると、彼女に取次して貰えないなんてこともありましたね。携帯が普及する前には、ポケベルもあって「ポケベルが鳴らくて」というドラマも流行りました・・・

今どきは、SNSが普及して「手書きのラブレター」なんて書かないんでしょうかね。何度も何度も書き直して、やっとの思いで渡すあのドキドキ感。
因みにLETTER BOXの中には、自筆の渡せなかったラブレターもあって
とても恥ずかしくて読めたもんではありませんでした。(アオハルです💦)
そう考えると恋愛と共に、様々なコミュニケーションツールの変遷を経験
してきた世代だな~とも思います。

そして夕方、自宅から持って来たギターで、「春なのに」を弾き語ったのは
言うまでもありません。(単純💦)

「記念に下さい ボタンを一つ  青い空に捨てます♫」
中島みゆきの歌詞って、やはり涙腺ゆるみます。。。

▼以前、何かの雑誌で読んだ言葉
「恋を終わらせる確実な方法は、結婚してしまうこと」(う~む。。。)

「あ~、恋したい」なんて思ったらダメなのでしょうか・・・

40年振りのラブレターを読んで、当時自分も誰かの役に立ててたことを実感出来て「生きてて良かった」と思えた1日にもなりました。

追伸:めぐみちゃんへ
貰った手紙、全部読みました。
親友いずみから「めぐをよろしく」という手紙もありました。
一気にタイムトリップした訳ですが、15歳と思えない上手な字と気持ちが
痛いほど伝わる内容で、当時の貴方は別格の存在だったことを改めて思い直しました。頂いていた手作り人形も、母が大切に保管してくれていました。

15歳の女の子が、こんなに手の込んだものを作ってくれたという気持ちを
当時の私は、ちゃんと受け止めることが出来ませんでした。
「ごめんなさい」、いま想像するだけで、もう胸が痛いです。
現在、無職な私ですが、とても力を頂きました!(感謝)

もう40年会ったことないけど、どこかの街で元気に、そして幸せに暮らしていることを切に切に祈っています。 本当にありがとう!

                           2021年8月13日



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