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ロールモデルがいないことを嘆く必要はない

突然だが、これをお読みいただいている方に、「この人みたいになりたい!」という、いわゆるロールモデルはいるだろうか?
訊ねておいてなんだが、私にはいない。

尊敬する人は、いるのだ。
ちょっと考えるだけでも、何人かの顔が浮かんでくる。
でも、じゃあ「この人みたいになりたい?」と問われると…「うーん…ちょっと違うかな…」と思う。
属性や状況が違って、その人のようになりようがないケースもあれば、すごく尊敬している一方で「正直、そこは嫌だな…」と思ってしまう要素を持っている人もいる。

だから、「ロールモデルを見つけよ」という要請には、いささか応えづらかった。
無理に応えようとして、自分とかけ離れた女優さんの名前を挙げてみて、「月とスッポン」的感覚にひとりで恥ずかしくなったこともある。

「ロールモデル?いません」なんて、のびしろしかない私が言うのもおこがましいよな…と申し訳ない気持ちにもなるが、いないものはいないのだ。

そんな中、この感覚をうまく言い当ててくれている記事を拝読した。

性別や状況は違うし、全部はマネできないけでど、部分的にはすごく参考になる!
つまり、「ロールモデル」ではなく、「パーツモデル」なのです。
(記事より引用)

一般的に「パーツモデル」ということばは、いわゆる手タレなど身体の一部の美しさを活かしたモデル業のことを指すが、この記事では、従来の「ロールモデル」と比較する形で、「パーツモデル」ということばを用いている。

所属団体FJQの川添さんも、この記事を受けてこんなコラムを書かれていた。(記事中に、私のツイートも引用してくださっている)

そうか、だから私はロールモデルを見つけられなかったのか、とすごくストンときたし、なんだか安心もした。
ロールモデルがいないからって、嘆く必要はない。
いいとこどりして、オリジナルのなりたい自分を作ればいいわけだ。

パーツモデルの考え方を知って、更によかったことがふたつある。

ひとつは、見習いたい人が増えたこと。
それまでは、「尊敬する人≒ロールモデル」だと考えていたため齟齬が生じていた。
だが私にとっての尊敬する人は、実は見習いたいパーツが多いかより質のいいパーツを持っておられるかのどちらかだと気づいた。
と同時に、(大変失礼な表現だが)尊敬する人「以外」だった人がお持ちの素晴らしいパーツに目が向くようになったし、その中でも「このパーツぜひとも見習いたい!」というパーツを発見できるようになった。
結果として、見習いたいなあと思える人がぐんと増えた。

もうひとつは、ハードルが下がり、具体的行動をとりやすくなったこと。
ロールモデルとなると「あのすごい人の、あれもこれもそれも参考にしなければ…」と、必然的にハードルが上がるし、視点が定まらずにぼやける。
けれど、パーツモデルならば「あのすごい人の、ここがすごく参考になるから、まずこれだけ実践してみよう」と考えられ、小さく確かに始めることが出来る。
なりたい自分になるためのハードルは下がり、そのために照準を定めて具体的な行動に移しやすくなった。

結局のところ、いい意味でも悪い意味でも、私は私なのだ。
とはいえ、頑なに誰かのマネをしないのではなく、パーツモデルをたくさん見つけて、よりよい自分を目指していけたらなと思っている。


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