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子供を動く点Pとする

息子(6)が折り紙にえらくハマって、難しい折り紙に果敢に挑戦するのはよいのだけれど、私がフォローするのが難しい…というを先日書いた。しばらく経って気づいたことがある。

子供は日々成長する!

とても当たり前なので、何をいまさらと思われるかもしれないが、折り紙狂騒曲の渦中にいた私はすっかりそのことを忘れていた。まるで、折り紙が折れなくて子供がイラついた場合の対処がずっと続くかのように、「自分が適切に対処できるようにならなくては」と思い込んでいた。

大間違いだった。

息子はめきめき成長し、私に助けを呼ぶことが減った。さらに、多少難しくて困ってきたら、いったん置いて折り紙の本に挟んで気分転換するという技も身に着けた。さらに、ほんの指示通りか自信がなくてもとりあえず進めてみることすらできるようになっていた。成長というかもう進化である。

私があーだこーだ悩んだことが無駄だったとは思わないけれども、大事なことが抜け落ちていたなと反省した。息子は変化するのだ。「変えられるのは自分だけ」とよく言われるが、(自分の思うとおりに自分の力で)変えられるのは自分だけ、ということだったのだな…と思った。他人だってどんどん変わる。日々成長する子供はめちゃめちゃ変わることもある。自分が、自分が…と考えているのは、おこがましい態度だったなと思う。

そして、自分がいつまでも同じような場所にとどまっていては子供に置いて行かれるな、と思った。親である私も負けじと進化したい。

さらに、「相手がどんどん変化すること」を前提に日々悩んだほうがいいな、と思った。むしろその前提を忘れずにいられたら、あんまり悩まなくてもいいのかもしれない。これは「一時的な状態」でしかない、私の思いと別のところで急に状況が変わる可能性が大いにある、という前提に立ったら私は気が楽になる。

よって、今後は息子のことは動く点Pとして考えようと思う。速度も、どこへ行くのかもわからない点P。わかっていることは私の予測や想像を超えて自由に動く存在であることくらい。

母も点Qとして自由自在に動いていくぞ!

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