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スポーツ記者から警察記者をやって

いままで経験したことがない取材をやってみたい。某メディアを辞めて思ったことだ。

これまでスポーツを中心に取材してきた。サッカー、野球、バスケ、プロレス、陸上、ラグビー、卓球、バドミントン、テニス、ハンドボール、ボクシング、ホッケー、アイスホッケー、スキージャンプ、カバディ…。多種多様なスポーツを取材できた。

大きな国際大会も何度も行けた。ただこのままスポーツ記者だけでやっていけるのかという漠然とした不安があった。これまでのキャリアを振り返ってもスポーツ以外はアニメ、漫画、ホラー&怪談、音楽、ミリタリー、芸能といろいろ取材もしてきたし、いろいろ書ける自信があった。それでも自分は当時ヘボかったので、取材の本質を捉えながら仕事をしたいという思いがあった。だから次の仕事はいままで経験したことがない取材ができる仕事、一度スポーツから離れて取材をしたいと強く思うようになった。

ちょうど地元のテレビ局で報道記者の採用があったので、軽い気持ちで応募して採用された。ここで自分の中での取材という概念、メディアで働く姿勢が劇的に変わる経験ができた。

まず報道記者として公益の重要性を学んだ。公益とは社会全般や不特定多数の利益を目的とし、私的な利益を目的としない活動を指す。「俺たちは公益のために働いている」と報道部の上司やデスクから叩き込まれた。この公益のためという考え方を恥ずかしながら出版社やスポーツ新聞社では学ぶことがなかった。誰も教えてくれず、自分自身も漠然と読者のためという考えはあったが、対象を社会の利益のためという考えに行き着かなかった。この考え方はメディアで働くなら当たり前の前提であり、お恥ずかしながらアラサーになって公益の重要性を学んだ。

そしていざ現場に放り出された。最初は警察担当記者として働いたわけだが、いままで経験してきた仕事のノウハウが役に立たなかった。突発的に起きる殺人事件、傷害事件、火災、災害…。警電(警察署に電話すること)、署周り、朝駆け、夜打ちと聞いたことはあってもやったことがないことを数えきれないくらいやった。そして最も心身ともに応えた経験は地取りだ。地取りとは重大事件が発生すれば事件現場の近所にインターホンを押して情報を得るというマスゴミと揶揄されるような仕事だ。

この地取りは大変だった。罵声を浴びせられ、「マスゴミ帰れ」と追いかけまわされたこともあった。ただ公益のため、社会のためと自分に言い聞かせて真夏に50件回って熱中症になりかけたことがあった。マスゴミという自覚はあった。それでも公益のために働くという考え方が僕は好きだったから、どんなに辛くても仕事ができた。深夜3時に電話でたたき起こされて「殺人事件が発生したから現場に行けるか?」と言われれば、すぐに現場へ向かった。「俺の仕事が社会のためになるなら、マスゴミと言われようと何だってやる」といった大義が原動力になっていた。

報道記者をやっていて行政や裁判なども取材した。30を過ぎたおじさんがこういった現場で働かせてくれることは幸せだった。周りは他社の1年生記者ばかりだったけど、年齢を忘れて我武者羅にやれた。こんなに素晴らしい経験をやらせてくれるなんて自分は恵まれていると思った。

そして仕事にも慣れ、しばらくしてからだった。公私ともに仲のいいアスリートと飲む機会があった。彼らから「いまの仕事楽しい?」と聞かれて、僕は充実していると答えた。ここでは深く書かないが、印象的な言葉を彼から投げかけられた。別れ際に「やっぱさ、俺が現役を引退するときに俺の引退記事を書いてほしいんだよね」と一言。ただ、ただ「ずるいな」と思った。その言葉があったからまたスポーツ取材の世界に戻ろうと思い、しばらくしてからスポーツメディアに転職を決めた

そしてスポーツメディアに復帰してから違和感を覚えた僕らは用意された現場を当たり前のように享受していることだった。僕はスポーツ現場のスタッフやスポットでオフィシャルフォトグラファーや広報としても働いた経験があるため、試合やイベントの開催に要する準備の大変さを少しだけ分かっている。当然プロスポーツの試合であれば多くの人間が準備に尽力する。当日多忙を極めながらメディアを対応する広報はチームのプロモーションを進めながら、取材のディレクション、アナウンス、マネジメントに取り組む。

我々マスコミはというと用意されたパスを受け取り、用意された記者席に座り、用意された会見場で監督の話を聞き、用意された動線上で選手を取材し、用意された記者室で原稿を書く。当然真剣な姿勢で取材している記者はいるものの、用意されて当たり前だと傲慢に思っている記者も多くいる。中には広報の陰口を言う者や、取材対応がそっけなかった選手の悪口を用意された現場で吐き捨てるマスゴミもいた。

僕は用意されていない突発的に発生する現場で働いていたため、用意されている取材現場に有難みを噛みしめている。そしてその用意も多大な尽力と丁寧な準備によって施されていることも理解している。それを用意されて当たり前という顔をして仕事している同業者に対して、「何なんだろうなこいつら」と思ってしまうわけだ。メディアと取材対象者には上下がないと言い切る人間もいるが、僕はそう思わない。僕らはあくまでお話をお聞かせいただく側なのであって、お客様でもなければお友達でもない。しっかりと公益のために従事するには、まず取材現場を用意して頂いていることに感謝から入らないといけないと強く思うようになった。

「まーたあいつ糞みたいなこと書いている」と毛嫌いする同業者はいるかもしれない。それでも僕らは選手、クラブ、観客、読者がいなければ何もできない弱い存在だ。我々が驕ってしまえば高級料理に集るハエでしかなく、花の受粉を助けるミツバチのように選手と読者の架け橋にならなければいけない。益虫になるか、害虫になるか。公益のために働くなら益虫になるしかない。だからこそ用意されている現場に対して文句をいわず、まずは感謝から入らなければいけない。準備してくれる方々に感謝を忘れずに取材していきたい。

<了>

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