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「正義」ってなに?(3)


よく小さい子が、親に「なんで?」「どうして?」と理由を聞くことがありますよね。


人は、初めての経験や考え方に出会った時、

「どうしてこうなの?」

と、一瞬でも"理由"を求めるものだと思います。

これはきっと、人間が人間たる所以なのでしょう。

人類の祖先は、故郷であるアフリカの森林が気候変動で後退し、すぐに見通せるサバンナで、獲物を力で狩る「体力」も、逃げ切る「脚力」も持ち合わせてはいませんでした。

そのか弱い存在であった人類が、"生き残る手段"は、どうしたら生き残れるかと「頭を使う」ことでした。

その「力」は、自分たちを襲う猛獣たちを凌駕し、人類が"この世を我がもの"にしました。

人類がこの世の天下を取った後、自然の摂理はどうなっているのかという疑問の解消にも着手するようになりました。

きっと、ただ動物の様に生きていくだけなら必要のない頭脳の、有り余るキャパシティを使う"理由"をそこに見出したのでしょう。

そして、その「力」はそれだけではなく、同族の人類にも向けられることになります。

いい事も悪い事も含めて・・・。

人間では如何ともしがたい自然の摂理や、人間の不条理な感情。それらの"理由"を導き出す手段として、人間は「哲学」を生み出したと、僕は思います。

「正義」は"唯一無二"のはずなのに、どうして互いに"それ"を掲げ、殺し合うのか?という"理由"。


結論は、

「正義は、やっぱり"唯一無二"じゃない」

至極簡単な結論を、自分の中で導き出しました😊。

では、正義が"唯一無二"でない理由。

次回書いていきたいと思います。



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