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Vo.2:ベアリッジ最大の危機から学んだこと

香港の展示会でようやく見つけた、理想の通信機「BRIDGECOM X5」

販売権の交渉で韓国へ飛び、お酒を飲んで吹雪にTシャツ一枚で走り回り、やっとの思いで日本での独占販売権をゲット‼︎
しかし、本当に大変だったのは、ここからでした...。

自分が惚れ込んだ製品。
なのに、なのに....
販売当初はまったく売れず。
仕入先の韓国人社長に「数千台は売る!」と啖呵を切ったものの、フタを開けてみたら一年目の販売数はたったの125台…。
 
さらにX5に注力しすぎたあまり、もともとの事業であるネット販売の売上がダダ落ちし、創業以来最大の資金不足に直面。
 
ベアリッジにとっても、私ベアにとっても「人生最大の危機」を迎えました。


「目よ、もう覚めないで」

常に頭の中は「倒産」の二文字。
2008年の創業から約8年、紆余曲折ありながらなんとか経営を続けてました。そして、ようやく「これだ!」と確信できる商品に巡り会えたものの、大量の在庫を抱え、そのプレッシャーから「借金が返せなかったら……」と不安な毎日でした。

この時期は、毎晩のように「もう目なんて覚めなくていいよ」と眠りにつき、夜中にどっぷり汗をかいてることも珍しくなかったです。

土砂降りなのに傘が無い

在庫を抱え、製品は売れず、売上も落ち、資金ショートになり、私は銀行に融資を頼みました。
 
「晴れの日に傘を貸し、雨の日に取り上げる☂️」
銀行の代名詞です。この言葉を身をもって体験することができました。
銀行担当者は「借りて借りて」と普段は言うのに、困っているときは電話しても「検討中です」と折り返し無し。
 
しかし、資金ショートになったのは銀行のせいでも、誰のせいでもはなく、私の判断のせい。
すべて経営者である私の責任でした。
すみません、ちょっとカッコつけました。
 
でも当時はホントに必死でした。
会社存続のため、積み立てた保険をすべて解約し、個人の貯金や給与も全て運転資金に回し、私個人では一時期無一文にもなりました。
いやぁ~、この頃は月末、給与前が怖かったぁ~。

トラックやバスのように「プシュ~」

当時のベアリッジの事務所は狭く、従業員さんは4、5人。そのうちの1人から「ベアさん、『ソレ』やめてもらえません?」と。
 
「え?オレ?何を?」と聞き返しましたが、気づくと数分おきに「はあぁ~😮‍💨」と深いため息。従業員さんから指摘され、「はあぁ~」とまた一息。

「体が大きいからトラックやバスみたく『プシュ~』って出ちゃうの」と誤魔化してましたが、不安が漏れ出てしまってました、プシュ~。

孤独という名の試練

時折、「(売上が)ちょっと今月悪いかも」と従業員さんに話すことはありますが、「本当に厳しいときは何も言えないもんだなぁ」とこの時期に学びました。
 
片田舎の小さな会社で働いてくれる従業員さんたちが不安になることは避けたかったです。
倒産しそうだと思われたり、給与未払いなどして、みんなの信用を失うのが、ホントに怖かった😱。
 
当時の借入額は、今の10分の1。
ただこの頃の私は、まだ泳げもしないのに、川に飛び込み、溺れかけた熊でした。しかし、この時飛び込まなければ大きなシャケ、もとい、大きなチャンスを掴むことはできず、今のベアリッジ、B-EARはなかったと思います🐻🐟。
 
この頃は苦しく、そして孤独でした。
しかし、逆境や苦悩に耐えることで、信念を培うことができた。
今は心底そう思うことができます。

なぜ、最初は製品が売れなかったの?

この上なく理想的な製品だったX5が、なぜ最初は売れなかったのか?
 
その理由はズバリ、、、「売り方が間違いだらけ」だったから。
コレに尽きます。
 
売れる当てやコネはなく、どう売り出せばいいのか全く分かりませんでした。
 
一軒一軒建設現場に電話をしては断られ、興味を持ってもらえそうな現場には足を運ぶ。全くもって効率が悪かったです。
 
通信機器は、短期間でリピートが狙えず、毎度新規さんを見つけなくてはならない上に、B-EARの認知度は無く、宣伝や売り込みに時間やお金が掛かりました。
間違いだらけの営業を何度も繰り返し、ようやく自社のみで売り込んでいてはダメだと気がつき、「代理店販売」という手段に行き着きました。
 
今となっては、簡単な答えですが、当時はそんなことにも気づかず、たどり着くのに一年もかかりました(再びため息😮‍💨 プシュ~)。
 
そして、「さぁ、代理店を作るぞ!」と再奮起しましたが、コレもまた..

次回、「代理店作りの巻」

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