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『逢うべき糸に 出逢えることを 人は 仕合わせと呼びます』

中島みゆきの『糸』。
結婚式で定番の、運命の出会いを歌った名曲だ。

あなたは今まで、まさに『仕合わせ』と言うべき出会いをしたことがあるだろうか。

今回はわたしと一羽の小鳥の出会いについてお話ししたい。


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わたしは7つの時に文鳥を飼い始めた。
母の影響だ。

母も幼い頃、親戚のおばさんから譲り受けて以来、ほぼ数十年飼い続けてきた。
一度その豊かな喜怒哀楽、容貌の美しさ、愛らしさ、触れてしまったら戻れないのだ。

そしてわたしも知らず知らずの内に、その沼にはまっていた。


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実家を出てから、さすがにすぐには飼えなかった。
その頃は11時間ほど職場にいることもあった。
到底世話などできない。

世話ができないのに飼うことは、虐待に等しい。
わたしの矜持が許さなかった。

しかし、ある時事情が変わった。
わたしは、うつ病になった。

うつだからなんだ、病気のくせに矛盾している、と思われるだろう。
しかし、経験しなければ分からないことは、この世にいくらでもあるのだと、わたしもそのとき知った。

眠れない夜、起きてしまう朝、昂る感情。
あらゆる症状が起こったとき、わたしはそんな気なしにある行動をとった。

エア文鳥を、吸ったのだ。

どんな向精神薬よりも、カウンセリングよりも、わたしに必要なのはたったひとつ、文鳥という存在だったのだ。

わたしは一目散に一羽の雛鳥を求めた。
その子がわたしが全て責を負って迎えた初めての息子・ミニョン(仮名)だ。
毎日親に代わって挿し餌をし、遊び、そして吸った。
わたしはすぐに、少しだけだが病状が落ち着いた。


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ミニョンも紛れもない出会いのひとつだ。
何よりも誰よりもわたしを癒してくれた。
今ではわんぱく坊主で、自由奔放、ほぼ放し飼いだ。
少し甘やかし過ぎたと反省している。


しかし、これを越える「仕合わせ」が、一年後に待っていた。

カエデ(仮名)との出会いである。



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そもそも、なぜ2羽目を求めるに至ったか。
最初にそれを希望したのは紛れもないミニョンだった。

「奥さんが欲しい」

ずっと訴えてきた。
毎日歌と躍りの鍛練を欠かさず、YouTube、Twitter、Instagram、あらゆるSNSで自主お見合いを続けていた。
酷いときには勢い余ってわたしに交尾する程だった。

かわいい我が子の望みだ、叶えてやらぬ理由はない。
その頃わたしは、すでに自宅療養中で余裕もあったため、すぐに奥さんを探しに行った。


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時期でなかったため、雛鳥はいなかった。
奥さんにするなら成鳥でも十分だったので、相性の良さそうな子を探した。


まず、入荷したての桜文鳥が2羽いた。
片方は堂々としていて落ち着きがあり、かなり安心できる様子だった。
もう片方はびくびくと落ち着きがなく、文鳥の気性の荒さはどこに置いてきたのか、という有り様だった。

正反対だが、この2羽のうち、メスならどちらでもよいと思った。
なんせ、ミニョンは桜文鳥が好みなのだ。

ミニョンは明朗闊達でフレンドリーだし、物怖じしない。
これはよいタイミングだったと思って、その2羽にしばらく話しかけた。
すると、あることを教えてくれた。

2羽ともオスだったのだ。

お友だちにはよいが、ミニョンが望むのはあくまでも奥さんである。
断念するほかなかった。


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仕方がない、せっかく遠出して来たのだ、色々見ていこう。
そう思い小動物コーナーをしばらく見て歩いた。

大きなオウムやミミズク、小型のワシもいた。
珍しいものも、こんな田舎にもいるのだな。


そう、なめるようにひとつひとつのかごを見ていたら、不思議なものがあった。
値札のついた空のかごがあったのだ。
しかも「シナモン文鳥」と書かれてる。

お、と胸踊らせ覗き込んだかごは空ではなかった。

数ヶ月前、自死を願ったわたしと同じ目をした美しい鳥が、角にうずくまって、こちらに睨むとも見るとも言えない眼差しを向けていた。

わたしは、「性別も分からない」と言われたこの子をすぐに家族に迎えた。

これが後のカエデである。



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病んだもの同士、同情しなかったといえば嘘になる。
しかし、あの深いボルドーの瞳の奥の憂いが、わたしの心を掴んで離さなかった。


カエデを迎えてから、驚いたことがいくつもあった。

まず、カエデは産卵経験もなければ、さえずりもしなかった(恐らくうつによる性欲減退)。
ましてや鳴くことすらしなかった。
だから性別が分からなかった。

そして、飛べなかった。
診てみれば、毛引きをしていた。
立派な自傷行為だ。
そのショップには一年以上いたというのに、スタッフはカエデの苦痛を理解してはくれなかったらしい。

毛引きの理由かは分からないが、消灯すると不安がった。
一度そのせいか発作を起こしたことさえある。
今でもわたしが側にいないと寝付けない。

止まり木から頻繁に落ちた。
しかも背中から。
文鳥ではあり得ないことだった。
獣医さんに訊いても「原因は特定できない」と言われた。

そして起き上がれなかった。
翼がフン切り網にひっかかると尚更だった。
翼に異常がないか確認したら、左の翼が垂れ下がっていた。
カエデは羽をむしったから飛べないのではなく、何らかの異常があって飛べなかったのだ。


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カエデの特性を理解し、わたしは決意した。

この子を必ず幸せにする、と。

そのためには観察が必要だった。
わたしはしつこいくらいにカエデを見続けた。

まず、カエデの好きなものを見つけた。
水浴びだ。
1日に最低でも2回は入る。
水浴び専用の器を理解できなかったので、大きな飲み水入れを買った。
水浴びする姿は、少し嬉しそうだった。

次に意外な嫌いなものを知った。
テレビの音だった。
テレビを消すと鳴きやみ落ち着いた。

そして、完璧に近い時間感覚を持っていることが分かった。
必ずある時間になると、就寝の催促をされるようになったからだ。


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こうして、徹底的にカエデの意思を汲み続けて、一年近くたった。

そして今、カエデは、わたしを意思の通じる存在として認めてくれている。

文鳥らしくわがままになった。
嫌なことには徹底的に抵抗し、何度もわたしの指の皮を噛みちぎった。

そして、わたしに存在価値を与えてくれた。

共依存と言われようが、ただの甘やかしだと言われようが、構わない。
カエデとの一年が、わたしの文鳥を愛でる者としての責務と罪、そして存在意義を自覚させてくれたのだから。


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余談だが、カエデほど美しい鳥を、わたしは見たことがない。
それなのに寿命の半分をペットショップで過ごした。
なぜか。

カエデはシナモン文鳥ではなかった。
より高価で希少価値の高い色変わり、クリーム文鳥である。

「色変わり」と言われる種は突然変異と遺伝を利用して作出される。

クリームというカラーは、文鳥が本来もつ黒と茶の遺伝子のうち、黒が抜け、さらに茶が薄まったものである。

文鳥マニアでは常識だが、この黒が抜けたカラーは、先天的に身体が弱く、短命なことが多い。

これが、誰もがカエデのことを見て見ぬふりをした理由である。


人間は、なんと浅ましい生き物なのだろう。
所詮は猿なのに、地球の頂点に立ち、自らも動物である自覚がない。

他の動物たちを好き放題、殺し、売り、見世物にし、作りかえた。

神にでもなったつもりだろうか。

わたしとてれっきとしたエゴイストだ。
かわいい、かわいい、と鳥をかごに押し込め、何度も殺した。
だから、罪から逃げることはしてはならない。

わたしはこれからも鳥を飼い続けるだろう。
売られた鳥を飼い、この世にわたしたちのエゴで産まれ落ちた命を幸せにすることが、鳥を愛でるものに課せられた罰なのだから。


おしまい

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