私の1500m自己ベスト
どうもあひるっさです。
今回は1500mで自己ベストを出した時のお話をします。
私は1500mに今は特に思い入れがありません。
なぜなら自己ベストが3'59"99だから。
1500m走ってる人なら目標にしたくなる3分台は私にとっても目標だったのでそれ以上はない!
と出した当時も今も思ってます。
私が1500mで自己ベストを出したのは13年前の高校3年生
どうやって自己ベストを出したのか振り返ります。
お付き合い頂ければ幸いです。
試合前
自己ベストを出した試合はヤンマースタジアム長居で開かれた大阪選手権でした。
1日目に5000m、
2日目に1500m予選、残れたら決勝
の流れです。
大阪選手権は近畿インターハイの2週間後
近畿インターハイでは5000m15分11秒かかって11位。。。
目指していた全国インターハイの道が途絶えて
インターハイにいけなかったら坊主にする約束をチーム内でしていたのでその翌日に即坊主にしてそこから2週間経った試合です。
ちなみに私は清風高校の入学式の前日に
「3年間坊主で頑張ろう!」
と意気込んで坊主にしましたが、半年経って「母に全く似合わないからやめてくれ」と懇願され坊主をやめた経緯があります笑
高1は坊主の時は成績が振いませんですが、坊主をやめてから成績が伸びて最終的には全国高校駅伝の10人メンバーに入りました!(10番目で走れませんでしたが笑)
話は逸れましたが、
久々の坊主で
「坊主では結果が出ないんじゃ。。」
と不安はあったのですが、近畿インターハイはカーボローディングがはまらずうまく走れず、そのピークが2週間ずれて大阪選手権に仕上がった感じが試合前からありました。
そのため1日目の5000mは14分48秒で高校生ではトップの7位に入りました。予想通り近畿インターハイの時より動きが良くちょっとがっかりした思い出があります。笑
1500mはスピード練の一環で
「予選残っても決勝は棄権します!」
とコーチだったキムラ先生に宣言してた記憶があります。
という感じで翌日の1500mを迎えました。
試合当日
この試合を語るには欠かせない人物を紹介します。
私の高校陸上部の1つ下だったオオカワカズキです。
オオカワは中2で1500mジュニアオリンピック9位の実力があり、1500mを主戦にしてきた1つ下の大阪では世代トップの選手でした。
当時の写真はこちら(画素数小さくてすいません)
とある人が國村隼さんに似ていると言ってて確かに似てるなと思いました笑
似てますかね?笑
そんな話は置いておきます。笑
私の高校は校則は厳しいものの陸上部は練習や試合で個人の裁量に任されることが多かったです。
そのため私は陸上部で厳しかった思い出はほぼありません。全国高校駅伝出場するレベルの高校の中では最もラフな高校だと当時はずっと思ってました。
そんな自由な感じなため、上下関係はあまり厳しくなくオオカワは主将の私のことをよくいじってました。笑(実はあひるっさは主将でした)
レース当日も
「あひるっさに負けるわけないやろ」
もちろんそんな口調ではありません笑が、勝ち宣言をされ、私は専門種目でもないし気にせんとこと思って試合を迎えることになりました。
レース展開
レースが始まり、とりあえず私は「先頭に着いていったらええわ」と思い、先頭にぴったりついてレースは進んでいきます。
400m通過64秒
800m通過2分8秒
1200m通過3分12秒
と完璧なイーブンレースかつ集団の位置取りが大きく変化することなくずっと同じ人が引っ張りラスト300mを迎えました。
ラップタイムは後から聞いた話でレース中はラップタイムの放送が聞こえず、ただ先頭につくことだけを心がけてました。
ラスト300mは決勝のことなど全く頭にない私は先頭に着くことは変わらず
「ペースちょっと上がってるかな?」
と思いラスト100mを迎えます。
ラスト100mで隣にオオカワがいて初めて
「こいつには勝たないと」
と意識しました。そしてゴール前ふとタイマーを見ると3分55秒をさしており、
「えっ、4分切れるの?」
とそこで4分切れるかもしれないことが初めてわかりました。
わかっても状況は変わらないので、オオカワには負けてられるかと思ってラストはオオカワとほぼ同時にゴールしました。
オオカワとの勝負の行方
ヤンマースタジアム長居で試合をされた、見たことある方はわかると思いますが、試合後結果が確定次第ゴールした順に名前と記録が電光掲示板に載ることがあり、当時もそうでした。
その間3分くらいだったでしょうか?
ゴールした私とオオカワは
私「絶対俺のほうがお前より先にゴールした」
オオカワ「いや俺のほうがあひるっさより先にゴールした」
と結果が出るまでひたすら言い合ってました。
(どちらも試合直後なのに元気やな笑)
そして結果が電光掲示板に載り、
私が3'59"99で
オオカワが4'00"01
この時オオカワは崩れ去り、私はオオカワに勝ったし、3分台は出せたし、嬉しすぎてそれ以降の記憶はほとんどありません。笑
ちなみにオオカワはこの後5000mにシフトしていったこともあり、高校ベストはなんとこの試合。
「3分台を出せた私、高校で4分切れなかったオオカワ」
両者の明暗がはっきり分かれた試合となりました。
さらにこの100分の2秒は予選決勝ラインの境界でもあり、私は決勝に残りオオカワは予選落ちに終わりました。
高揚していた私は「どうなってもいいや」の気持ちで結局決勝は棄権せずに挑みましたが、脚は残っておらず4'05"かかってブービーでした。笑
エピローグ
以上最高の気分で3分台を出せたのでやり切った感が今でも残っています。
それ以降、大学の時は何試合か1500mに出ましたが、社会人では1年目に出て以降5年出ておらず、そろそろ久々に出ようかなとか考えています。
今回は私が1500mで自己ベストを出した時のお話でした。
皆さんもこんな風に思い残すことのない試合はあるでしょうか?
こんな試合をできることが陸上競技の醍醐味だと感じています。
陸上競技の試合であってもなくても皆さんが今後こんな喜びを味わえることを祈っております!
といったところで今回は終わろうと思います!
長文失礼しました。
また次回もご覧いただければ幸いです。
よろしくお願いします!
PS: その後私とオオカワは特に喧嘩することはなく、私がいじられることは変わらず良好な関係で高校時代を過ごしたのでご安心を。笑
約3年前に口熊野マラソンに出た時に彼も出ておりレース終わってから後ろにいたのに驚きました。
その後お互いに懐かしく30分くらい話してました。笑
あとオオカワは大学で3'56"までタイムを伸ばしました。
GRlab代表と私(高校時代)
※本文とは全く関係ございません
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