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Vo.1:B-EARブランドの立ち上げで一番大切だったのは、結局「諦めないこと」だった

「申し訳ないが、君の会社とは契約できない」

私が思い描く通信技術を持った企業を見つけるべく、足を運んだ香港での展示会。ようやく出会えた理想の製品を前に、その製品を開発した韓国人社長から淡々と告げられました。

「近いうちに日本の大手のどこかと契約するから、そこから製品を買ってくれ」

それも当然のこと、当時の私の通信機器に関する知識量は、ほぼ素人同然。会社の規模を考えても、大手企業と契約した方が相手のメリットは大きい。

しかしそんな勝ち目の薄い状況でも、私はその製品に一目惚れをしていたので、簡単には引き下がれませんでした。

展示会から1ヶ月後、私は一目惚れした製品を手掛ける韓国の開発会社、韓国人のスティーブン社長を説得するべく韓国へと向かいました。

「なんとしてもウチが契約する!」

もしこの時点で断念していたら、今のB-EARは存在していなかったかもしれません。
2015年のことでした。


「ブランド」が必要だ!

はじめまして、株式会社ベアリッジの代表を務める中橋康太郎と申します。今回は、私たちベアリッジが手がける通信機器ブランド『B-EAR』が生まれた時のお話をさせてください。

当時のベアリッジは、バイク用製品や自動車用コーティング剤、まだ高額だったLED、中国製の不安定なバイクツーリング用インカムといった、いろんなジャンルの製品をネット販売したり、卸売りをしたりする会社でした。

しかしECサイトでは、「中華製の安物」「ノンブランド品」「無名品」などと心無いレビューが寄せられるばかり。

「AppleやPanasonicだって、世に出回っている製品のほとんどが中国製なのに、なぜうちはそんなことばかり言われるのか……」

しかしよくよく考えてみると、ブランド名もなく、メーカー名も記載されていない商品は、購入者側からすると非常に怪しく見えるもの。そこで私は、当時ネット販売していた製品の中で、もっとも興味があり売れ行きのよかった、通信機器に特化した自社ブランドを作ることに決めました。

ブランドを立ち上げるにあたって重要なのがネーミングです。

「何にしようかな?」と考えていたところ、「シンプルに『ベアー』でいいんじゃないですか?」と当時の従業員さんに言われ、ブランド名は一瞬で決まりました。

「ベアー」という名前は、私自身の見た目になぞらえて、若いころから現在に至るまで呼ばれ続けているニックネームでもあります。
因みに普段からベアさん、クマさん、と友人はもちろん、従業員さん達からもそう呼んでもらっております。

ブランド名を『ベアー』と決める時に気づいたのが、世の中には動物名を使ったブランドが数多く存在するということ。

タイガー、ライオン、ジャガー、プーマ、ゼブラ、象印、マウスコンピューター、レッドブル……。

一流メーカーたちといつか肩を並べられるように。そんな想いを込めつつ、通信機器に特化したブランド『B-EAR』が誕生しました。

ちなみにB-EARは、BEARに"-"が入っていますが、Bを取るとEARになります。" EAR=耳”、クマの中に”耳"が入っています。B-EARは通信機器、"音"に特化したブランドなので、この表記を採用しました。

またキャッチフレーズの"Hear" we go!!ですが、英語で「Here we go=さぁ行くよ」という言葉があります。”Hear"と"Here"は同じ発音なので、それを文字って"Hear" we go!!としました。

会社の運命を変える出会い

ブランドを立ち上げたからと言って、中身が伴わなければ意味がない。

当時のB-EARの商品は、販売できる品質に達しないものがほとんどでした。さらに当時のベアリッジは、今の3分の1にも満たない売り上げで、そんな中、商品選定やサンプル取寄せ、製品開発などに数百万円もの費用が飛んでいったので、経営は本当に大変でした。

また従業員さんたちに相談しても解決できないと決めつけ、ひとりで悩みを抱え込んでしまい、かなり苦しい時期でした。

どんなB-EAR製品を販売すればよいのかと思い悩んでいたところ、思い切って参加した香港の展示会で、とある製品と出会いました。それがB-EARブランドの原点となる、最大5人間で同時通話ができるトランシーバー、のちの「BRIDGECOM X5」だったのです。

ひと目見た瞬間、「これだっ!」と電撃が走りました。

これまで見てきた通信機器の中でも、非常にシンプルかつ小型で軽量。大きな親機が必要なく、クリアな音質でノイズキャンセリングの遮音性が高いうえに、通信も途切れない。まさに私が追い求めていた理想の製品でした。

そのブースを出展していたのが、ワイヤレス製品を手がける韓国の通信機器企画開発会社でした。

ブースに居たスティーブン社長に直接交渉したところ、「日本の大手数社と今すでに話をしている最中でね、申し訳ないけど君とは契約はできない。近いうちにどこかと契約するから、君はその会社の代理店となって、そこから製品を買ってくれ」と断られてしまいました。

どんな日本の大手企業が契約するかも分からない。もしその会社が契約してしまったら、B-EARブランドで展開することはできない。それどころか、その企業がウチのような小さな会社を代理店にしない可能性すらあると思いました。

私は展示会期間中、何度もスティーブン社長へアピールしに行くも、返事は「ノー」の一点張りでした。

「なんとしてでもこの製品を取り扱いたい!」

香港から帰国した1ヵ月後、私は再びスティーブン社長を説得するため、その目的のためだけに初めて韓国へと向いました。

結局、「しつこい人」「諦めない人」が勝つ……のかもしれない

「韓国に行くのでもう一度会ってほしい」という半ば強引な私の提案に、「まぁご飯くらいは一緒にしよう」とスティーブン社長は応じてくれました。ソウルで会うなり、私は製品や仕事に対する思いを熱く訴えました。

しかし彼は全くその話には乗ってこず、「まあそれはいいから、お酒でも飲もう」と軽くあしらわれる始末。

ただ私は、それでもなんとかして気に入られようと、彼の行きつけの飲み屋でお酒をガバガバ飲みました。もともと体質的に飲める方ではあるのですが、韓国のお酒・ポㇰタンジュ(日本語で「爆弾酒」)を何杯も飲み、さすがにヘロヘロになりました。

お店は、オンドルという床暖でガンガンに温かくなっていて、酔いの回った私は体中が熱くなりフラフラしてきたので、酔いを冷まそうと思い一度外に出ました。

しかし、その日のソウルの天気は吹雪。大雪が降りしきる中、私は上着を脱ぎ、Tシャツ一枚の格好になり、熱くなった体を冷ましながら、空に向かって両手を広げて「あぁ、もうダメだぁー!」と叫びながら店の周りを走っていました。もう半分ヤケになっていました(笑)

すると、その様子を窓越しに見ていたスティーブン社長は、大爆笑。私が店内に戻ると、「君は面白い。明日また話をしよう」と言ってくれました。

そして翌朝、ホテルのロビーで彼から告げられたのは、「君の熱意とユーモアを見て、一緒に仕事がしてみたくなった」という言葉でした。私はスティーブン社長に認められ、日本での製品販売の独占契約を取ることができました。

私は驚きのあまり言葉を失い、聞き間違いをしていないか何度も確認をしました。しかし、それが間違いでないことを理解すると、新たな挑戦へ踏み出す決意がグッと固まりました。

なんだか漫画のような話ですが、諦めずに無我夢中で取り組んでいると、何かのきっかけで奇跡みたいなことが起こるのだと、身をもって実感しました。

情けなくても、泥臭くても、みっともなくても、経営者には絶対に折れてはならない瞬間があります。私にとっては、この時がそうだったのかもしれません。

そして、この「しつこさ」や「諦めない信念と覚悟」こそが、B-EARの真髄なんだろうなと思います。

B-EAR(ベアリッジ)丨高機能無線機・トランシーバー (bearidge.com)

左がスティーブン社長、右が私(ベア)です。

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